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ペシミズム 4

苦悩することを呼吸をするように常日頃から繰り返していると、いよいよ痛みが肉体の一部のように感じてくる。ちょうど磁気を帯びた金属に似ている。体質と言っても間違いではない。このまま一生わけの分からぬ苦痛に堪え忍び、毎日転々としながら生きる宿命のようだ。一見舞台における悲劇のヒロインのように暗い照明のなかで悲嘆にくれる光景をイメージするだろうが、実際は感情の神経が麻痺しているのか案外平然としている。ただ胃の痛みだけが何かしら鼓動のように当たり前にあるのみだ。
赤ん坊は感情を伝えようと大声で泣くが大人になるとそうはいかないし、直情的な人間をみっともないとさえ感じるので、人前ではただ静かに笑うように努めている。これが一番無難なのだ。
人は皆孤独の中で生きていくものであると思うから、他人に理解や共感を求めたところで孤独であることを再確認するだけで不毛である。
もし長生きすることを望むのなら、日々の生活に虚しさを感じたら、すぐにでも映画館やカラオケボックスに飛び込んだ方がいい。下手に物事に懐疑することを覚えてはいけない。そこからは死出の旅路へと続くことになる。正直に生きるということは後々自殺に追い込まれる憂き目に会うかもしぬので気を付けた方がいい。真理への道のりは遠く険しい。そのわりに報われることは少ない。

ホームドラマを見ても登場人物に自分を重ねられないのでちっとも面白くない。
気付けば眼下に街の灯り点々。純真なのだろうか。だから死に急ぐのか。俗と我。笑いを必要とせぬ黄泉の国。思い浮かぶのは石の山積み作業。如何にしてバランスよく重ねるコツを掴むかのみの暮らし。すなわち仏頂面の鋳型。能面被るも同然。これも意味を無くした者の悲劇の顛末。
意味が意義を奪うの繰り返しでここまで来た。ここまで来たら行けるとこまで行くのみ。苦悩の発端は遠い過去に置き去りのまま。いつの日か振り返る日が来るだろうか。ただの背中の痒みから自殺を考えるに至った日々のことを。狭所多湿を好んで棲み、自意識のなかで走り回り、会話のなかで眠りにつく。コンプレックスの捜索を趣味とする悲観が好物な閻魔コオロギ。雨天中断中のスポーツのようにただいま布団のなかで朝の来るのをひたすら待ちわびておる。十年遅しとせず。
世間の少年少女、自己表現の場と手段探し求めている様子。それより君たち、アイデンティティーの確立が先決では?性別の他に自身を証明する手段持っているのか。まずてめえの正体明らかにせよ。そのためにはね。まず太宰どんの「晩年」手垢で汚れるくらい読みたまえ。あ…いや、これは失礼。君たち死んじゃいかん。

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