読み書き計算、そして詐欺。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は、勉強ってなんなのか?
について考えてみようと思います!
勉強ってなんだと思いますか?
ぜひとも、最後までお付き合いください!
出尽くした答え。
さいんこさいんたんじぇんと。
これを習って今の仕事や、生活に役立っている人はどれくらいいるでしょうか?
そして、過去に習ってきたことで、今の自分を作り上げているものはいくつあげられますか?
「勉強はどうして大切なのか」と中学生のころ1日に何度も考えたことがあります。
当時の大人はだいたい、
「将来の選択肢を増やすため」
「社会に出たときの最低限の知識を得るため」
「勉強は学生の仕事だから」
など、今と同じような答えでした。
勉強は大切だとわかるけど、具体的に何が大切なんだろう?
読み書き計算、そして詐欺。
教師時代によく聞いたのは、
「最低でも読み書き計算はできないと。」
です。
理由は、
「契約書が読めない、サインができない=詐欺にあう」
「お金の計算ができない=詐欺にあう」
です。
確かに詐欺にあう確率は高まると思いますが、読み書き計算ができている人でも詐欺にあっている人はいるのではないかなと思います。
何より、「詐欺にあわないようにするぞ!」って思いながらやる勉強って楽しいのでしょうか。
いずれにせよ、「読み書き計算」は、詐欺にあう、あわないに関わらず、生きていく上では必要になります。
生きてく上で、お金は切り離せないですし、住居や保険など、契約も必ずといっていいほどかわすことがあるからです。
そして、文字を読むことは新聞、本、説明書などでも、生活する上で関わりが深いものになっています。
生きていく上で必要というのは、その通りだと思います。
読み書き計算以外にも勉強はある。
「読み書き計算」を身に付けるためという理由は、そうなんだろうなと思えますが、それ以外にも勉強は有ります。
それはどうなんでしょうか。
社会、理科などは、専門的な道に行かなければ何かの役にたつのだろうかと思いがちです。
でも、勉強しなければいけません。
そのほとんどは、「進学」のためとなっている場合が多いのではないでしょうか。
進学することで世界が広がり、将来の選択肢が広がる。
といいつつ、「目指せ東大!」みたいな、心の奥底にこびりついたものが見えます。
つまり、「学歴のための勉強」というもの。
ここに、教育の闇を感じてしまいます。
だって、こんなもののための勉強なんて何も面白くないからです。
「勉強は何のため?」
「勉強は何のため?」と思う時点で、もう学ぶことの楽しさが失われているのではないでしょうか。
本来は楽しさの中に学びがあるものだと思います。
だから、何のため?とわざわざ考えることはないのではないでしょうか。
スケボーはなんのためにするの?
釣りはなんのためにするの?
ゲームはなんのためにするの?
これらは考えないと思います。
そして、これらの中でも、「とらいあんどえらー」を繰り返すので学びはあります。
勉強です。
教科の勉強と違うのは、定着度を点数化するかどうかです。
こう見ると、教科の勉強は「点数を取るため」となってしまいます。
「点数を取るための勉強」
どう思われますか?
自分次第です。
これに尽きます。
「勉強は何のため?」
と考えて、必要ないとなればやらなければいいし、必要ならやればいいです。
自分次第です。
「やっておいて良かった」「やる意味がなかった」は結果論なので、今どうするかは今の自分が決めることです。
みんな同じ目的でなくても良いと思います。
無いなら無いでもいいです。
それでも何かなければ、勉強ができないのであれば、「勉強は何のため?」という答えを見つけるために勉強をしたらいいと思います!
答えが見つかるまで勉強する。
それでいいと思います!
何のために勉強するのか。
それを考えた瞬間に、勉強ではなくなっています。
本来は自主的なものだと思うからです。
自分で意味を見つけるのが、勉強ではないのかなと思います。
勉強とは何か
楽しさの中で、結果的に学べるもの。
それが勉強だと思います。
楽しさがあるから試行錯誤していくので、学ぶ。
これが本来なのではないでしょうか。
私は教師をやっていて思ったのが、「やらされている勉強」と「やらせる勉強」が非常に多いなということです。
だから、「勉強は何のためにやるの?」という疑問が生まれるのだと思います。
そして、大人はその理由付けをし続けているのだと思います。
その答えがどれだけ飾られたものでも、勉強のシステムの根本が変わらない限り、疑問はなくならないと思います。
「学歴社会」。その中にある勉強。
勉強の中心である学校は今後どう変わっていくのでしょうか。
まとめ
・「勉強は何のためにするの?」その答えは結果論。
・「勉強は何のためにするのか」の答えが見つかるまで勉強するか、見つからずにやりたくないのであればしなければいい。すべては自分次第。
・楽しさの中の学びがあれば、勉強に対する疑問は生まれない。
・勉強のシステムが変わらなければ、疑問は生まれ続ける。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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