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雨中の散歩

肩書きを失った人間は身動き一つ出来ない。
僕は生き方を知らない。
厳粛の壁。息が出来なくなった。
それからようやく重い腰を上げ、久しぶりに走ってみたく思った。
川を横切る風に吹かれながら。
 
少々慌てすぎたのかもしれない。現実は思っているほど陰惨なものでない。もう少し呑気に構えていようじゃないかなどと今日はいつになくバカに能天気である。
中核が見えない。視点を変える必要があるかもしれない。
いや、むしろあの頃の自分に見えていたものは一体なんだったのか。離れて見なければ把握できないこともある。
僕には誰もが気づかない時代のなだらかな丘陵の起伏をも如実に捉えることだってできる。
…と厳粛なことを語る振りをして大あくびをかいてみる。
いや、失礼、つまらない話をした。一瞬悪びれて再びぷっと吹き出す。どうもいけない。にらめっこのあの仮染めの生真面目さと言ったら。照れ隠し?ついていけない。お道化の悪い癖。ひょっとこのお面でも被ってなきゃやってられない。
なに?努力?負けん気??
そりゃ盲目の始まりだ。
自分を逃がすこともできんようでは命落とすぞ。皆巧くやってんだ。
愛?それはもっとたちが悪い。気取るのもいい加減にしなさい。その首からぶら下げてるネックレスのことでしょ? 虚飾は泥棒の始まり。
そんなことより実績を積んだりライセンスを取得したりなど明確な評価の対象になることに躍起になったほうがいい。
功利主義だっていいじゃないか。どうせ価値なんてあやふやなんだから。
どだい平和過ぎるのがよくない。人というものは艱難は共にできても富貴は共にできないようにできているのだから。
何やら調子付いてきた。ペシミストの本領いよいよ発揮か?

今日は朝から雨が轟々と降っている。そんな中を歩いたらなんて爽快なことだろうと思った。ずぶ濡れになりながら水溜まりを蹴り上げ軽快に歩いた。不思議と微塵も違和感を感じない。
自意識が足りない?悲壮感の押し売り? 馬鹿言っちゃいけない。
胸を張っている。鼻唄も弾んだ。
ふと、背後に冷ややかな視線を感じたので振り返ってみると誰もが僕の傍にある大きな水溜まりを避けるようにして歩いている。
通りすぎざま横目でちらっと僕を確認したあと憮然とした表情で立ち去っていく。その刹那、恐怖の念が走り抜けた。
元来人一倍臆病だ。
恥ずかしさにいたたまれなくなり、その場に立ちすくんだ。周囲の傘の華はバリケードのように僕に威圧感を放っているではないか。独りを悟った。
所詮は世間識らずの甚六である。惨めな思いに動じない度量など持ち合わせてはいないのだ。
泥の中を這いずり、無我夢中で草莽やら雑踏やらをかき分け、這々の体で逃げ帰った。四面、いや八面楚歌だった。
この時初めて雨の中では傘を差さなければならないことを知った。
戦わずして卑しく這いつくばった気の弱さはさておき、雨中の散歩は楽しいものだと思いたい。

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