見出し画像

【座談会レポート】デンマークのフォルケホイスコーレと、寛容な社会づくりについて語る会

皆様こんにちは。Compath広報のおみく(安田)です。
6月17日(土)に行われた、デンマークのフォルケホイスコーレをモデルに“人生の学校“を北海道東川町で運営しているSchool for Life Compath創業者の安井早紀と、フォルケホイスコーレ留学がきっかけでデンマークに移住/特別支援の教員をされているピーダーセン海老原さやかさんとの対談レポートをお送りします。

こんな思いを持っている方、ぜひお読みください♩
⚫︎フォルケホイスコーレについて知りたい方
⚫︎教育に関心がある、教育関係の仕事をしている方
⚫︎北欧社会やデンマークに興味がある方

最近のお気に入り風景@北海道東川町

さやかさんから教わる、フォルケホイスコーレとは?

フォルケホイスコーレに留学したばかりの頃、アイデンティティーを見失って。自分は特長がなく、つまらない存在だと思っていた時期がありました。他人が良いというものを選択してきていて、自分で選んで来なかったから。「あなたはどうしたい?」と訊かれて育ってこなかったのです。
しかし、フォルケに出会ってから20年経過した今、「デンマークに育てなおして貰ったな」と思います。

元々デンマークのフォルケホイスコーレは、農民を市民にするのを目的に、市民が学べる学校として作られたものです。(普通の人が政治をできるように)フォルケホイスコーレは、「民主主義(暮らしに根付いた生活の中のもの)」と「人間教育」を学ぶ場所です。人生のための学校であり、普遍的でアカデミックなことを学ぶ大学とは異なります。

「WHAT AM I ?」
「WHAT I WANT TO DO ?」
を問い続ける場所。

それは、他者との対話・自分との対話・そして人と繋がること。

「人生のリュックサックに経験を入れる」のです。
できることを机に出して、できないことは助けてもらって、机の上で何ができるかを考えて、みんなで作るんですね。

安井早紀とフォルケホイスコーレの出会い

幼少期、親の転勤でイギリスで過ごしたり、日本に帰ってからも転校したりと、コミュニティが変わる経験が多かったです。日本に帰ってきてから、イギリスの当たり前が日本では通じない、その逆も然りという現実にぶつかってひとつのコミュニティで当たり前とされることが、違うところに行くと容易に変わるんだなと体感しました。

大学時代にはTFJ(Teach For Japan)で働いて、教育の重要性を知りました。一方、教育だけでは社会は変わらないんじゃないかという感情もあって、“社会“がどう動いてるのか知りたいと思い、リクルートに入社しました。人事の仕事が長く、就活生と多く接するなかで、「明日決めなきゃいけない」「自分の意思ではなく、急かされる感じで就職を決めないといけない」という言葉をよく聞いて、“この子就職今じゃない方がいいのにな“と思う子も、就職していく様を見ながら、日本社会の不が凝縮されているように思えました。
そんなとき、たまたまデンマークに旅をして、フォルケと出会い、日本の当たり前が当たり前じゃないことを目の当たりにして何歳であっても人生をやり直せて、社会を作っていけるというデンマーク社会を見て、「デンマーク人、ずるいなぁ」と思ったんです(笑)。

デンマークのフォルケホイスコーレにて
日本版フォルケホイスコーレの事業計画を作成している早紀と香
VISIONやありたい姿をポストイットに沢山書き出した


そんな二人の対談をお届け♩

(以下より敬称略)

#サナギのように、溶けちゃって大丈夫!

さやか:
日本は、1年遅れると新卒じゃなくなってしまう。ギャップイヤーもまだまだ一部のみ。

「1回立ち止まってみる」

人生におけるその時間は、その後すごく意味があるものになるはずです。「学び舎」という、戻ってこられる場所が大事だと思います。

早紀:
「立ち止まる」、本当はしたほうがいいけど、できないのが現状ですよね。

さやか:
立ち止まった際に出会う人たちによって、自分の考えが深まったりもすると思います。今住んでいるところを離れるのも大事。「何者でもない私」でフォルケへ行く、というのも大事そうです。

早紀:
昨晩、生春巻きパーティーをしていたんですよね、Compathのメンバーと東川に来てくれたゲストと一緒に。フォルケの価値、あるべき/やるべきを一つ一つ解くプロセス、それに価値があるなと思って。日本ではリスキリングが流行っているけど、その土台を溶かしていく必要があると思っています。青虫がサナギになって蝶になる時、サナギの時に一度溶けるらしいんです。それに似ているのかなと・・・。「溶けても大丈夫」、が大事かなと思います。

昨年デンマークでの生春巻きパーティーの様子

さやか:
自分の中の「べき」を降ろしていくのが必要だと。
 
早紀:
さやかさんは、最初のフォルケで何を降ろしましたか?
 
さやか:
みんなから期待される自分からの解放。
IPC(International People’s College)は各国から様々な人が来ていて、各々の人が見ている一人の人間に対する人間像は違うものです。女性で20代ならこう、長女ならこうあるべき、、、そういったものを解放してゆくのです。

多くの人は家族を愛し、大体NIKEのTシャツを着たり、Adidasのスニーカーを履いていたり。みんな違いながら、みんな同じであることを実感しました。色々なものを剥がしていくと、共通項が見えてくるんですね。

極論、愛があるか。愛を受け取れて、かつ誠実かどうか。デンマークの中で色々な人に意見を聴いて貰いながら、私自身も変わってきたと思います。

#条件なしに、一人一人が大切にされる社会

早紀:
人って、絶対にそれぞれの個性が大事にされるべきだし、一人一人が幸せに満たされるのが大事だと思います。
会社で人事をやっていると、”個性を大事に”が条件付きなのでは?、と懐疑的になることもあって。「イキイキと生きる=企業で活躍できる能力がある人」にだけ許されている風潮を感じていました。そんな中デンマークへ行き、フォルケに出会って。能力など関係なく、一人一人が大事にされている社会が美しく、そうあるべきだと思いました。その為には、捨てるものも必要かもしれないけど・・・でも、デンマークも日本も関係ないと思っています。
 
さやか:
一人一人が大切にされる社会。それは困っている人のためのものと思っていたけど、みんなの為のものだと気づいたんですね。例えば、日本からデンマークに移住した私に対して家賃補助が出たり、ソーシャルワーカーが付いたりなど。

#人格と意見を切り離すコミュニケーション

photo by 清水エリ

早紀:
必要以上に、人は自分の意見をぶつけるのを恐れているのかもしれないですね。
 
さやか:
会社の中でも、「ここは共感できるけど、ここはこうだと思う」と伝えていいと思います。「あなたの人間性については認めているが、この意見については私はそう思わない」と。
問題が起きた時の解決方法は2つで、「戦うこと」・「対話」このどちらかなのですが。「対話」をすることで、さらにいい解を生み出すことができるはずなのです。ぶつかるんだけれども、人間としてはぶつからない感じで。それをデンマークでは日常的に感じています。
 
早紀:
日本人はそういった訓練を積んで来なかったから、「我慢する」になっているんですね。声を挙げて社会を作っていくためにはどうしていくか?私は、「デモクラシーフィットネス」の概念が好きで。日本で言われる“人間力”は、鍛えられるものだと思います。

さやか:
「対話」とは何か?それを理解していないと対話はできない。「対話」と「会話」と「ディスカッション」は違うもので。それを理解していることも、すごく大事だと思います。お互いにね。それを実践できる場所が、フォルケだと思います。
 

#寛容社会とは

さやか:
ヒューマンライツ(人権)が尊重されているか=寛容社会かどうか、であると思います。「違う」を受け入れられるのは、寛容だと思う。それはつまり、みんなが賛成にならない、反対の人も含めてということですね。
日本は政治家の声が遠いですよね。例えばデンマークは世界で最初にパートナーシップ制度ができたのですが、それは「社会の声に後押しされ、政治が近づいたから」と当時の政治家は言いました。
 
早紀:
「人権」というキーワードは、フォルケに携わる中でよく出てきます。フォルケを何のためにやるのか?シンプルにいうと、人権じゃないかという話によくなります。休みを取る・取らないにしても、その人が取りたいなら取るべきだと思います。今の日本は「私も我慢しているからあなたも我慢して」、となっているのではないかと。私は「自由と自由の相互承認がある社会」にできたらいいなと思っています。
 
さやか:
私たちが、「私の声を聴く」って大事なことです。自分の声をちゃんと聴いてあげられているかどうか。それができる人が増えると、他者の意見も広い意味で聴けるようになるはず、と信じています。
 

#「成績をつけない」フォルケ、「成績をつけたがる」日本

参加者からの質問:
「成績をつけない」について、日本で可能かどうかを知りたいです。日本では歌のテストも絵も評価される。上から全部点数がついてしまう。学校の勉強自体も、理解したかどうかは本人がわかればいいはずですが、必ず点数がついてしまいます。フォルケにおいて、どういう授業になっていて、なぜ成績をつけないかを知りたいです。
 
さやか:
公教育といって、学力をつけるアカデミック勉強があります。小学校は成績をつけませんが、卒業試験は成績がつきます(中2から)。また、デンマーク語の理解度調査など、先生がその子の習熟度を知るためのものはあります。
一方、フォルケホイスコーレは別カテゴリーという捉え方です。資格や学力を身につけることが目的ではなく、別の学びをする場所なので、成績をつけるものではありません。
 
早紀:
さやかさんに重ねて。
成績表は、実は日本でも義務化されていないんです。通信簿は、義務じゃない。実際に長野県の伊那小学校には、通信簿がなかったりします。でも、なぜ日本において通信簿は無くならないのか?これは一旦、疑問として置いておきたいと思います。

デンマークには、フリースクールの先生を育てる養成機関があって(Den Frie Rea Schole)。そこには「大事にしている言葉」が書いてあるのですが、“Reality is test of everything / 現実はすべて、テストそのもの”と。挑戦して失敗する、それを尊重することを大切にしたいですね。
 

#デンマークのフォルケホイスコーレも、途方もない道から生まれた

参加者からの質問:
早紀さんへ、どうやって自分の信じてるものに向かって歩き続けていますか?

早紀:
仲間がいるから!
途方もない道だけど・・・
 
さやか:
グルントヴィ(フォルケホイスコーレ創設者, Nikolaj Frederik Severin Grundtvig)だって、途方もない道を歩んできたと思います。「は?」と言われたりも、沢山していたのではないかなと。
 
早紀:
グルントヴィは、当時受け入れられなくって教会から追放されたこともあるんですよね。「は?」と沢山言われてきていたのだと思います。色々試す人たちが、同時多発的に色々な場所で実現していくといいなと思っています。
 
さやか:
フォルケという場所に限らずとも、色々な場所で体現している人がいる。そして繋がっていく。それが組織になっていくと、すごく強いと思います。デンマークのフォルケも、1944年に1校目ができて、一気に50校にまで増え、最大で70校まで。最初の一歩を踏み出すのは、とても意味があると思います

さやかさんと早紀の対談、いかがでしたか。
100年の時を超えて日本に伝わったフォルケホイスコーレが、今後どのような社会を創り出すのか。
人生において「一度立ち止まる」という選択肢が当たり前になる世の中の実現と、寛容な社会を紡ぎ出すために、Compathは今日も活動中です。興味を持っていただいた方は、ぜひSNSを覗いてくださいね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

<ピーダーセン海老原さやか>
都立養護学校(当時)の中学部英語教員を5年勤めた後、International People´s Collegeとエグモントホイスコーレンに計1年半留学。その後移住。デンマーク在住19年。現地特別支援学校の教員兼管理職。15歳と11歳の息子とパートナーとの4人暮らし。日本向けオンラインお話し会スピーカー、子どもの絵の分析師、日本の先生の幸せアッププロジェクト。note、Instagram、Facebookでデンマークの暮らしや教育について発信。
https://lit.link/en/Sayakaebihara
 
<School for Life Compath 安井早紀>
神奈川県生まれ、幼少期はイギリスで過ごす。大学在学中はNPO法人Teach For Japanで活動。卒業後はリクルートに入社し6年間人事。特に地方と海外での大学生向けのインターンプログラムづくりなどに従事。2018年に島根に移住して地域・教育魅力化プラットフォームに入職。地域みらい留学の広報PR担当。2017年にデンマークのフォルケホイスコーレに出会ったことがきっかけで、2020年に北海道東川町に移住して、School for Life Compathを創業。プライベートは本の虫とアイドルオタク。
https://lit.link/schoolforlifecompath


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?