第3回THE NEW COOL NOTER賞始まる世界部門~10/8講評
第3回THE NEW COOL NOTER賞「始まる世界」部門へご参加いただいている皆様。
本日までで、早くも20作品もの応募をいただいています。
ある参加者様から質問をいただいていますが、8月部門、9月部門に応募いただいた記事の「続きの記事」を応募いただいても構いません。
8月から10月、そして11月にかけて、THE NEW COOL NOTER 賞の各部門は一つの大きな流れとさせていただいています。
皆様とともに、展開し、自分とそして人と出会う賞でありたく思います。
応募期間、残り1週間となりました。土日に、あふれる思いを一気に記事に書き上げてご応募いただけませんか。
どうか、ふるってご参加いただければ幸いです。
なお、本日は3つの応募記事へ審査委員それぞれからの講評を掲載させていただきます。
どうぞ、楽しんでいってください。
(本日の講評者)
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<講評(Norikoさん)>
日本を離れ、異国で生きて行く
そう聞くと『かっこいいですね』
『羨ましいです』という言葉を掛けられる事が多い様に思います。
志を持って
異国でも新しい土地でも暮らす決断は
分かっていても、時に押し寄せるような
寂しさに負けてしまう時があります。
はたち
そこそこで親に泣きつくのはあってもいいか‥‥ だけど私は三十も優に超えて夫と子どもがいても、母に泣きついていたという証拠を母の短歌が残している。
そして五十を超えてまたど~んとでかいのをやってしまった。
コノエミズさんは
20歳の頃に東京の看護学校に居た時、
プロの先輩達を前に、
ご自身の経験値の浅さから
緊張と恐怖で
お母様に泣きながら電話をされた事を
思い出されています。
でもそれは、はたち。
コノエミズさんは、こう続けていらっしゃいます。
中高年の女が、老いた母親に心配をかける。褒められたもんじゃない。
本当ですよね。
どうして歳を重ねると
親に『辛い事は辛い』って簡単に泣けなくなるのでしょうね。
しかもそれには悪いイメージが付き纏う。
『親にだけは心配をかけたくない』という人がいる。自分が癌になっても交通事故で入院しても親には絶対に知らせないという友人も見てきた。
両親への愛情表現としては崇高な気がする。
学生時代にはそれなりに反抗もして
困らせた事もあったけれど
自分が家族を持ったり
歳をとって行くと
親の気持ちがよくわかる、という方も多いでしょう。
だから心配させたくないのよ、と…。
かく言う私も再婚した日本人の前夫がDVで
10年という地獄のような日々の中
父に話したのは
家庭裁判所に行き
弁護士の無料相談会に行き
調停離婚をすると決めた後でした。
それまで、なぜ話せなかったのか、
それはやっぱりコノエミズさんが書かれているように、『心配をかけたくない』
この気持ちが根底にベットリと貼り付いていた様に思います。
けれども私は自分の子どもが危機を迎えていたり、大変な局面には、包み隠さず教えてほしい。側にいればともに手を取り合って、離れていれば心だけでも寄せ合って一緒に泣きたい。‥‥祈ることしかできなくても。
コノエミズさんのこの一節を読んで
私も同じ気持ちなのにと苦笑いしてしまいました。
本当にそう。
子どもが苦しんでる時って
不思議と親の勘なるものが発動するように思います。
何かを感じ取って
分かっていても相手(子ども)が言うまでは
こちらから言い出しにくい。
『どうしたの?』って
親も子どもが小さい時は容易く聞けるけれど
家を出ていたり
遠く離れていれば、
何かを察したとしても
親からも、おいそれと
簡単には聞けないのかもしれないなと思いました。
お互いがお互いを思い合っていると言う名の下に
窺っているような
そんな感じですね。
潮が満ちたら、その後は引いていくように、しあわせも苦しみも満ちたり引いたりするのだ。
コノエミズさんは神様の目線という表現をされていますが、少し離れて客観的に
自分と言う人間や
自分の生きてきた道を見ると
それは潮の満ち引きの様に
良い事も
そうで無い事も
繰り返し自分に寄せているのが分かりますが
渦中にいるとなかなか難しいものがあります。
日本に帰りたい
その一心で過ごされた日々。
ロックダウンで身近なものへの幸せを
知る事が出来たけれど
それは
単に本当に望んでいる事への一時的な目眩しでしかない。
自分が帰国したいのに、次男さんが日本へ行く事になり
同時期に長男さんが就職を機に家を離れることになった時、コノエミズさんは
去りたいと泣きながら懇願した異国を
『帰る場所』として意識されるのです。
それは家というただの場所ではなく
そこには自分を想う人がいると言う事実。
自分をいつも迎え入れてくれる場所
いくつになっても
揺るが無い愛情を注いでくれる人。
自分の負った傷は自分にしか
その深さはわから無い。
完治したと思っていても
ふとした拍子にジクジクと痛み出す事もある。
傷を負うのは誰もが怖い事です。
ぽっかりと空いた傷口は
注いでも注いでも塞がる気配が無い。
コノエミズさんはご自身の傷に
必要なものを見出すことが出来ました。
それは日本に帰国する事でなく
ロックダウン中に、ふと気が付いた
散歩道にある草花でもありませんでした。
それは自分自身が
Contentment (自分が自分であることの充足感) を失っていた事だと気付かれたのです。
それは時にhappinessと言われ
satisfactionとも言われるものであると
私は感じます。
中国の諺に『もしも一時間幸せになりたければ昼寝をしよう』というのがある。『一日幸せになりたければ釣りに行こう』、『一か月幸せになりたければ結婚しよう』と続く。
私は結婚しているし、望めば昼寝の時間も釣りをする時間もある。
足りなかったのは、最後に続く『一生幸せになりたければ誰かを助けよう』ではなかったか。そしてそれはとても私らしいことだったんだ。
コノエミズさんは中国の諺を引用され
自分に足りていなかった事は
Contentment (自分が自分であることの充足感)
であり、
それは『誰かを助ける』自分で生きると言うことだと書かれています。
コノエミズさん
私はコノエミズさんから
幾つになっても、親と子なんだって言う事を
教えてもらいました。
40になったからと言って
親に相談しないって事はないんですよね。
年齢は関係ない。
それって微塵もカッコ悪く無いし
みっともなくない。
コノエミズさんは
ご自身の気付きを
小さな一歩だと書かれています。
すべての始まりは一歩から、だと思います。
その一歩を踏み出すまでが人は
葛藤し、泣き喚き散らすのですから。
まだ一歩一歩
ゆっくりの歩みかもしれませんが、
コノエミズさんが目指す場所は
ご自身には
もう見えている様に思います。
私は今笑顔だ。
大きく書かれたこの一文に
コノエミズさんの決意を感じます。
これからの一歩が
cheerfulnessで満ち溢れたものでありますことを祈っています。
ご応募ありがとうございました。
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<講評(ゼロの紙さん)>
過去と一言で表せるものの
その奥行きや色や手触りは
その人にしかきっと味わえ
ないものだと思う。
kozaruさんがお寄せいただいた
エッセイには、わたしには歯が
立たないほどの、重量感に満ちて
いて。
正直わたしがkozaruさんの凄絶な
人生そのものに掛ける言葉はあるの
だろうかとなんども揺らいだ。
最初タイトルを拝見したときには
想像がつかないほどのあらゆる場所に
読者は運ばれてゆく。
すさまじい事実の扉をみんなでくぐるうちに、
不思議とkozaruさんに励まされている気持ちに
なってゆく。
わたしのように年齢の割には人生経験が
浅いと自覚している人生の経験値が低い
人間が言葉にできることは正直少ないと
思いつつその言葉の波にゆだねていた。
たいせつな命を授かったkozaruさんとkozaru
さんのお子様。ふたりで懸命に支えあいながら
生きて来た、育むという時間の中に修復されたり
癒される時間も含まれていたことを知ってわたしは
ありがとうの言葉しか出て来なかった。
ありがとうのその5文字に他の言葉でルビを打つ
ことはできないけれど。
ありがとうとしか言えない感情が湧いてきて
その気持ちに気づいた時、タイトルの言葉が
わたしの中で生きて、活きてくるのがわかった。
『神様と私は私を愛している』
kozaruさんと同じように声にしてみる。
ゆるぎないじぶんのことを信じているじぶん。
信じているから愛せる。
そして愛してくれているという宛先を神様に
むけられる実感を抱けるほどにkozaruさんは、
これまでの人生を抱きしめている。
ご自身にエールを贈るばかりではなく読者にも
惜しみなくエールを捧げてくれている。
kozaruさんのこれからの人生がきっと最愛に
包まれていることを予感させるむすびの言葉に
幸福を感じています。
辛いことを含めて書くという作業から眼をそらさずに
書いてくださったkozaruさんのその勇気に心より感謝
申し上げます。
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<講評(愛加ちゃん)>
――そうそう、マニュアルがないんだよね。
一読して、大学出たてのぺえぺえな小学校の先生だった時のことを思い出しました。
講師(臨時採用)の立場でありながら担任を持たせてもらって、痛感したこと。機械相手ではない、子どもという自分とは異なる命と向き合う時、マニュアルは存在しない。
もちろん、全校集会の教室移動前、わちゃついてる子どもたちを並ばせるコツとか。
授業の板書計画(黒板のどこに何を書くか)ができれば、授業がスムーズに進むとか。
テクニック的なものも、たくさんあるのだけれど。
個々の子どもたちと向き合う時、みんな少しずつ違うから、「こうすれば全てのケースがうまく行く」なんて、虎の巻は存在しない。
学年主任の先生に相談しながら、保護者の話も聞きながら、場合によっては前年度の担任の先生も頼りながら、こうかな、ああかなと、探って行くのだけれど。
結局のところは、その時その時で、それが正しいかどうかも分からないけど、こうしてみようと思ったことを、やるしかなくて。
迷いながらも、体当たりで子どもと向き合って行くしかなくて。
絶対的な正解がない中で、手探りで駆け抜けた1年間。
でも、最後の離任式の日。先生元気でねって、駆け寄ってきてくれた子どもたちの輪からちょっと離れたところに、H君がいた。
みんなみたいに、素直に気持ちを言葉にできなくて、ちょっとすかした感じで。でも全身から、先生ありがとうって聞こえてくるようで。
「H君も元気でね」って声をかけたら、恥ずかしそうにもじもじしていた。
――先生の思いは伝わったね。
そんな様子を廊下から見ていた学年主任が、後でかけてくれた言葉。
お母さんがわたしに不満を持ちがちだったから、お母さんの言動に影響を受け、H君自身の心が離れないか、心配されていたのです。
子どもはお母さんが好きだから、お母さんが先生のことを悪く言ったら、子どもも簡単に影響を受けてしまう。
そうならずに、先生大好き、なまま1年を終えられたことを、自分のことのように喜んで下さった。
決してベテランの先生では、なかったけど。伝わるものがあったのかな、なんて思ったあの日のことが脳裏に浮かんだ時。
娘さんもきっと、体当たりで向き合われているかっちんさんの姿に、何かを感じているんだろうなって、そんなことを思いました。
どう思っているか、心の奥底の気持ちは分からないけど。
もうちょっと大きくなって、あれは子ども心に恥ずかしかった、なんて口にする日が来るかもしれないけど。
うまく言葉にはできなくても、肌で愛情を感じているように、思えてなりません。
その証拠に、ピアノの発表会での娘さんの演奏は、ゆったりとして 凛として 優しい音色だったと言います。
着飾ったドレスよりも、舞台を照らす照明よりも輝いていた、娘さんの個性。
それは、かっちんさんというお日さまに照らされて咲いた、ひまわりのよう。
そして、そんな舞台に立つ経験も、後押ししたのでしょうか。自分の世界が少し広がった時、1人で登校することを、自分から切り出すのです。
でも、毎朝、ベランダで見送るかっちんさんに手を振る娘さん。それは、1日を過ごすに十分な愛情を、チャージしているようにも感じます。
きっと、だから娘さんの背中は、すーっと伸びているのでしょう。
大人になって行く過程で、自分の生まれ持った特質に悩むことも出てくるかもしれないけれど。
世間の目じゃなくて、自分の目を見て、応援してくれるかっちんさんがいることを忘れないで、おおらかに成長できますように。
そう、願ってやみません。
迷いながらも、人の意見と違っても、直感で娘さんの笑顔が増えると思った道を進む親子のお話。
ご応募いただきありがとうございました。
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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。
◆全体の募集要項はこちら
◆始まる世界部門募集要項はこちら
◆応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
あわせてこれでも母さんが主催するこちらのマガジンにも収録されます。
他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。
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