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中高生が「弱さのちから」を読んで。

少し前の9月に、Co-musubiの中高生と、若松英輔氏著書「弱さのちから」を読みました。その感想を残しておきます。


なぜ選んだのか。そのきっかけは、若松さんが解説を務めたNHK100分で名著「100分de災害を考える」でした。
若松さんが、涙声で痛みを抱えた人たちへ心のこもった言葉を寄せていらっしゃる姿に感銘を受けました。


若松さんの紡ぎ出す言葉は常に美しく、ハッとさせられることばかりです。
そして、すっと心に染み込みそこにある傷を癒やすような優しさにあふれています。

ぜひ中高生に、若松さんの表現や想いに触れてほしいと願い、「弱さのちから」を選びました。


「弱さのちから」は、

「私たちは、強くあるために勇気を絞り出そうとする。だが、残念ながら、そうやって強がろうとしても勇気は湧いてこない。それは自分の『弱さ』と向き合いつつ、大切な人のことを思った時、どこからか湧出してくる。」

弱さのちからより

とはじまります。

「今日いう『安定』は、大地に深く根ざすようなそれではなく、小さな船で海に漕ぎ出すような、揺れながらだが、どうにか日々を生きている、そういった意味での安定だ。揺れてよい。むしろ、揺れなくてはならないかもしれない。揺れないものは、強い刺激があったとき、どこかで折れる危険をはらんでいる。」

弱さのちからより


この箇所には、今日の私たちの生活に寄り添い背中をさすりながら肯定してくれるような慈しむ心を感じます。

Co-musubiの中高生たちに、読後に印象に残った箇所をきいてみると、多くがドイツのメルケル首相のコロナ禍の国民に向けたスピーチに関しての記述の部分でした。

読書と対話を通じての彼らの感想の一部をご紹介します。

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「個人個人は弱い存在だけれど、集まると強力になりそうだと考えた。
強さという漢字の成り立ちは、「弘」と「虫」を組みあわせて作られた会意文字。虫というのは、天蚕(ヤママユ)の繭からとった天蚕糸(てぐす)のことだと思い出した。
一本一本のてぐすは弱いが、集まると一本の強いてぐすになる。同じように人が集まって強くなって社会になるのではないかと思った。」

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いつも当たり前だと思っている社会を支えてくれている存在(エッセンシャルワーカーの方々)に、あらためて「ありがとう」ときちんと伝えようと思った。また、社会の中にまだ見えていない弱い存在から学ぶという謙虚な姿勢を持ちたい。」

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「今は未曾有の危機でもあり、歴史的に何度も繰り返された事例の中の一つでもある。いずれにせよ、1人では何も出来ないのが人間だということがそのたびに思い知らされる。しかし、人はそのような状況の中でつながりあい共同体になることができる。それを改めてわかることが出来てよかった。」

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「もともと弱さに対して悪いイメージもいいイメージももっていなかった。ただ本には、自分がそれまでイメージとしてもっていた弱さとは違う、" 弱い自分を認めて他人とつながる" という意味で書いてあった。
対話ではさらに弱さへの理解が深まった。自分も含めて、無理に強がる必要がないとわかった。また、強がっていると助ける側も助けにくいかもしれないので、強がらないほうが人と繋がれるよさがあると思いました。」

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強さを無理に誰かに求めるのではなく、私たち一人ひとりそれぞれの弱さを認めつながりあい思いやっていくこと、感謝を感じられること、手を貸し合っていくことの大切さを、若い頃から知っておけることは幸運だと思います。
そして、その人が生きていくうえでのだいじな芯になるだろうと感じました。



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