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初夏

お台所という場所

突然だけど、私は台所という場所が好きだ。
よくある、リビングに一体化されているいわゆる「アイランドキッチン」というのでは無くて「台所」と言う「部屋」である。
好きなので、「お台所」と呼んでいる。

昔、祖父母の住んでいた平家の家にはお台所があった。
そのお家は、坂の上の頂上にあって平家建てだった。

庭はそんなに広くなかったし、リビングを抜けて奥へと続く廊下にはいくつかの部屋があったけれど、そのうちのほとんどには入った事がないので実はそんなに勝手知ったる家でも無いのであるが、夏休みに母と「おばあちゃんち」に帰った時に泊まるそのお家が私は大好きだった。

その中でも一番好きだったのがお台所だった。
(本当は祖母の部屋も大好きだった。大きなベッドの枕元にお城の形をしたちょっと素敵な置き時計があってとても憧れていたのだけど、その部屋には中々入れる機会はそうそうなかった。とても残念。)

そのお台所は大きな居間とこじんまりしたダイニングを擁した正四角形の空間の隣にちょこんとあって、ダイニングテーブルが置かれていた壁のその向こう側に細長い形をして存在していた。

そこは、まるで世界が違っていた。
そのお台所も祖父母の家であることは間違いがないのだけれど、その場所だけまるで他の部屋とは空気の肌触りも、見える色も全てが違った。
とても不思議だった。そして幼い私はその異世界感にとてもワクワクしていたことを今でも覚えている。

「夏におばあちゃんのところ」へ行くわけなので、その場所での思い出はもちろん全て夏なのだった。
昔から私は蚊に刺されやすい質で、子どもの頃は本当にガリガリ掻きむしっては母に嫌な顔をされたものだ。

でも、ここにくると。
「蚊に刺された」と私が言えば、祖母はきゅうりを塩で揉んでいたそのそれで痒いところをさすってくれた。
それは特別な行為で不思議な時間だった。
ちなみにこの塩。その時は痒みは引くんだけれど正直またすぐ痒くなるし、掻いた後だとしみて「じゅん!」と痛いのだ。それでも私はそれを祖母にしてもらうのが好きだった。
祖母はとても細く小さな人だった。
そのせいで首元のあいた服を着るのを嫌がった。だから彼女はいつもボウタイのシフォンのブラウスを着ていた。
ただ、細すぎるのが嫌で首元は隠すのにそのブラウスは大体いつもノースリーブだったことは今思い出しても不思議になってしまう。
おそらく彼女は腕の細さは気にしない質だったのだろう、と納得したふりはしているけれど。

ちなみに暑さで日焼けした肌を冷ますのはアロエだった。
流し台の目の前に出窓のようになった空間があって、その窓の前の棚のようなラインに何故かアロエだけが置いてあった。
彼女はそれをぶちっとちぎって、葉を破り中の白っぽいけど見るからにひんやりとしたその透明な肉の部分を、火照って赤くなった私の肌につるりびしゃりと擦り当ててくれた。

これは夏の思い出だろうか。それとも祖母との思い出なのだろうか。


今日はとても暑い。
夏はまだだけれど、春はもう終わったようだ。
だけど、まだ夏じゃない。梅雨でもない。
そうか、初夏。
そういう季節なのだ。

私の肌。
今日は長袖に覆われている。
なので日焼けをすることはない。少なくともあの頃のように真っ黒にはならない。
だけど、暑いのでついつい腕まくりをしてしまうから、もしかしたら少しは焼けているかもしれない。
夏の間、祖母が私の日焼けの面倒を見てくれていたせいか。
もういい歳なのにズボラな私は自分自身で「日焼け対策」などというものをしてこなかった。思い出した時に、申し訳程度に日焼け止めを塗る程度だ。
だけど、そうして日焼けしてしまったその肌にアロエを塗ってくれる人は今はいない。
そのことに気づいた時には、もう遅かった。
私の肌はボロボロだ。

「あああああー」そう思ってももう遅い。

あんなにも彼女が大切にしてくれた、この肌を何故私はちっとも大切にしてこなかったのだろうと悲しくなった。

今日からは絶対に日焼け止めをきちんと塗るんだから!と、心に決めたのは多分きっと、もうすぐ夏が来ることに気がついたから。
そして今年は何故かいつもよりもその夏を楽しみにしているせいかもしれない。

どこへもいけないこの夏に。
まだ。
夏が来る前に。
そう。
遅くならないうちに。

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