こんな夢をみた④5人しかいない街
これまでの「こんな夢をみた」シリーズは全てオリジナル曲つきでした。
今回は初めて、音楽なしで夢の話だけを取り上げます。ヤコブの梯子の回で取り上げたように、時々覚醒中の自分の思考が別の形で夢に出てきて、解釈していくとなんだか面白いことに気づくことがあります。今回取り上げる夢も、たぶんこのことを表しているんじゃないのかな、となんとなく見当のつく夢です。
5人しかいない?
その夢で私は、どこか遠く離れた土地の駅に降り立ちました。地方の中規模都市といった感じで、思ったより人が多いなぁと思いつつ、駅前からバスに乗りました。
駅前ロータリーをバスがぐるっと回っている間、そこを歩く人々を眺めていました。お祭りでもあるのか、なんとなくみんな浮き足立っていて、黄色やオレンジ色など、カラフルな上着を身に着けた人々があちらこちらにいます。
道行く男性を見ていて、あることに気づきました。あれ?あの人さっきも見たような…。バスに乗ってすぐのところで1度見た人に似てるなぁ、と。その目で見ると、どうも新たに現れる人がみんな1度見た人なんです。あ、あの人もさっきいた、この人もそうだ、と。
よくよく見ると、この街の人々の顔はどうも5種類くらいしかないようなんです。似てるというよりほぼ同じ人です。しかも、同じ顔の人は同じ色の上着を着ていることに気づきました。
そんな街があるんだ…と思っていると、いつの間にか同じ色の上着を着た人たちが次第に集まって集団になっています。ああ、カテゴリーってこんな風にしてできていくんだ、と思っているところで目が覚めました。
カテゴリーと顔
私たちは、似たものをひとつのカテゴリーにまとめて認識しようとします。ことばはその代表的なもので、たとえば大根もごぼうもキャベツも野菜である、というようにひとつのカテゴリーで表すことができます。野菜という概念が形成されているということですね。
以前取り上げたように、色もカテゴリーです。
「真っ赤」と表現される典型的な赤以外に、ピンクに近い赤もオレンジ色に近い赤も赤というカテゴリーに含まれます。でも黄色とは明らかに区別がついて、明瞭なカテゴリー境界があります。こういうのはカテゴリー知覚といいます。
喜怒哀楽を示す人の表情に対してもカテゴリー知覚が働く、といわれます。たしかに、不安そうな表情からにわかに喜びの表情に変わる、というときは、ある時点から急激に喜びの表情として感じられますよね。では人の顔を区別するときはどうなんだろう?似た人が同じ人かどうか判断するときもカテゴリー知覚が働くのかな?と思って、当時流行っていたモーフィングを使って調べたことがあるのですが、この夢にはどうもその思考過程が反映されているようです。
脳の損傷によって、このカテゴリー知覚が障害されたり,カテゴリー境界がおかしくなってしまう場合があります。そうすると、ものの区別がつかなくなったりものの意味がわからなくなるという不思議な症状が出てきます。これについては、また別の回で書きたいと思います。
カテゴリーをつくることによって、脳は処理しなければならない対象の数を減らして、世界を認識しやすくしているのかもしれませんね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?