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中学教師を務めるトビアス・ラウ氏、ばいやんをはじめ現役時代を振り返る

—— 以下、翻訳 (現地インタビュー記事)

トビアス・ラウは、FCバイエルンとVfLヴォルフスブルクなどでプレーしたプロサッカー選手だった。そして現在、彼は中高生を前に先生として教壇に立っている。ドイツメディア『シュポルト1』のインタビューで、彼は現役時代を振り返り、かつての所属クラブについて語ってくれた。

トビアス・ラウは、FCバイエルンの選手としてチャンピオンズリーグでプレーし、ルディ・フェラー監督の下でドイツ代表としても活躍した。プロ選手として、VfLヴォルフスブルクやアルミニア・ビーレフェルトのユニフォームにも袖を通した。しかし、突如、彼は2009年に27歳の若さでプロサッカー選手を引退したのだった。

ラウは勉学を開始し、現在はヴェストファーレン州ビーレフェルト近郊のヴェールター市にある小中高一貫校(Gesamtschule)で教師として働いている。38歳の彼は『シュポルト1』のインタビューで、古巣クラブや、第二の人生、そして選手へのプレッシャーや高騰する選手給与について語った。

SPORT1:ラウさん、ヴェグホルストはいかに価値ある選手でしょうか。ヴォルフスブルクのレヴァンドフスキと言えますか?

ラウ:そうだね。そう認めるよ。拮抗した試合ではゴールを決め、点差をつけることが大切だ。ヴェグホルストはその役割を完璧にこなしている。

SPORT1:ヴォルフスブルクのオリバー・グラスナー監督は物静かな人物ですね。彼の仕事ぶりはどうですか?

ラウ:彼の仕事は一流だ。グラスナー監督は自分のことを多くは語らない。そのため、彼を正しく判断するのは難しい。しかし、最近の議論は別として、彼の成果はどれも十分なものだ。彼はクラブにマッチしているように見えるね。

SPORT1:ヨルク・シュマトケ氏は2年前からVfLヴォルフスブルクのスポーツディレクターを務めています。なぜ彼はヴォルフスブルクに相応しい人物なのでしょうか?

ラウ:彼について耳にした話はどれもポジティブなものだった。コンスタントな成果を上げていくためには、このクラブに強力な人材が必要だ。彼はそれを成し遂げたね。

SPORT1:バイエルンは今、やや引き分けの多さに苦戦しています。歴代ドイツ王者が低調な理由は何でしょうか?

ラウ:バイエルンはそのエンジンが弱まり、疲弊している。やや弱った状態だ。しかし、似たようなチームは多い。ボルシア・ドルトムントには注目が集まる。これまでのバイエルンなら超人的なチームだけどね。しかし、今、彼らは今の望ましくない状態を克服できてはいない。リーグをさらに盛り上げ続ける意味では、良いと思うね。今日ではあらゆる要素が含まれており、どのような形でシーズンが終幕するのかまだ全く想像が付かないない。

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SPORT1:あなたはバイエルンとヴォルフスブルクの両クラブでプレーされていましたね。ヴォルフスブルクやミュンヘンでの生活を振り返ると、どうですか?

ラウ:自分がプレーしたクラブとのつながりは、常に感じるものだね。VfLヴォルフスブルクで19歳のときに活躍し、レギュラー選手となった。その後ドイツ代表でもプレーするようになり、FCバイエルンで私はチャンスを得た。ただ、これ以上は上に行けなかったね。チャンピオンズリーグに出場し、ブンデスリーガやカップ戦でも優勝を果たした。残念ながら怪我で不運な時期が多く、ビセンテ・リザラズとは非常に厳しいポジション争いをしていた。その点、当時の私はバイエルンで絶頂期を迎えていた。その後は下り坂のキャリアだったけどね。でも、こうした経験には感謝しているよ。

SPORT1: オットマール・ヒッツフェルト元監督は当時、あなたをバイエルンへと引き抜きましたね。

ラウ:その通りだ。その後、フェリックス・マガト氏が監督としてやって来て、私は退団することになった。しかし、それは彼のせいではない。間違いなく、マガト氏は昔から厳しい監督だった。でも、彼なりに成功していたのだから、それを批判する必要はない。もちろん、バイエルンでは忍耐がなかった、それは昔からそうだった。ここでは、他のクラブに比べてもミスは許されない。若い選手の場合、特にそれが言える。そして、私がダメなら他の人がプレーする。特にチーム内の競争が激しいのだ。だからこそ、最終的には自分にとって非常に難しい結果になってしまった。しかも怪我が多いのならなおさらで、倍の苦労をすることになるね。

SPORT1:かなり苦しんだわけですか?

ラウ:苦しんでいたというわけではない。私にとって、加入後すぐは良かった。コンディションさえ整えば、レギュラー選手としてプレーしていた。怪我をして復帰まで半年を要したため、辛かった。復帰してもプレーできなかったことで、悔しい思いはあったね。そして私のバイエルンでの道は、ここで終わりを迎えた。

SPORT1: ヴォルフスブルクとバイエルン、どちらが良かったですか?

ラウ:難しい質問だね。ヴォルフスブルクでは、なんとか苦労しながらも前に進めていたのは良かった。ミスもまだ許されていたね。プレッシャーもなかった。ミュンヘンでは、あらゆるサッカー選手たちが夢見るような経験ができた一方、怪我で辛い時期でもあった。

SPORT1: あなたの元チームメイトであるハサン・サリハミジッチ氏は、現在FCバイエルンのスポーツディレクターを務めていますね。彼をどう思いますか?

ラウ:ブラッツォ(サリハミジッチ氏の愛称)は、素晴らしいと思う。誰もが彼を評価したいと考えているが、ほとんどの人にとって評価が難しい。でも、現役時代と同じようにピッチ上で非常に几帳面に仕事をしてくれる人物だね。かつての彼は、ピッチの殺し屋だった。これは彼の今の立場にも活きていると思う。彼は思慮分別があり、それはトランプゲームで遊んだ当時も感じるものだった。これからも、たくさんの応援を受けてほしいね。

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SPORT1:バイエルンを退団後、あなたはアルミニア・ビーレフェルトでプレーし、プロサッカー選手を引退して教師になったそうですね。なぜそうした道を選んだのですか?

ラウ:私はこの決断を後悔したことはない。私は今でも教師として幸せを感じており、この仕事はまさに私の得意分野だ。この先何年もこの仕事で幸せが続くだろうと感じている。そして、それはずっと頭の中にあった。私は高校を卒業すると、大学で勉強して教師になろうと考えていた。でも、プロサッカー選手という夢の仕事がそこへ舞い込んできたんだ。とはいえ、そのマイナスの部分があまりいいものではないと感じた。それと同時に、他の職業のほうが私を幸せにしてくれるだろうということに気付いたんだ。これほど多くの経験をさせてくれたサッカーには、とても感謝している。しかし、教師となり、私はまったくの別人となったね。

SPORT1:今は何を教えていますか?

ラウ:ビーレフェルト近郊にある小中高一貫校で体育と生物学を教えている。私が担任するのは8年生(13歳、中学1年生相当)だ。でも、私は上の学年すべてでも教えているので、あらゆるプログラムとも言えるね。

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SPORT1:プロサッカーにおける若手選手へのプレッシャーは、どれほどの危険が潜んでいるのでしょうか。また、あなた自身についてはどうでしたか?

ラウ:プレッシャーは当時すでに極限状態だった。いつもプレッシャーを感じていた。ブレイクしてからも、サッカー選手として活躍が求められるから、そんな感じだったよ。自分のプレーのチャンスは何なのか、よく考えていた。もちろんライバル選手たちより活躍したいと思っていた。そして週末には、明らかにアドレナリンが溢れ出ていた。プレッシャーに対応できていた。しかし、私は完全に操られていたような気がし、すべての予定の中に私が組み込まれていた。自分の人生を自分でコントロールする余裕はなかったね。

SPORT1:選手へのプレッシャーはますます大きくなっていると言えますか?

ラウ:残念ながら、そうだね。金銭がどんどん流入しているので、ミスが許されることが少なくなっているためだ。それは多くのプロ選手たちにとってストレスとなり、危機的状況に陥る可能性がある。ロベルト・エンケの自殺後も何も変わっていない。変化を期待してはいない。こうした確立された業界構造を解体するのは、容易でないからね。

SPORT1:今は何が一番の楽しみですか?

ラウ:自分で何かを自由を決めれるというのは、当時の私からすれば最高のことだった。だが、もう何年も前から教師を務め、2年前には父親になっていたため、私の人生はすっかり変わった。また、自分がプロサッカー選手だったという事実を考えると、つらくなることもある。なんだか別人の人生を歩んでいるような気がするからね。サッカーは、今後も私の人生でずっと重要な部分を占めることだろう。ただ、サッカーを楽しむ方法を見つけることができた。幸いにも、もう私の職業ではないけどね。

SPORT1:今後長い間、こうあってほしいと望むサッカー界の変化は?

ラウ:サラリーキャップの導入は見てみたいと思う。今は滅茶苦茶な金額が動いているからね。それはより人間的な生き方に近づくための第一歩だろう。近年のサッカー界で支払われている給与額を耳にすると、良い気分にはならないね。私は、あまり車や高級時計が欲しいと思ったことはない。旅行は好きだけどね。自分自身のステータスというのは、私にとって重要ではなかった。だからこそ、引退後に大学へ入学しても、今のような生活をしていても何の問題もなかった。解放された気分だったよ。

SPORT1:ヒッツフェルト氏やマガト氏には、このことを電話で話しましたか?

ラウ:私は先駆者だった。ヒッツフェルト氏はかつて自身が教師を務めていたこともあり、私のことを理解してくれた。マガト氏はどちらかというと、元プロサッカー選手が教師になることの可能性に関心を持っているね。そして、ルディ・フェラー氏はサッカーを愛する人々が好きだ。だが、彼とはとても良い会話ができ、私が教師になることを伝えると、彼はその思いをよく分かってくれたよ。

▼元記事
https://www.sport1.de/fussball/bundesliga/2020/12/fc-bayern-vfl-wolfsburg-tobias-rau-ueber-muenchen-weghorst-salihamidzic


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