いつか誰かの憐憫を誘うとしたら ②
「人間というものは結局自分の能力内でできる範囲のことをやるしかない。
君は『真善美』といったえらく高邁な理想を掲げておきながら、一寸たりとも動こうとしないのはどうしたことだろう。
行動には自愛を孕んだ正義がある。
これこそ人類共同体で生ける者としての秩序だ。
それに引き換え君はなんだい。
やれ隣人愛だ、自己犠牲的精神だとさもしく唱えておきながら、その陰で自分のポーズを前にニタニタと気色の悪い笑みを浮かべ
『なんて俺はいじらしいのだろう』
と憐憫を振りまいておるではないか。
そのうえ
『願わくば我が痛み皆に届け』
と言わんばかりに無闇矢鱈に走り回り、病床の祖父を見舞うに至っては、全身黄疸、変わり果てた祖父の姿より窓辺にある雛げしの方へ目を向け
『可憐だなぁ』
などとしみじみ嘆息漏らしていたじゃないか。
僕はこの時ほど君を浅ましく滑稽に感じたことはないんだ。
酸鼻だ。
醜悪だ。
愚劣の極みだ。
まさかそれで何か善行を働いた気分になってはいないだろうね。
言っておくがね、誰を許すやら許さないやら判事にでもなったおつもり?
君にそんな権利なんて有りはしないのだよ。
生きる気概がないだって?
馬鹿いっちゃいけない。
おこがましい。
甘ったれである。
それは君の思い上がりさ。
厚顔無恥だ。
独り善がりだ。
いや、何も言うな。
わかっている。
あくまで君のなかでの正義を主張したいのだろう?
よせ、弁解はいらねえ。
未練がましいったらありはしない。
背中に汗疹を覚えたようでむず痒くてならんのだ。
もう君の欺瞞には騙されんぞ、このペテン師め!
『汝ら断食するとき、かの偽善者のごとく悲しき面容をすな』
「君は何か思い違いをしているようだ。
ただ君が僕のことを生理的に好かぬというのならそれでも構わない。
第一僕は君に憐れみを請うたことなど一度きりだってないはずだ。
それなのになんだい。
さっきから黙って聞いてりゃ随分勝手なことを言ってくれるじゃないか。
確かに君の言うことはいちいち的を得てはいるが、どうやら君は僕のことを、いや君にはどだい人の痛みなど分かりはしないのだ。
たとえば君は僕の毎日走っている姿勢を理解しておらんだろう。
これは傍らから見ているだけではわかり得やしねぇのだ。
知っているか?
実際と想像の間にははかりし得ない距離があるのだ。
君は三十度以上の炎天下で一時間走り続けて、今にも意識が飛びそうな思いをした者を捕まえておいて
『暑かった?』
ただの一言。
そんな君に僕の何がわかるというのだ。
君は僕の苦悩の根源を知らない。
理屈じゃねえのだ。
僕の苦悩の発端は生まれもっての生命に刻み込まれたものなんだ。
これは先天的疾患のようなものなんだ。
すべての原因が肉体の性質にあるとは言わないまでも、それに追随するだけのものはあるのだ。
所詮、なんら傷を負ったことのない人間にはわからんのだろう。
だがしかし、これでも僕はこれまでそんな先天的な弱さという疾患に対し、どうにか耐えて生きてきたつもりなんだ。
それというのも、矮小ではあるが行く先に希望というものを健気にも見出そうとしていたからなんだ。
だがそれを事あるごとに無残にも踏みにじってきたのは君のような弱者に無頓着な輩だ。
かといって僕は君たちを殺したいほど憎悪してるわけじゃない。
どんな時代の多様なイデオロギーの支配下においても相対的に不自由は生まれ、必然的に犠牲者は絶えないものだと僕は知ったからなのだ。
人はいかなる時も生存するために、幸福を手にするために、または愛を一身に浴びたいが為に、互いに争い、惜しみなく奪ってきたのだ。
そして、大衆はまたそれを自然淘汰の名のもとに容認してきたではないか。
要するに僕が言いたいのは、堅固に張り巡らされた、そんな秩序のなかにも、それでもどうにか生きながらえようと必死に取りすがって生きている弱者もこの世には多く存在することを認知してもらいたいんだ。
君には僕らが醜く見えるかもしれないが、これでも自分なりに生活を汲み出そうと必死に闘っているのだ。
僕はそれ故に走っているのだ。
それでも厄介な肉体の内奥に潜む悪質な生命が『死のう死のう』と勝手に囁きやがるんだ。
勿論、その聲に耳を傾けてやるつもりはない。しかし、時折ふとした瞬間に帯びただしい車の往来のなかに吸い寄せられそうになることがある。
そして正気に戻るや否や、自分の突拍子もない行動に気づき思わず額に汗するんだ。
もはや誰に理解してもらおうとも受け入れられようとも思わない。
ただ、僕は無慈悲な現実に爪弾きにされ、惨めさと屈辱と含羞とに苛まれて生きているが、そのうえ僕のささやかな暮らしを、
『余力を残しておるくせに甲斐性無し』
だとか
『偽善者だ』
とか、
『自己欺瞞だ』
とか非難されてしまってはどうにも生きてはいけないのだ。」