りゅうせん

“ 人生は何のためにあるのか”“本当の幸福とは何か” 僕なりにその答えを探しています。…

りゅうせん

“ 人生は何のためにあるのか”“本当の幸福とは何か” 僕なりにその答えを探しています。 このあまりに理不尽で残酷で生きづらい世界の数多の悲しみに、儚くとも美しく輝く希望という明かりを灯していけたら幸いです。

最近の記事

いつか誰かの憐憫を誘うとしたら ②

「人間というものは結局自分の能力内でできる範囲のことをやるしかない。 君は『真善美』といったえらく高邁な理想を掲げておきながら、一寸たりとも動こうとしないのはどうしたことだろう。 行動には自愛を孕んだ正義がある。 これこそ人類共同体で生ける者としての秩序だ。 それに引き換え君はなんだい。 やれ隣人愛だ、自己犠牲的精神だとさもしく唱えておきながら、その陰で自分のポーズを前にニタニタと気色の悪い笑みを浮かべ 『なんて俺はいじらしいのだろう』 と憐憫を振りまいておるではないか。 そ

    • いつか誰かの憐憫を誘うとしたら ①

      褒められたい、ただそれだけの事である。 人と違う生き方を選んでいるのは自分自身の劣悪性に対するだらしのない諦めなのだ。 恥ずかしながら、今まで生きてきて他人に誉められたことがない。 それゆえ短絡思考であるかもしれないが、ならば人と同じ行動をしてはいけないというなんともおかしな結論に至ってしまったのだ。 どうやら勘違いの多い人間であるようだ。 あたかもどこかに切り札を隠し持ってるかのような思わせ振りな物言いである。 こういうタイプは始末に負えない。 「私はつくづくダメな人間で

      • 真相

        “希望を持たねば人はやがて動けなくなる”   だけど私が思うに、現実はいつだって苦いもの。酸鼻である。蜃気楼のようなものだ。   日常の鼻先にはいつも甘い夢や理想が散在している。 僕らは“そいつの正体”が怪しいと感じながらも安易にそいつに喰らいつく。 神々しい様で「おいでおいで」と微笑み手招きしておいて、つい気を許して思わずふらふらと近づき手を伸ばしたところで、そいつは瞬時に身を翻し、そしてさらに近づこうとするとまたそいつも近づいた分だけ遠ざかっていく。 ひとたびそうなって

        • 赦し給え

          我は病弱ゆえ芸術を好む。これ、儚きセンチメンタルの慰安。自己への埋没。 今日の自分はいつにも増して無様だった。うつ伏せに寝転び煙草を吸いながらアニメを見て馬鹿笑いしているのである。白痴に似ている。ところが眼前に厭悪の湖畔忽ち広がるとハッと我に返る。なんだか申し訳ないやら恥ずかしいやらで居たたまれない。松陰先生は日に三度反省なさるそうだが、僕は日に三度我が身を辱しめ、それでいて一向に改める気配がない。 それどころか居直って今日の己の体たらくを教育や政治の責任にしてしまう始末であ

        いつか誰かの憐憫を誘うとしたら ②

          雨中の散歩

          肩書きを失った人間は身動き一つ出来ない。 僕は生き方を知らない。 厳粛の壁。息が出来なくなった。 それからようやく重い腰を上げ、久しぶりに走ってみたく思った。 川を横切る風に吹かれながら。   少々慌てすぎたのかもしれない。現実は思っているほど陰惨なものでない。もう少し呑気に構えていようじゃないかなどと今日はいつになくバカに能天気である。 中核が見えない。視点を変える必要があるかもしれない。 いや、むしろあの頃の自分に見えていたものは一体なんだったのか。離れて見なければ把握で

          殺伐

          どうもダメだ。 僕は今アパートの部屋に一人居て、読者をしている。どうもこの部屋は静かすぎるようだ。時折通り過ぎる電車の音は却って静寂を確然たるものにする。 死ぬ為に生きている気がする。それも一歩一歩ジリジリと死に近づいているような心地。これ以上良い生活に臨めないことを情けなく思う。今より上が今後訪れることを期待してはならない。今有るのが最上なのだ。僕にとってはそうなのだ。だからここまで落ち延びてきた。 引っ越しが正式に明日に決まった。部屋の整理も粗方終わったので、今日一日予

          敗軍の将

          今、横浜へ向かう新幹線の中に居る。目的はアパートの処置だ。昨晩に決めてすぐさま決行に到ったのだ。しかも母親にただ一言告げただけの決行だ。つくづく直情的で短絡的な人間だと思う。結局無重力の人生なんだろう。 今朝になっていつもの優柔不断がフラッと顔を覗かせたので、「これはいかん」と思い、すぐさま支度に取りかかった。 同じ町内に住む幾人かの知人には悪いが黙って出ていくつもりだ。挨拶に寄ろうかと少々迷ったが、今回は凱旋などではなくむしろ撤退に近いのでよそうと思う。敗軍の将が敗色濃厚で

          帰京

          戻らぬと心に決めていたアパートにひょっこり行った。部屋の惨状は案じていたほどではなかったが、玄関のドアを開けた瞬間に蜘蛛の巣が出現したのには驚いた。 近所に住んでいたA君が部屋を引き払っていたのを知り一瞬裏切られたと思ったが、先に出ていったのは自分の方だったと思い直した。その夜、世田谷の友人を部屋に呼んで、少ない酒をちびちびやり、煙草のみをガンガン吸い、さしたる内容の会話もなく友人は終電前、早朝仕事があるからと告げ帰っていった。 一人取り残された部屋は異様なほど狭く感じられた

          ペシミズム 終

          学問の過尊やめよ。試験全廃せよ。あそべ、寝転べ。我ら巨万の富貴を望まず。立て札なきたった十坪の青草原を! 紅顔の泣き虫。飴買って欲しさに今日も駄々こねる。 「語らざれば憂い全く無きに似たり」 とか。これだ!出し惜しみはいかん。けれど、徒手空拳。打てども打てども、ただ虚しく空を切るのみ。 たたく門?そんなものあるか。 陋屋(幽霊屋敷)の門なら叩き過ぎて壊れちゃった。 「かりそめの 人のなさけの身にしみて まなこうるむも老いのはじめや」 近頃など夜も更けて風呂上がりの際に一

          ペシミズム 終

          ペシミズム 4

          苦悩することを呼吸をするように常日頃から繰り返していると、いよいよ痛みが肉体の一部のように感じてくる。ちょうど磁気を帯びた金属に似ている。体質と言っても間違いではない。このまま一生わけの分からぬ苦痛に堪え忍び、毎日転々としながら生きる宿命のようだ。一見舞台における悲劇のヒロインのように暗い照明のなかで悲嘆にくれる光景をイメージするだろうが、実際は感情の神経が麻痺しているのか案外平然としている。ただ胃の痛みだけが何かしら鼓動のように当たり前にあるのみだ。 赤ん坊は感情を伝えよう

          ペシミズム 4

          ペシミズム 3

          向かい風のときは混乱の渦に呼吸さえできず、追い風のときには態勢を整えるのに必死でちっとも楽にならない。 それでも俺は走り続けなければならない。 幻燈のまちへ行ってみたい。 姿勢になんの負い目も持たずに居られるそのままで生きてみたいのだ。 僕が走る。鷺がにわかに飛び立つ。近くの石の上にふわりと止まる。 そのまま近づく。また同じだけ飛ぶ。なぜかそのときいつも後ろ向き。嫌われているのだろうかと思いつつもさらに走り続ける。やはりまた飛ぶ。徐々に遠ざかっていく。もう降り立つ石がない。

          ペシミズム 3

          広島に生まれて

          平和は政治や外交に委ねるだけでは絶対にやってこない。個人レベルでも一人一人が自分にいったい何ができるかを考えていくことがきっと大切なんだと思う。 78年前、この街に原子爆弾が投下された。確かに投下された。 広島に生まれた者は皆、必然的に幼少の頃から平和教育を受ける機会が多い。家族や学校の行事で平和記念公園に行ったり、被爆者の体験談を聞いたり、そして毎年8月6日の朝には黙祷し犠牲者の霊を弔う。けれども僕は未だにこの街にかつて原爆が投下されたという事実をどのように受け止めていいの

          広島に生まれて

          ペシミズム 2

          私は「実物」というものを知らない。目にするのは造花や絵画、紙芝居。だから放火や強盗なんでも有り。 人物月旦も必要なし。関わる人間はネット媒体を通じてのみである。 桜の幹でミンミン鳴くアブラゼミ。側には月見草。 つまりわからないのだ。 ひょっとこの面を被った芸術家。モラルを知らない現代っ子。 さて、先ほど「最近怖い夢ばかりみる」ということを話したが、その夢とは決して魑魅魍魎に追われる夢や殺人に遭うといった典型的な悪夢ではない。 私にはコンプレックスが数多くある。幾多のそれが混

          ペシミズム 2

          ペシミズム 1

          この頃、恐ろしい夢ばかり見る。 人の顔を見ただけでムカムカする。 ひと思いに打ちのめしてやろうか。 周囲の笑い声がとても苦しい。 誰か俺を笑ってやしないか。気が変になりそうだ。 どこまで理性を保てるだろうか。 敵から身を守らなければやられてしまう。 まぁ、こんな荒んだ暮らしをしてりゃ肯定される余地なんてないんだろうな。 いったい俺はなんなのだ。本当の俺はどこにいて今の俺は誰なんだ。 頭のいい奴ほど自殺する。 皮肉にも俺は愚鈍なぶん、まだ生きていられる。 ただだらしなく退廃的

          ペシミズム 1

          虚偽の美

          「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である」 プロレタリアートへの奉仕。そんな芸術など無くなったのかもしれない。   今の時代、「奉仕」という概念自体古いのかもしれない。 ほとんど死語。 それなら「奉仕」ではありえない「美」っていったいどんな「美」なんだろう? それとも単に自分が卑屈なだけなんだろうか… でも、僕にはどうしても表現者が「市民への奉仕」ではなく「市井からの報酬」を受ける存在が確立されているように思える。     「芸術の美は市民が頭を下げて捧げる報酬の美である」

          自然淘汰

          結局俺は自由になれなかった。 束縛は独りの胸にも宿ることを知った。逃げ場はない。 人間は自然界の中でしか生きられない。いや、正確には人間そのものが自然界の造物であること。 そして、外界への脱出を試みようとする者は自然界の摂理に基づいて淘汰されるまで。 精神の無力さ。絶対服従。 自然とはいかなる者もその法則の前において永久不可侵であると共に、精神その他及び諸法則などを司る認識の対象となるべき一切の絶対的権利。 「我が存在における価値は無限大なり」 なんてものはホトホト造化の作用