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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その14 杜崎 拓は武藤 里伽子をいつ好きになったのか? パート8

タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ

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 前回、拓と里伽子が東京に向かうまでを考察しました。

 今回、物語の「中間点」(ミッドポイント)である、拓と里伽子の2人旅のシーンを考察していきたいと思います。
 まずは、このシーンにおける、「拓の里伽子に対する気持ち」について見ていきましょう。

〇東京行きの飛行機の中で、父親とあったら東京に戻って一緒に暮らしたいと、里伽子に打ち明けられる。
〇里伽子にやられたと思いながら、東京行きに同行しなければならなかった
自分の気持ちを再確認する。(外面への好意と内面への同情)
〇羽田空港に降り立ったのち、電車を乗り継ぎながら、里伽子の父親の暮らす成城に向かう。
〇里伽子の父親の暮らすマンションへ向かう途上、里伽子から成城で暮らす家族の事情を打ち明けられる。
〇マンションで里伽子の父親と、離婚の原因となった女性である「前田 美香」(以下、美香さんと略す)と出会う。
〇里伽子の父親から、里伽子に貸したお金を返してもらう。里伽子の父親が手配したホテルに向かう。(関心の継続の喪失)
※シーン説明のあとの( )は、拓が里伽子に抱く感情をあらわしています。


拓にとっての「中間点」(ミッドポイント)ー傷ついた里伽子を受け入れる旅ー


「中間点」(ミッドポイント)は、脚本やストーリー構成を行う上での専門用語です。「ストーリー目線」で見ると、物語の前半部と「中間点」を境にガラリと展開が変わっていく後半部を分ける分岐点なのですが、「キャラクター(主人公)目線」で見ると、いささか違った意味を持っているのです。
 それは、「中間点」が主人公にとって「(実は見せかけの)絶好調」あるいは、「(実は見せかけの)絶不調」になるという点です。

 拓にとって「中間点」となる里伽子との旅は、「絶好調」あるいは、「絶不調」どちらだったのでしょうか?

 数回にわたって、見ていきたいと思います。


気の抜けた里伽子ー機上で垣間見える里伽子のもう一つの顔ー


 小浜(と里伽子)によって巻き込まれた高知空港でのひと悶着(もんちゃく)のすえに、拓と里伽子は機上の人となります。

 機内誌に目を通していた拓は、ふと里伽子に話しかけるのですが、拓の呼びかけに振り向いた里伽子の顔は、これまで見たことのない「気の抜けた」表情でした。
「小説版」では、そんな里伽子の姿を見て転校してきてからずっと、気をはって暮らしていた「気」がゆるんだのだと拓は言及しています)

里伽子「あのね パパに会ったら あたし話すつもりでいるの パパと一緖に暮したい 東京に戻りたいって…」 

 拓の問いかけに、本音を打ち明ける里伽子ですが、頬杖をついた姿勢でぼんやりと飛行機の窓の外を眺める姿は、どこか淋しげでした。
 里伽子が拓に本音を打ち明けたのは、(東京が近づいて)気が抜けているとともに、前回考察したように、里伽子にとって拓が新しい「居場所」になったからだと筆者は考えます。
「小説版」では、拓と里伽子の間で、里伽子一家の境遇に「同情を寄せる高知(の同級生たち)への嫌悪」と「無関心を装っていてくれる東京(の同級生たち)への共感」について話題となり、「感情の応酬」へと発展するのですが、「アニメ版」では省略されています。「アニメ版」での省略があるゆえに、筆者にとって、この機上で淋しげに窓の外を眺める里伽子の姿が余計に印象に残ります)

 里伽子の淋しげな表情に込められたものはなんだったんでしょうか?

 視聴者に対する、東京で里伽子を待ち受ける救いようのない出来事の予兆(伏線)なのでしょうか?
 それとも、たとえ(里伽子の願いが叶って)東京で父親と一緒に暮らせることができるようになったとしても、かつてのように(現在高知にいる)母と弟と家族全員で暮らすことは(両親が離婚した今となっては)もうない。過ぎ去った幸せな過去に対する想いが淋しげな表情にあらわれているのでしょうか?

 このシーンは、考察を続けてきた筆者にとって、今だにわからないシーンの一つです。ともあれ、考察を続けましょう。


「けれど あのままひとりで東京へ行かせることはできなかったんだ」ー里伽子につきそう拓の心に秘められた想いー


 飛行機で羽田空港に降りたった拓は、里伽子とともに電車を乗り継ぎ、里伽子の父親の暮らす「成城」に向かいます。そんな折、心の中で里伽子への想いを述懐します。
「アニメ版」、拓の里伽子への想いを拓に語らせながら、「背景」でさりげなく拓と里伽子がどのように電車を乗り継いでいったかを視聴者に知らせています。何気ないシーンですが、うまい演出だと思います。)

拓「里伽子のあとを追って東京を歩きながら ぼくはまたも里伽子にやられたと思っていた」
拓「けれど あのままひとりで東京へ行かせることはできなかったんだ」

1つ目のセリフは、「小説版」において、高知空港で里伽子の笑顔を見たシーンで登場しています。「アニメ版」と発言するシーンが違いますが、拓の「また、ヤラれた」という言葉の持つ意味は、同じだと考えます。

 「また、ヤラれた」とはどういうことでしょうか?

(しまった。また、ヤラれた!)という気がしてしまった。
 なぜ、そんなふうに思ったのか、わからない。きっと、里伽子が断ると思っていたのに、すんなり受け入れられてしまって、びっくりしたのだろう。
 びっくりしすぎて、照れ臭さの裏返しで、里伽子にヤラれたーみたいに思ってしまったのだ。たぶん。
「海きこ」第四章 126ページより引用

 「また、ヤラれた」の「また」は、ハワイで「拝むように拓に手を合わせる里伽子の笑顔」を見て里伽子に好意(外面への好意)を持った拓が、里伽子お金を貸したシーンのことです。
 里伽子の笑顔を見た拓は、はじめて里伽子に(ほのかな)好意を持つようになりました。
(ハワイで里伽子にお金を貸すシーンについては、過去に考察しました)

 「また、ヤラれた」の「ヤラれた」は、どうでしょうか?
 まず、「小説版」「びっくりすぎて、照れ臭さの裏返し」という拓の言葉から考えてみましょう。
 一般に、「照れる」という感情は、「恥ずかしい」という感情から派生する感情です。私たちは、嫌な思いをして「恥ずかしい」と感じますが、嫌な思いをして「照れる」ということは、まずありません。
 「照れる」という感情は、うれしさに由来する「恥ずかしい」なのです。
(なんだか、国語の授業のように思えてきますが、無視してください)

 つまり、拓の「照れ臭い」という感情の根底には「うれしい」という気持ちが隠れていることがわかります。

さきほど書いたとおり、拓が「ヤラれた」と思ったのは、里伽子の笑顔を見たからです。
 体調の悪さもあり、拓を睨みつけていた里伽子でしたが、拓の(一緒についていこうか?という)提案を聞き、「思いがけない」笑顔を拓に見せます。拓にとって、里伽子の笑顔は「里伽子への(ほのかな)好意」を抱くきっかけでした。
 拓は、里伽子の笑顔を(ハワイの時のように)「また」見ることができて「うれしかった」ーそして里伽子の笑顔を見たことで(恥ずかしいことに)「また」里伽子に「好意」を抱いてしまった。(外面への好意)
 それゆえ、拓は「ヤラれた」と感じたのだと思います。

 2つの目のセリフは、「アニメ版」独自のセリフです。1つの目セリフの考察を踏まえて、もう一度見てみましょう。

拓「里伽子のあとを追って東京を歩きながら ぼくは(ハワイでお金を貸した時のように)またも里伽子(に好意を抱くきっかけとなった笑顔を見ることができたうれしさ)にやられたと思っていた」
拓「けれど あのままひとりで東京へ行かせることはできなかったんだ」

 里伽子への「好意」以外の感情で、拓を「里伽子の東京行きへのつきそい」に駆り立てた感情は何だったのでしょうか?

 それは、前回考察したように、里伽子に対する「同情」から発展していった里伽子に対する「ヤキモキ」なのだと筆者は考えます。拓は、前回こう言っています。

拓「おまえ 一人で行くんが不安じゃったらぼくも一緖にいっちゃろか?」

 拓は、周囲の同級生が転校生の里伽子を「スーパーウーマン」だと見ている中で、ひとり里伽子の淋しさに早くから気づいていました。
 そして、高知空港でのやり取りを通して、ハワイにおいて、拓(と松野)に嘘をついてまでしてお金を借りて(ついでに小浜にまで嘘をつきますが)、父親のいる東京に行こうとしていた里伽子の覚悟も拓は知りました。
 母親や友人の小浜、そして好意を寄せている松野さえ傷つけてまでも、ひとり父親に会いたいがために東京に行こうとするーそんな姿が気になって仕方ない、「ヤキモキ」するから、拓は「里伽子をひとりで東京に行かせることができなかった」のではないでしょうか。


「あいつかわいそうだな…と ぼくは心から思った」ーマンションを訪れた拓が失ったもの・得たものー

 成城学園前駅にたどり着いた里伽子と拓は、里伽子の父親のマンションに2人で連れ立って(いつの間にか里伽子のボストンバックを持つはめになっていますが)、歩いていきます。マンションまでの道すがら、拓は里伽子から、成城で暮らす家族の事情を色々と打ち明けられます。
 マンションが近づくにつれて、「絶好調」になっていく里伽子でしたが、マンションのインターホンから見知らぬ女性の声が聞こえてくるに及び、里伽子と父親の間に不穏な空気が流れていることを拓は感じ取ります。

 このシーンは、「小説版」のキーパーソンの一人である「美香さん」が初登場する重要なシーンでもあるのですが、「アニメ版」において、大学生活がほとんど描かれていないこともあり、美香さんが物語に大きく絡んでくることはありません。

 拓にとってこのシーンで重要なのは、里伽子の父親から(ようやく)里伽子に貸していたお金を返してもらったことです。(「小説版」では迷惑料1万円がプラスされていたと拓が言及していますが、「アニメ版」ではそのことに触れているシーンがありません)

 それは、ハワイ以来、拓と里伽子がお互いに対する「関心の継続」に大きな影響を与えていた、「お金」のつながりが解消されたことを意味していたのです。(関心の継続の喪失)

 「お金の切れ目が縁の切れ目」ーそんな言葉の意味する通り、拓と里伽子の関係はここで終わってしまうのでしょうか?

 今回、拓と里伽子が里伽子の父親のマンションにやってくるまでを考察しました。

 次回、傷心の里伽子が拓のホテルの宿泊先を訪ねてくるシーンを考察したいと思います。

今回のまとめ

拓と里伽子がマンションで里伽子の父親と会うまで

 拓にとって東京行きは、傷ついた里伽子を受け入れる旅である。
 東京行きの機内で里伽子は、気の抜けた表情をして拓に本心を打ち明けるが、その姿には、なぜか淋しさが見え隠れしていた。
 拓が里伽子の東京行きに同行したのは、里伽子の笑顔によって里伽子への好意が上書きされたことと、覚悟を決めた里伽子のすることに「ヤキモキ」していたことがその理由である。
 東京に到着ののち、成城のマンションで里伽子の父親から、里伽子に貸したお金を返してもらったが、それは、拓と里伽子の「関心の継続」に大きな影響を与えていた「お金」のつながりの消失を意味していた。

※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。 


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