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違和感の正体を見抜く

なにかにつけて違和感を感じるときがある。

例えば

誰かとの会話の中で、

朝の支度をしているとき、

一人で過ごしているときと様々だ。

言葉にできない何とも言えない

違和感。


それは本心との不一致が起きている証拠だ。



仕事で実力を出し切らなかったことを

別の理由で正当化しているとき、


誰かを支配するために

相手より優位に立つための言葉を探しているとき、


実際には存在しない将来の不安に

心を完全に持っていかれてしまっているとき、


違和感はよく起こる。


自分の価値観にしがみついて

それを手放せないでいるとき、


本当に欲しかったものは

遠のく。


それは

愛であったり、

自由であったり、

安らぎであったり、

生き生きさであったり。


代わりに

勝ち負けと、

コントロールと、

評価が

横行する。


人は、

「自分が正しい」を押し通したいばかりに、

自ら自分の価値観にがんじがらめになる。


自分が陥っている思考に自分で気づき、

自ら手放すのは

もはや「人間技ではない」と言っても過言ではない。


それほど、

人間は

自分が見えない。

あたかも、

魚が水にいつも浸かっているなんて

自ら気づきようもないように。



いい格好をしたくて、

ついつい人間は

自分の正しさを誇張したがるが、


真の本心は、

実は

愛したい、愛されたい。

この二つに尽きるのだ。


違和感の正体は、

この、シンプルな二つの本心から

外れている証拠だ。

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