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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その36 「海きこ2」における「美香さんとのお食事会」を考察する 前編

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 前回、「小説版」「メインストーリー」を構成している3つの「ストーリーライン」について考察しました。

 今回、「海きこ2」における、(唯一の)拓と里伽子の「感情の応酬」シーンである「美香さんとのお食事会」を考察していきたいと思います。
(今回の前半と、次回の後半のあわせて2回にわたってこのシーンを考察していきます。)


おさらいはディナーの前にー「女の戦場」に足を踏み入れてしまった拓ー


 まず、「お食事会シーン」に至る物語の流れをおさらいします。
 「高知」帰省を満喫して高速バスで「東京」に帰京する際、拓は親友の「松野 豊」から予言めいた一言をささやかれます。

「おまえ、例の、年上の女な、きっとタタるぞ。これはカンだ」
「海きこ2」第一章 19ページより引用

 松野の予言が当たっていたのか、拓がアパートに帰り着くと、そこには知沙が拓のベッドの上で眠っていました。機転を利かせた拓は、田坂に電話して知沙を引き取ってもらうことに成功します。ただ、田坂から知沙の抱える「不倫からのリハビリ」の真相を打ち明けられたことで、拓は知沙の抱える問題の深みに巻き込まれていってしまうのです。
 そんな中、拓は里伽子から食事のお誘いの電話をもらいます。里伽子からのデートの誘いに喜ぶ拓ですが、「綿シャツとジーンズばかり」のファッションを里伽子にダメ出しされてしまいます。拓は大学の同級生でファッションセンスのある「染谷 涼子(そめや りょうこ)」に付き添ってもらい、デートの準備のための洋服購入に出かけます。手ごろな洋服とともに里伽子へのプレゼントである「ブラウス」を購入する拓。

「なんだか嬉しいなーこんな高そうなの、着るの初めてよ」
里伽子の無防備な笑顔をみて、ぼくはつくづく、この世は女にプレゼントする金がある男が勝つんだなーと実感した。それくらい里伽子は、素直に嬉しそうだった。
「海きこ2」第三章 97ページより引用

 デートの当日、プレゼントを渡した拓は里伽子の歓心を得ることに成功するのですが、向かった先のレストランで思わぬ人物と再会を果たすのです。

 レストランにいたのは、里伽子から父親を奪った相手である「美香さん」と、不倫相手の大沢氏とテーブルを向かい合って座っている「知沙」でした。3人の美女たちの意地と打算が渦巻く「女の戦場」に、拓は知らず知らず足を踏み入れてしまったのです。


拓が知沙に声を掛けない理由ー拓と里伽子の相手との距離の取り方から見えてくるものー


 ようするに今回もハメられたらしい。その昔、里伽子が小浜祐実をだまくらかして東京行きを決行しようとしたときみたいに。
 人間の行動パターンというのは、そうそう変わるもんじゃないな。
「海きこ2」第三章 99ページより引用

 すでに美香さんと面識のあった拓は、里伽子が美香さんとの食事会に自分を連れてきた理由をたちどころに理解します。拓という最大の「味方」を得た里伽子は、美香さんに対して攻勢に出ます。
 しかし、拓を連れてきたことで美香さんに「年下」扱いされてしまい、かえって守勢にまわってしまうのです。美香さんに対抗するべく、緊張感を漂わせて虚勢を張る里伽子の姿に、拓は「高知」に転校してきたころの里伽子の姿を重ねます。

 里伽子には気の毒だけど、どっちが劣勢かは明らかだった。キャリアが違いすぎるのだ。
(年の功というものだよ、里伽子)
と慰めてやりたいくらいだった。そして、ふと里伽子は美香さんと会うたびに、こういう敗北感を味わっているのかなと思ったりした。だとしたら味方をひとり、連れてきたいと思うのも当然だという気がした。
「海きこ2」第三章 107ページ~108ページより引用

 イカスミ・スパを頬張り反撃の機会を伺う里伽子。話が美香さんの過去に及ぶに至り、里伽子は「自分の父親と美香さんの過去」を持ち出して、すかさず反転攻勢に出るのです。
 里伽子の話に美香さんは言葉を失います。思いかけず里伽子の家庭の問題に巻き込まれてしまった拓は、その場の空気に耐えられなくなり、すかさずトイレへと逃げ出すのです。そこで拓が見たものーそれは、田坂ではない見知らぬ男(大沢氏)と食事をする知沙の姿でした。

 「小説版」「裏テーマ」(キーワード)「不倫」があると、前回の考察で見てきました。
 「美香さんとのお食事会」は、知沙を見かけたことが原因で拓と里伽子の会話が「感情の応酬」に発展して2人が仲違いするシーンです。一方、重苦しいテーマに関連する3人の女性たち(里伽子・美香さん・知沙)が一堂に会するシーンでもあります。

○「不倫」で傷つけられたものー里伽子
○「不倫」で傷つけたものー美香さん
○「不倫」に傷ついたものー知沙

 知沙と大沢氏のただならぬ関係を察した拓は、知沙に声をかけることなくその場を離れます。しかし、拓と入れ替わるように席を立った里伽子は、(拓の思いもむなしく)知沙に気づき声を掛けてしまうのです。

 なぜ、拓は知沙に声を掛けず、一方の里伽子は知沙に声を掛けてしまったのでしょうか。

 筆者はそこに2人の他人に対する距離の取り方(価値観)の違いが現れていると考えます。

 結論から言えば、拓は他人との「長期的な関係性」を重視する一方、里伽子は「今」という瞬間・場面における関係性を重視しているということです。(ただ、筆者から見ても里伽子は「タイミング」というか「空気」を読むのが上手くないなあと思いますが。)

 まず、拓から見ていきましょう。

「雨ふってるし、泊っていけば」
と水沼健太は名残(なごり)惜(お)しそうにいった。これまでにも何回か誘ってもらって、そのたびにぼくが答えることを今回もいった。
(略)
「メシ喰(く)わせてもらったあげくに、それやると、家族の、とくに母親の評判落とすだろ。長く付き合うときは、家族のウケが大事なんだ。そういう躾(しつ)けだけは、きちんと受けてんだ。ぼくは」
「ヘンなやつ」
「海きこ2」第六章 223ページより引用

 拓と同じ大学の友人である水沼との会話です。拓は演劇のチケットを購入したことで水沼と親しくなりました。水沼の実家に遊びに行く間柄になったのですが、拓はどんなに遅くなっても友人の家に泊まろうとしません。怪訝(けげん)に思う水沼に「そういう躾けを受けている」と拓は答えるだけで決して相手の好意に甘えようとしないのです。
 「小説版」を振り返ってみると、拓は松野や里伽子とさえも、ベタベタした付き合い方をしません。相手が親友や恋人と呼べる存在であれば、いつも一緒にいたり、連絡を取り合ったりといった「ウエット」な関係を築くものです。ですが拓の場合、もっとも親しい人物とさえ、ある種「ドライ」ともいえる関係・距離を取ろうとするのです。
(拓はけっして薄情な主人公でないのですが)

 拓のストイック?ともいえる行動の背景にあるものーそれは相手との「関係性の継続」(長いつきあい)を重要視する考え方です。
 そんな拓の行動(躾け)を生み出したのが、「公務員」である両親の存在と、拓の故郷「高知」にあると筆者は考えます。

 拓の両親(特に母親)は、拓が高校時代に里伽子に付き添って「東京」に行ったときでさえも、あまり怒るようなことをしませんでした。一方、他人に迷惑をかけるような拓の従兄(いとこ)の振る舞いに、「育て方を間違えた」とかなり辛辣(しんらつ)な評価を下しているのです。(「海きこ2」第四章 145ページ~147ページ)
 拓の両親は、拓の突飛な行動(里伽子の境遇に同情して東京行きにつきそった)であっても受け入れてしまう一方で、他人に「迷惑」をかける振る舞いには非常に厳しい「教育方針」(価値観)を持っているといえます。
 その背景には、絶えず「世間」(この場合、市民や地元の人)を意識して働く「公務員」としての職業倫理と、地縁・血縁といった濃密な人間関係を基盤する「田舎」(高知)の「生活スタイル」があると思えるのです。

 時として時間が止まったかのような、何代にも渡ることさえある周囲との関係性。そういった「田舎」長期的な関係性を継続していくには、相手との距離を絶えず意識しなければなりません。
 そのような環境で生活するゆえに、拓は両親から「世間」との距離の取り方ー何をすれば相手が「迷惑」に思うかをきびしく躾けられてきたのです。

 レストランの話に戻りますが、拓はレストランで偶然知沙を見つけた際に、「あえて」声を掛けるようなことをしませんでした。
 それは、拓が声を掛けることが知沙にとって「迷惑」であるとともに、拓が「自分と知沙との関係性」、「知沙と相手の男性(大沢氏)との関係性」を壊したくないと考えていたからなのです。

 一方で、絶えず「世間」との距離を意識してドライな関係性を保ち続けることは没個性的で、どこかよそよそしくて面白味のない人物に映ります。

「拓くんて、おもしろいわね。拍子抜(ひょうしぬ)けするっていうか。壁に向かって話しかけてるみたいで、ぜんぜん手応(てごた)えないのね」
「すみません……」
「海きこ2」第三章 123ページより引用

 (年下でもあり)どこか他人行儀な口の利き方をする拓の話しぶりは、美香さんとって物足りなさを覚えるものであったようです。


 次に、知沙に声を掛けた里伽子の場合はどうだったのでしょうか。
 里伽子の「場」(空気ともいう)をわきまえないともいえる行動の背景にあるものーそれは「今」という瞬間・場面における出来事や相手との関係性を重要視する考え方です。
 そんな里伽子に影響を与えたのは、「高知」のような地縁や血縁に縛られることのない、自分や周囲の身近な存在との関係性のみに重きを置く里伽子の生まれ育った都会「東京」にあると筆者は考えます。
(「海きこ」に登場した里伽子の元カレの岡田や、過去の経緯にとらわれずに里伽子に再アタックするよう拓に勧(すす)めた知沙の行動や考え方にそれがよくあらわれているといえます。)

「向こうには向こうの友達がいて、付き合いがあるだろう。首つっこんで、何が楽しいんだ」
「まえにパーティーで会ってたし、あたしの住所や電話番号、拓に教えたの、あの人でしょ。挨拶して悪いの」
「関係ないだろ、おまえに」
「海きこ2」第三章 129ページより引用

 お食事会ののち、拓と里伽子は、美香さんと知沙のことで言い争いになります。2人の会話から拓と里伽子で「価値観」が違うことからお互い違った行動をとってしまったことがわかると思います。
 拓は、里伽子が美香さんとの会話でヒステリックになり、その怒りを知沙と大沢氏にぶつけてしまったと決めつけてしまいます。しかし、里伽子の視点に立ってみると違った事情が見えてくるのです。

 同じ大学の先輩後輩である拓と違い、里伽子は知沙と再会する機会が限られています。それゆえ、里伽子が拓との再会するきっかけを作ってくれた知沙とレストランで再会した「今」という機会を活かして、知沙に挨拶して関係性を築こうと考えたのだと筆者には思えるのです。
 声を掛けようと思った当初は、拓の言うように「知沙に対して怒りをぶつけようとした」わけでないのです。(ただ、里伽子が知沙を一方的に「恋敵(こいがたき)」だと見なして「意識」していたのも確かなことですが)

 無論、里伽子がレストランにいる知沙の存在に気づいた時点では、知沙の食事の相手が不倫相手であることなど知る由もなかったでしょう。(里伽子は持ち前の鋭い「観察眼」を駆使して、大沢氏が知沙の不倫相手であることをすぐに見抜きますが)
 何より、拓が知っているような(大沢氏との不倫に傷ついた)知沙の事情を知らない里伽子にとって、「悪意」を持って知沙に挨拶したとは思えません。「挨拶」をされた知沙は、里伽子の何気ない行動に明確な「悪意」感じていましたが。「海きこ2」第四章 136ページ~148ページ)

 知沙への挨拶に始まった拓と里伽子の対立が(美香さんとの会話の影響もあるといえ)お互いの育った環境の違いから来る「他人との関係性をどうとらえているか」という「価値観」の相違に起因していると筆者には思えるのです。


「海きこ2」の「中間点」とはー拓と里伽子で異なる「心境が変化するシーン」ー


 今回、「美香さんとのお食事会」の前半部分を見てきました。

 里伽子にとって「知沙に挨拶」したことを境に、心境に大きな変化が起こります。里伽子にとって「知沙への挨拶」が、「海きこ2」における物語の前半と後半を区切る物語の「中間点」(ミッドポイント)に該当していると筆者は考えます。このシーンが「中間点」である理由は、今回と次回の考察を合わせて読めばその理由が見えてくると思います。
(「ミッドポイント」についての説明や、「海きこ」(アニメ版)における「ミッドポイント」がどこかについて、過去の考察をご覧ください)

 ちなみに、拓の視点で見た「海きこ2」の「中間点」が「拓が水沼から購入したチケットで演劇を見るシーン」であると筆者は考えます。なぜ、このシーンが拓にとっての「中間点」なのか、前回の考察を読むとその理由が見えてくると思います。

 次回、「美香さんとのお食事会」の後半、「知沙への挨拶」によって起こった里伽子の「心境の変化」と里伽子が知沙を通して「見たものの正体」を考察していきたいと思います。

ー今回のまとめー

「美香さんとのお食事会」シーンについて(前編)

 拓にとって「美香さんとのお食事会」は、3人の美女たちの意地と打算が渦巻く「女の戦場」に足を踏み入れてしまったことを意味していた。
 「美香さんとのお食事会」は、拓と里伽子が仲違いするシーンである一方、「不倫」に関連する3人の女性たち(里伽子・美香さん・知沙)が一堂に会するシーンでもある。
 里伽子と美香さんの対決に耐えられず席を立った拓は、偶然知沙を見かける。拓は知沙に声を掛けず、一方の里伽子は知沙に挨拶をしてしまう。そこに2人の他人に対する距離の取り方(価値観)の相違が存在する。
 拓は他人との「長期的な関係性」を重視する一方、里伽子は「今」という瞬間・場面における関係性を重視していた。
 知沙に挨拶をした里伽子の行動を拓は非難するが、里伽子なりに知沙との関係を築こうと考えての行動だったと考えらえれる。
 ただし、里伽子は持ち前の「観察眼」を駆使して、食事相手である大沢氏が知沙の「不倫」相手であることをすぐに見抜いてしまった。
 里伽子は、「知沙に挨拶」したことを境に、心境に大きな変化が起こる。「知沙への挨拶」が「海きこ2」における物語の「中間点」に該当する。


※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。


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