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"その仕事が嫌"ではなくて。〜誰にも言えないこと〜

今日は一日中雲ひとつない、秋らしい深い深い青が空いっぱいに広がっていた。

朝から満員電車に揺られ、
いつもの景色を横目に見ながらぼんやりとしてしまう。

最近考えている事は、退職と、退職するなら何をするのか、そして退職しないならどう言う働き方をしたいのか。

私には、現職でどうしても"合わない"仕事がある。


何度も書き始め、苦しくなっては下書きに入れて、公開をためらったこの問題について、書き切れなくていいからしたためておこうと思う。


●大好きでないと続かない。

自分の所属する店舗以外への"出張"。
知らない人、知らない人、知らない人。

普段仕事を共にするメンバーでならまだしも、よく知らない…あるいは、普段顔を合わせる訳でもない人たちに囲まれた仕事は非常に神経をすり減らす。

特に私のような、決して社交的とは言えない性質の持ち主にとっては地獄のような1日だ。

加えて現場の進行具合によりスケジュールが押す事はザラにあり、そうなると全体の雰囲気も肌に刺さるのを感じるほどピリピリしてくる。

"こうしたいだろうな"
"こうすれば助かるかな?"

など先回りして行動する事も憚られる。

「余計なことをしてしまったら」
「逆に進行の邪魔だったら」

常に頭の中はマイナスの感情に囚われ、肩が強張り、そのせいで普段は絶対にないようなミスをしてしまうこともある。


それはこの仕事の特殊な…客側にとってその一日が非常に特別な意味を持つ事に起因する。

また、この仕事にはそれに携わる様々な企業の人間が様々な場所から集結し進行するため、ひとたびクレームがつけば企業同士の罪の擦り合いも始まる。

客側がそれを逆手に値引き交渉ないし特別対応を求めてくる事もしばしばだ。

しかも現場は決して仕事がしやすい環境が整っているとは言いがたく、普段の自分のペースを守る事そのものが難しい。

様々な要因が重なり、クレームもつきやすく、そもそも客側に対しても神経を尖らせて対応するため、四方八方へと気を使い・・・

大袈裟に聞こえるかもしれないが、そうして蓄積された疲労は、最後には「こんなに多方面に気を遣い、責任を擦りつけられてまで続けたいのか?」と言う疑問と、精神的な疲労へと変わっていく。

更に言えば、朝は早く、帰宅は客側の都合で日付が変わる前になる事もある。


帰宅するともう、お風呂に入る事や食事をとる事もできないほどにぐったり。

そしてまた次の日を、早朝から大荷物で出かけていくのだ。


…これは現職でなく、前職での話。


結局この後私は毎日を「死にたい」と思いながら過ごす事となる。

以前話した事のある、希死念慮を抱くようになった"キッカケ"となった仕事だ。


最近思うようになった。

この仕事は、「人生の楽しみは仕事です」と言い切れるほど"好き"でないと続かない。

他に人生の楽しみを見出したり、この仕事自体に疑問を感じてしまえば一瞬でその"難しさ"や"理不尽さ"そして、こなせてしまう者にとってはそうでもないだろうが、ある種の"異常性"にばかり目が向き、心の灯火はたちまち消えてしまうのだ。


私は今も、この頃の苦い思い出を断ち切れていない。


身に覚えのないクレームで責められた。

他社に責任をなすりつけられた。

上手く要望に応えられず、お客様に嫌な想いをさせ、自己嫌悪でいっぱいになった。

弱った心の傷口に塩を塗るように、他社とのミーティングでクレームに対する尋問が続いた日もあった。

同僚や、他社スタッフの白い目、睨みつけるような目、他人の怒りや失望の顔。


今でも思い出すと苦しくなる。

心療内科にもかかった。
安定剤を飲みながら仕事を続けた。


誰かに相談するのも憚られた。
誰にもわかってもらえない気もした。

だって、私以外はみんな、私が出来ないその仕事をちゃんとこなしているから。

「辞めたい」と言えなかった。

辞めて何をすればいいのかわからなかったから。
辞めたら、人手不足のこの会社にも迷惑がかかるから。

でも、「もう2度と関わりたくなかった」


この仕事でなければなんでもいい、とすら思った。
この土地を去り、誰も私を知らない所で細々と今の仕事携わる道はないかとも思った。


心の中は悲しみと、自分で決めた道を自ら全うできない自分への失望、絶望感でいっぱいで、それでも何故か泣く事はできなかった。


繰り返し書いてきた通り、
友人や彼との時間、旅行などの非日常がを味わう事、周囲がまるで"普通"かのように楽しんでいるそれが、私にはできない。

もしかしたらしようと思えばできたのかも知れない。

だけど、人と会おうとか、遊びに行こうとか、そんな考えも一瞬で絶望に変わる。

時間も気力もない。
休みがあれば何も考えず寝ていたい。
どうせ起きたらまた絶望に襲われる。

常に頭が"仕事"に付随する自己嫌悪やそのものに対する嫌悪感、悩みなどに支配されているその状態で、心から笑って、全力で遊んで…などと言う物は、大袈裟ではなくもはや幻想とさえ思っていた。

旅行なんてどうせ行けない。
休みなんかもらえないに決まってる。
例え行っても、心から楽しめないだろう。


どうしてみんな、こんな難しい仕事ができるのか。

何もクレームがついたり、失敗があるのは私だけではやい。

どうやって立ち直るのか。
どうやってまた、仕事へと向かうのか。
なぜ熱意を持てるのか。


今もその仕事に携わり、形は違えど同じような現場に立つ度に、あの頃の記憶や断ち切れない心の傷を抉られるような出来事に出会う事がある。

今も昔も、正直自分だけが悪いとは思えない事案に頭を下げる事もある。


でも、だ。


もちろん私とて、
お客様から感謝や喜びの声を掛けられる事がなかったわけではない。

感謝の手紙をいただいた事もある。

別に私は、この仕事に携わる事そのものが本当に心から嫌いな訳ではないのだと思う。

続けているうちにできるようになった事もある。


お客様が嫌いなんじゃない。
おそらくそれに携わる多種多様な業種の人間…いわゆる"業界の人間"が怖いのだ。嫌なのだ。


●その空気感が怖い。

負の感情に苛まれる出来事。
この衝撃が大きいほど、私はその出来事を他人に話す事ができなくなる。

"今日こんなことがあって嫌だった"

と言う、その大まかな流れだけでも誰かに話せていたら、少しは違うのかも知れない。

心の傷を誤魔化すためなのか、弱い自分を見せたくないのか、それとも、自分がやらかした失態を他人に知られるのが怖いのか。

理由はわからないが、多少は愚痴っぽい事を言っても、周囲は決して私を非難したりしないだろうと分かってらいるのに、何故かそれを"口にしてはいけない"と制御しようとする自分がいる。


私はおそらく、
相手の抱く"負"なり"正"なりの感情に非常に敏感なのだ。

携わった相手の出すその空気感に連れていかれやすい。

そして、この業界に携わる人は、当然ではあるが"負"の感情を持って現場に立っている事が多い。

表向きは"祝い事"で、幸せのお手伝い…などと言っているその裏で、先述したような罪の擦り合いや感情のぶつけ合いを目にし、それが自分に向けられた物でなくとも一緒になって感じ取ってしまう。


「人が嫌い」、「人が怖い」、いや、正しくは、

"その空気感が怖い"

なのかもしれない。


過去のトラウマとなった記憶、それだけではなく、そもそもの性質として苦手なのだ。


その傷も癒えぬ内に、また無意識に同じような傷を負い…その繰り返しにますます不安が大きく、心は重くなり、潰れてしまうのだ。


「休みがない」とか「自分の時間が取れない」…などは実はそれに共鳴してついて来た"不満"で、問題は"現場の人間関係"そのものだ。


相手とて、わざわざ不機嫌になりたい訳ではないだろう。

緊張感やプレッシャーに潰されまいと気丈に振る舞っているのが、弱った私の目には"怒り"に伴う威圧的行動に映ってしまったのかも知れない。

怒っているように見えるから、こちらは相手の出方を伺い、顔色を伺いう事に全神経を集中させてしまい、頭ではわかっている通常のやりとりや業務すらままならない。

今、世間で問題視されている"パワハラ被害"にも似た構図だ。

それもこの業界の産み出したブラックな側面による負の産物だろう。

むしろ相手もその被害者にすぎない。
きっと相手にも、同じような"癒えぬ心の傷"や"言えぬまま飲み込んだ理不尽な出来事"があったりするのだろう。

気の毒ではあるが、正直それが人を見下したり心無い言葉をを投げつけたり、威圧的に従わせていい理由にはならない。


●縁を切るとするなら・・・

現場さえ和やかなら、
この仕事そのものに対する嫌悪感も和らいだはずだ。

現に、何度も足を運んだ現場で、他社スタッフとのやりとりがスムーズに行える場合に限り、比較的おだやかな気持ちで仕事へ向かう事ができる。

この仕事は向いてない。
だからスッパリ辞めたいしもう関わりたくない、縁を切りたいと思うのか?

そう自分に問いかけた時、心は釈然としない。

"全く関わりたくないかと言われればそうでもない"

先述したように、決して成功例がなかった訳ではないし、達成感を覚える事も少なくなかった。

だが、無駄に長い拘束時間や休みの取りづらさ、仕事自体の複雑さや難しさ、それに耐え、克服し、乗り越える事が、今の私にとってはそれほど重要には感じない。

乗り越え、仕事が"できる"自分になったところで、それが故に逆に、休みの取りづらさや拘束時間の問題は更に深刻になるばかりだろう。


もし、今すぐ辞めても大丈夫なくらいの潤沢な資金があれば、退職ももっと現実的に考える。

「人生の中でさほど重きを置くほどではないが、もし
もう少し和やかな雰囲気で現場に立てるのであれば、たまにはあってもいいかも。」

くらいの位置付けだ。


プライベートや"どこまでが私の仕事か"の線引きがあまりにも曖昧で、ある現場では「●●までやってほしい」と言われ、他の現場でも当然そうする物かと思いきや、「 ●●はこちらの仕事ですのでconaさんは関わらなくていいですよ!」と言われる事もある。

私たちのような職種の人間を召使のように扱う客や他社スタッフもいれば、「あなたたちがいるから」と大切にしてくれる他社スタッフもいる。

スケジュールや詳細がはっきりしない現場もあれば、分刻みできちんと決められた現場もある。

何もかもがいつもどこか微妙に違って、ハッキリと自信を持って行動しづらい。


"グレー"とか"臨機応変"が苦手な私にとってコロコロ変わる現場のルールやマニュアル、人間関係が苦痛になるのは自然な事ではある。


そこへ輪をかけて、
人を見下し、雑に扱う他社スタッフの振る舞いや威圧的な態度、刺すような視線など、公私に拘らず私の苦手な物が凝縮されたような現場の空気感に耐え難さを感じるのも当然なのかも知れない。

●●までならできるから、それ以上はやりたくない。
自分の心や時間を投げ打ってまではやりたくない。

そう言う線引きを、客や先方の都合優先で決して自分の裁量でコントロール出来ない事もストレスの一環だ。

"私が縁を切りたいのは、この仕事ではなく、どうであれ、自分や自分のような立場・職種の人間を雑に扱う人間"

仕事で一目置かれれば、相手の態度は変わるのかも知れないが、そうまでして優しく接してほしい、指南してほしい、などとは言わない。

そうではなく、ただ、正直あまりにも…己の怒りを制御できず、ともすれば客前でも感情を露わにする者たちに、自分の機嫌を自分でとってほしい、それだけだ。


●誰が悪なのか?

「そもそも仕事ができないconaが悪いのでは?」
そう思う他社スタッフもいるだろう。

…については、重々承知の上で、だから、こんな心持ちで他人の人生の大切な一幕に携わる事を辞めた方がいいのでは?と思うのだ。

反省はしているし、向かないとわかっていつつも続けようとしたこと自体が間違った判断だとはわかっている。


でも、正直に今の気持ちを話せば、

本当にあなたたちには一切の非がなく準備や当日の行動に一点の曇りもなく「完璧だった」と胸を張って言えるのかを問いたい。

私だけが一方的に絶対に悪かったか?…と考えてみても、そうではない。

複雑な動線や無駄なスケジュールの空き、かと思いきやタイト過ぎるスケジュール、無駄に厳しいルールや行きすぎたお客様第一主義、かと思えば拝金主義、そして根本的な準備不足、など、例え私が何もしなくてもクレームに発展していたであろう要因がそこここに転がっていた。

この全体的な余裕のなさが、関わる全ての人間の精神的余裕のなさに繋がり、やがてクレームに繋がっているのだ。

決して、誰か1人だけが悪い訳でもなく、誰か1人だけを責め立てて解決する問題ではなかった。

私の知らない所でのやりとりに、そもそも客側が不満を抱いていた可能性は絶対にゼロなのか?

そちらがこれから改善すべき点は一切皆無なのか?

そもそも自分たちの"力量"に見合った仕事をしていたのか?


--------数年後。

とある企業でスタッフの退職が相次ぎ、他社に委託する形で運営すると事になった、と風の噂に聞く事になる。

私は驚きもしなかった。

私に良くしてくれていた社員さんの、言葉が蘇る。

『私はこのタイトスケジュールに納得はしてませんけどね。』

その通りだと思った。
儲けのために客数を詰め込む、そのためだけのタイトスケジュールで、会社側が"大切だ"と上辺で宣う"お客様"にご満足頂けるわけがない。

彼女もきっと、その矛盾と戦っていたんだ。
きっと他にも、戦っていた社員がいたんだ。

ロボットのように正確に迅速に、ただ現場を回す事を、決してみんなが"よし"としている訳ではない事を知り、当時の私がどれだけ救われたか。

あの人に今は仕事で関わる事はないけど、少しでも寄り添ってくれたあなたは、どこかに幸せに働いてくれている事を心から願う。

この業界がウリにしている"夢"などは実際どこにもないけど、少しでも"希望"と"優しさ"を与えてくださってありがとうございました。


そうして自分や、所属する会社の"問題"に向き合う事なく、働く者の苦しみを知る由もなく、これからもこの業界は回り続ける。

沈みゆく船と、心のどこかで知りながら。


今日は、ここまで。


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