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毎日目覚ましをかけずに、グーグー眠れる生活を送る方法。

1日10時間以上寝ている。目覚ましもかけずに。そういう話をすると「うらやましいですね」と言われると共に、「社畜には無理です」と言われることが多い。「縛られない生活っていいですね」とも。

「縛られない生き方」については、反論がある。結局の所、人間はどこかから糧を得ようと思えば、絶対に縛られるものですよ、と。

会社員であれば、会社と言う組織に縛られますし、フリーランスであれば取引先と言うものに縛られます。クリエイターや作家といったオリジナルの作品を創り出している著者も、自由闊達に自分の書きたいことだけを書いていたり、自分の生きたいように生きているのかと言えば、そんな事はもちろんないわけです。

小説家であれば、昔ながらのちゃんとした作家であれば、出版社や編集者に発言権があり、そこからの話を聞かなければなりませんから、言葉や行動は縛られます。

そしてこれは、次の時代の執筆者の生き方として、この「ノート界隈」にもおられると思いますが、ダイレクト課金でおまんまを食べていくというクリエイターだってそうです。

直接お金をいただく以上、読者の意向に沿わなければなりません。そういう意味では、数人から数十人程度の言うことを聞いとけばいい仕事よりも、食っていくには必要であろう、100人以上の読者たちから縛られると考えたとき、「そっちの方が大変なんじゃないかな」と思います。

オンラインサロンなんかもそうです。

「個の力を磨き、魅力を上げてオンラインサロンで稼げばいい」みたいな情報を売るような人たちの言うことを、鵜呑みにしちゃあいけません。そんなんで成功するやつっていうのは、正直他の仕事でも全然成功してますから。

結局のところ「その人に応じた分」と言うものがあるものなんです。その分、器に応じて、集客ができたり世の中から必要とされて、結果活躍することになるわけです。もちろん「自分のできることを勝手にハードル下げて、人生を台無しにしちゃう」なんてことは、愚の骨頂です。人は与えられた才能を精一杯発揮する必要があります。

『タラント』の話が好き!

世界で一番読まれている書物「聖書」の中に、『タラント』という話があります。これが私は好きでして。

タラントとは才能のこと。「タレント」の源流ですね。あとは、お金の単位で『タラント』が出てきます。

この話で、神は1人に5タラント、別のもう1人に2タラント、最後の1人に1タラントを貸します。1タラントは、だいたい今の通貨単位で6000万円くらいです。5タラントの者はめちゃくちゃ稼ぎ、多くのお金を得たことを神に報告し、神はたいそう喜ぶんです。2タラントの人間もそれなりのお金を稼ぎ、これも神は褒めます。ただ1タラントの人間は、土にお金を埋めていただけで神に1タラントだけを持っていき、神様がブチ切れると言う話です。「なぜお前はその1タラントを、増やすことを考えなかったのか。自分の力で増やせないのなら私に預けとけば利息がついたのに」みたいな、神様と思えないような、証券マンみたいなこと言うんですよ。

これは「神様から与えられた才能は、決まっている。でも、自分には少ない才能しか与えられていないと開き直ったりすることなく、自分の才能を死ぬ気で磨かんかい!」という話です。

なので、「自分には才能がない」なんてことは言っちゃいけないし、何かしらの才能は神から与えられているということです。これは、信仰とかがあろうがなかろうが、良い話だと思うんですよ。花さか天使テンテンくんと同じような発想ですね。

才能が5タラントあれば、一発で大量に集客でき、オンラインサロンもうじゃうじゃ人であふれることでしょう。利益も半端ないはず。でも世の中そんな人ばかりじゃない。どちらかと言うと2タラントの人間がほとんどです。

であれば、2タラントを最大限に利用し、磨いていく。それが結局のところ自分のやりたい仕事、自分のやりたいことにつながっていきますし、それがお金だって直結しているのです。

ちなみに5タラント与えられた人には、それに伴う責任を負う…という意味もあります。

やりたいことだけやって生きていく。

それは、決して難しいことではありません。ただ誤解してはいけないのは、「やりたいことだけやっていく=自分勝手に自分の思ってることだけでお金を稼げる」と言うことではありません。その先にあるマーケットを見越し、その上でやるべきことをやっていかなければならないものなんです。

ニーズとシーズについて過去の記事でも書きましたが、自分がやりたいこと「シーズ」と、社会が求めている「ニーズ」。ここを理解してやっていかなけりゃあなりません。

以前の記事では「シーズかニーズに振り切れ」が結論でしたが、もう一つの結論としては「シーズマターとニーズマター、両方やりましょ」というのもあります。

創作や作曲で、いわゆる「売れ線を狙いにいく」というのは、ある種のテンプレに沿っているということでもあります。ニーズに沿ったものは、ある程度は売れます。だって、「マーケットが欲しい物」を作ってるわけですから。ただ、ニーズを無視して「自分がとことん好き。別に認められなくてもいいから」というものを追求した時、市場の予想もつかないようなインパクトのあるモノが創れることもあります。その場合、世の中に対してブレイクスルーを引き起こすのです。

これまでの世の中になかった、人々の想像を超えたモノのリリースは、iPhoneのように社会に変革をもたらすレベルになります。だから、「自分がやりたいことを追求する」というのは、実験的なことであっても、おそらく人間が成長している上で大事なことなんです。

一方で、マーケットに聞きまくって直前に商売になることをしていくことも、答えであります。実のところ、これだけに専念して結果を出せば、毎日グーグー寝ててお金を得られるようになるかもです。マーケットが求めることだけをすればいいのですから、頼るはデータのみ。ただ、それってAIが進化したら奪われちゃうし、人間らしさの放棄でもありますが。

営業とものづくり現場の対立は、古今東西変わりません。

ネット屋とクリエイターはとことんぶつかります。まったく違うから。前者が「稼ぐためのコンテンツが必要である」スタンスに対して、後者は「良いものを産み出すためにはお金がいるのだ」だから、正直お話にならないです。宗教戦争レベルで立ち位置が違う。

ドラマや映画も「視聴者のフィードバックを活かして作るのが当たり前だ」という風潮があります。実際、うまくいってることも多い。でも、やっぱり視聴者の期待を裏切るようなことを、常にやり続けることっていう考え方もあるんだよという正義も認めてほしいし、人間が人間たらしめる上で重要なんじゃないかなと思うわけです。

シーズとニーズ。双方を、どっちも大切にしながら生きていくと楽しんじゃないかしら・・・・・・というご提案でした。

励みになりますので、よろしくお願い致します。