見出し画像

真相

“希望を持たねば人はやがて動けなくなる”
 
だけど私が思うに、現実はいつだって苦いもの。酸鼻である。蜃気楼のようなものだ。

 
日常の鼻先にはいつも甘い夢や理想が散在している。
僕らは“そいつの正体”が怪しいと感じながらも安易にそいつに喰らいつく。
神々しい様で「おいでおいで」と微笑み手招きしておいて、つい気を許して思わずふらふらと近づき手を伸ばしたところで、そいつは瞬時に身を翻し、そしてさらに近づこうとするとまたそいつも近づいた分だけ遠ざかっていく。
ひとたびそうなってしまえば、もう理性もへったくれもない。
こちらも必死の形相で挑みかかるものの、一向に実体を掴まえることままならず、延々と時だけが費やされていくのである。
 
うまい話には得てして「罠」というものが潜んでいるもの。
予備知識の無さがあらぬ失敗を招くことがある。
今回はそんな話。
 
この度、兼ねてから検討していたパソコンを思い切って購入することにしたのだが、私はいかんせんそっち方面の情報に疎く、知識も全くない。強いて言えば高校の時、授業で何度かいじっただけのことである。
要するに完全なる「AWAY」なのだ。
とりあえず、販売店の広告を幾つか集めて物色してみたものの、いったい何を基準に良し悪しを決めていいのか皆目見当もつかない有り様である。
「ならば安いやつを…」と思ったところで
「まてよ。安物買いの銭失いと言うではないか。いかに安価だからといってヘタな物を掴まされてもかなわんからなぁ。」
というわけで、少々面倒ではあるが本屋まで赴き『初心者向けのパソコン購入ガイドブック』なるものを読み、ちょっくら知識を取り入れることにした。
しかしいざ本を手に取ると、そこに羅列してある専門用語や不可思議な数字や記号群が私にとってまるで仇敵のように立ちはだかるのであった。もはや侵略者に近い。理解に成功し、知識として吸収しえたものはめでたく味方となり我が陣営に迎えることになるが、それが叶わず謎のまま終わってしまったものはやはり敵のままなのである。

商品の価格については、その本の著者によると、最近は他社との競争が著しく激しいようで、ある程度の機能が備わっていれば通常だいたい15万円以下の価格で買えてしまうものらしい。
しかも多くのメーカーでは、本体に加えてさらに数種類のソフトが無料で付いてくる。
これはお買い得だと、嬉々として喰いついてみると、やはりそこには「落とし穴」が待ち受けている。
とかく私のような“ド素人”に限っては注意が必要だ。サービスの良さの裏側に隠された「売り手側の狙い」があり、消費者側があたかも得をしたような錯覚に陥るよう、十重二十重と巧妙な罠を張り巡らしているのである。
それはさりげなく、素知らぬフリをしているので、これがなかなかのクセモノなのだ。
しかし、それは商法としては定石であり、別段珍しいことでもなんでもないので、このことについて必要以上に邪険に評するつもりはない。
要は買い手側がしっかりしていればなんの問題もないことなのだから。 
 
その他下調べの結果分かったのは、どうやらパソコンというものは本体そのものだけでは不完全な物らしい。
それに正すと本体はプラモデルでいうところのパーツの一つでしかないということになる。
つまり本体に「周辺機器」という様々なパーツを組み合わせてはじめて“一人前”になるというのだ。
なぜそういう理屈になるのかは私のような素人には到底理解の及ぶところではないが、“業界のお偉い様”がマニュアル本の中でそう宣ってるんだから仕方がない。

こうして私はマニュアル本著者御大に導かれるまま、結局周辺機器として『プリンター』を買うハメになった。
これが大したわだかまりもなくすんなりと決断させられるから不思議である。
そもそもこの男、肝心要のパソコンを何の用途として使うのかという根本的な目的観を持ち合わせていないのだ。とりあえず文明の利器を手に入れればいっぱしの文化人と肩を並べられのではないかと考えている。甚だ軽忽なり。ステータスやブランド志向というものをあれほど軽蔑し忌み嫌っておきながらこの有り様。呆れたものである。
 
あと忘れてはならないのがインターネットである。
しかし、そのインターネットを始めるためには『プロバイダー』と契約したり、電話回線を繋ぐ手続きが必要だったりとなかなか一筋縄ではいかない。
一丁前のパソコンユーザーの資格を得るにはやらなきゃいけないことが山ほどある。ただパソコンや周辺機器なんかを揃えただけでは足りないのである。
これらの命題はすべて一括りであり
「家に帰るまでが遠足」というやつと一緒なのだ。
そういったことを予め念頭に入れながら、私は店内に陳列してあるお目当てのパソコンと睨めっこしていた。
 
………いや、申し訳ない。嘘を言った。
 
まだ店には行ってないのだ。
私が今格闘しているのは電気屋のチラシなのだ。なんのことはない。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」と孫子も言っている。

その翌日、ようやく分析とシュミレーションを終えた私は意を決し、勇んで電気屋へ向かった。
その店とは言うまでもない、地元サンフレッチェ広島の大スポンサー様であるかの家電量販店だ。選択の余地などない。当然の行為である。
対策は完璧だ。
私は店内を見渡し、持参してきたチラシの切り抜きにあるのと同じ商品を見つけだした。
それをチラシの写真と何度も見比べてみる。
展示品の傍らにある値札にもチラシの表示同様
 
13万8千円
 
とある。
これに間違いない!
御大の言ったとおりだ。
今や15万円あればパソコンが買える時代なのである。やはり偉い人の言うことは聞くものだと思った。
あとはこれを購入するのみである。
だがしかし、私はそこであることに気付いた。
 
チラシの切り抜きをよく見てみると、商品の写真の脇に小さく
“※モニター別売”の文字……。
 
しまった!これじゃあなんら意味を為さねぇ。
 
しめて30万円の出費であった。
いや、これは参った。ホッとした直後に予期せぬ伏兵がいた。敵ながらあっぱれである。
 
などと間の抜けたことを言っている場合ではない。
重要なのは「ここで何を教訓としたのか」ということなのである。
 
得てして、
 
“どうりで話が旨すぎると思った"
 
と気付いた時にはすでに手遅れでなのである。
物事を疑ってかかるに越したことはない。万事懐疑的な姿勢で事に当たるべきだ。決して甘い香りのする物に安易に手を出してはならない。
それがこの度、近い将来おそらく部屋のインテリアと化すであろう高額な買い物に加え、授業料と引き換えに私が手に入れた教訓なのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?