等加速
この階段を僕はいつものように、ほとんど息も絶え絶えに登っていた。
どうにか土手のてっぺんに身を乗り出すと、野ざらしになった僕に向かって急に強い風が左から右、右から左へと襲い掛かり、思わず仰け反りそうになる。
ランニングの帰りにはいつも決まって僕はここで足止めを食う。
路上の隅で僕は小さく佇む。
そこへ右方向から車が一台やってくる。
反対車線からはない。
横断するなら今がチャンスだ。
しかし、時速約50kmほどのスピードで向かってくる車と僕との距離は、道路の向こう側へ渡るには微妙な距離だ。
毎日ここを渡らなければならない僕は至って無理な横断はしないように心がけている。
この道は隣町へと通ずる一本道のため幾分交通量が激しいためだった。
仕方なく僕はドライバーとの駆け引きを試みる。
すると、フロントガラス越しには
「どうにか自分だけ行かせてもらえないだろうか…」
という切な表情が浮かび上がっている。
気の弱い自分はチラッとそれを見るなりすごすごと踏みとどまる。そして、その車が通りすぎると、また同じ方向からやはりさきほどと同じスピードと間隔で、しかも似たような車がやってくる。
ドライバーは
「今 暫し待たれよ!」
と言っている。
渋々と横断を諦めると、その車が通りすぎるかすぎないかのうちに、いきり立つようにして僕は前方へ素早く身を乗り出す。
すると、また横からやはり同じように車が向かってくる。
僕は一瞬躊躇して、けれども思い切ってさらに一歩を踏み出す。
「今度ばかりはゆずれない!」
すると途端に物凄いエンジン音が鳴り響き、そちらに目を向けると、さっきよりさらにスピードを上げた車が「そうはさせじ」とこっちへ猛突進してくる。
その様子に僕はたじろぎつつも強引に渡り切ろうとする。けれど、相手はその思いを妨げるようにさらなるスピードで向かってくる。
どう見てもブレーキを踏む気配はない。おそらく奴の目には僕の姿は行く手を阻む邪魔者としか映っていないんだろう。なので躊躇いも迷いもありはしない。
ドライバーらの眼は血走っていた。
行き場を失った迷い子のように僕はその場に悄然と佇んでいた。
「生存競争」
その厳然たる原理法則の世界の住人たる彼らにとって他者への思いやりや譲り合いなど空論に過ぎない。
誰もが「我こそは」との思いで生きている。
資本主義とはまさに競争原理そのものであり、皆が揃って一様に勝利することなど成し得ない世界である。
勝つか負けるかただそれだけだ。
ゆえに自分だけはなんとしてでも生き残りたいという切実なる思いが生まれ、そしてその思念に縛られる。
一体この世の中はどれほどの犠牲の上に成り立っているのだろう。
ルールを乱す者は許さない。
調和を乱す者は許さない。
空気を乱す者は許さない。
勧善懲悪など勝者の詭弁。
正統なる道徳や倫理の持ち主たる称号は勝利者のみに与えられるもの。
そんな僕の思いとは関係なしに次から次へと“盲進”の車が過ぎ去っていく。
それらは決して途切れることなく、それでいてお行儀よく等間隔に連なっている。
僕にはそれがあたかも一人の人間が何度も往来しているような滑稽さを感じていた。
もはや僕は横断する気も失せてしまい、たった幅3m程の路上で三十分も立ち往生していた。
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