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本好きの読書感想【くるまの娘】

みんな傷ついて、どうしようもないのだ。
助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ。

河出書房新社「くるまの娘」より

宇佐美さんの小説を読んだのはこれが3冊目だ。
一番最初に「かか」を読み、
その熱量と文章の力強さに眩暈がしそうな程、嬉しくなった。
二冊目に読んだ「推し、燃ゆ」は芥川賞受賞作でもあり、その筆の力に私は文字通り背骨を砕かれる感覚を受けとった。
そして今回「くるまの娘」を読んで、
やっぱり私は嬉しくなった。

内容に関しては、一貫して前作、前々作と同様に「生きづらさ」を抱えた人間の儘ならなさや苦しみ、痛みを描いている。

今回は家族としてのテーマが大きく、
「かか」や「推し、燃ゆ」と比べると、その背景は今までの作品よりも少し身近で受け入れやすい環境を提示してくれている気がした。

宇佐美さんの小説を読むたびに、
私は彼女の書く人物たちの気持ちが、よくわかる。
-この事はあまり言いたくないことでもあるのだが-
それは想像して得た痛みなどで無く実際に経験した痛みがあるからで「本物の傷跡がある」からだ。
想像して感じる痛みと実際に経験した痛みでは、
文章となったときにそれを受け止める感覚が微妙に違う。
そして本当に体験した痛みのほうが、
文章となったそれを再び感覚に落とし込んだ時のダメージは小さい。

そして私はそのことに、とても驚く。

宇佐美さんの小説に登場する人物たちは、まるでどころか「本当」にわたしそのものだと思う。

この痛みは永遠に理解されない、分からない、
他人と共有するべきことではない。
ある種の「恥」や「罪」を内在させるが故に、
永遠に苦しみと諦めを持ってひとり死ぬまで生き続けなくてはいけないと思っていた。

だけど本当は助けて欲しい、ほんとは泣いて縋って、ここから出して、
私を愛してと叫びつづける。

痛みが乾ききらないうちに、痛みを受け取る感覚の方を壊していきながら、
次々に新しい傷と痛みを生産し続け、
運が良ければいつか死ぬのだろう。

もしかすると、今も未だ、
私はそう信じているかもしれない。

しかし、

宇佐美さんの小説はそんな私をほんの一瞬、救ってくれる。


そしてそれは、ごく一部の人だけへ向けた救いではないと思った。
現代社会の中で「生きづらさ」を抱えながら、
偶々死ではなく、偶々生を選択し続けた結果として生きている私たち。
痛みに疲弊し誰にも助けてと言えなくなった私たちへ向けられた、ひとつの答えとの優しさなのだと、
そう、思う。

私は宇佐美りんという作家の書く小説が本当に本当に好きだ。

たぶんそれは。
必死に藻掻いて、藻掻いたところでどうしようもない、それでも生きるしかない人々を描きながらその中に、救いと人の愛情を見出したいという
作者の気持ちを見ているからなのかもしれない。

その想いの熱量こそが宇佐美さんの書く小説であり、彼女によって描かれた人物たちの持つ力なのだと、私は感じる。

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