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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その35 「小説版」のメインストーリーとは?ー3つのストーリーラインの存在ー

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 前回まで「アニメ版」の考察をしてきましたが、今回から「小説版」の考察をしていきたいと思います。
 以前考察したように『海がきこえる』の「小説版」は、「アニメージュ版」・「ハードカバー版」・「文庫版」の3つが存在します。

以後、「文庫版」をメインに、必要に応じて他の版で補いながら、「小説版」を考察していきたいと思います。


「小説版」における物語の本流(メインストーリー)とは?ー「ing」(現在進行形)で続く3つのストーリーラインー


 読者の方もご存じのとおり、小説『海がきこえる』は青春小説です。

 東京からの転校生「武藤 里伽子」との関係を軸に、主人公「杜崎 拓」の地元「高知」での高校生活(回想で中学生活も登場している)と進学先の「東京」での大学生活とを、拓の「一人称視点」で描いた作品です。


 青春小説というジャンルが端的に表現しているように、拓の「成長物語」(作者である「氷室 冴子」先生は「ビルドゥングスロマン」という表現を使っています)なのですが、一方で、ヒロインであり、もう一人の主人公ともいえる里伽子の視点で見てみると、父親の不倫に端を発した「両親の離婚」という「つらい経験」を乗り越えていく物語でもあるのです。

 「アニメ版」は、拓(と里伽子)の高校時代をメインにして映像化されたゆえに、拓と里伽子の「恋物語」としての側面が色濃く描かれています。
 しかし、「小説版」全体で見た場合、2人は単なる恋人同士でなく、里伽子の「つらい経験」を一緒に乗り越えてきたことで、「相棒」(バディ)といえる存在であると見なすことができるのです。

 したがって、「小説版」において、拓がさまざまな経験をとおして自分自身を「成長」させながら、「つらい経験」に遭遇している里伽子を支えつつ、「相棒」(恋人)として一緒に乗り越えていくことが「物語の本流」(メインストーリー)であるといえるのですが、実はそこに「3つのストーリーライン」が「現在進行形」で存在しているのです。

 それは、

「里伽子の家庭問題」
「知沙の失恋からのリハビリ」
「拓の大学生活」

の3つです。
 順を追ってみていきましょう。
「松野との友情」「海きこ」の時点で重要な「現在進行形」のストーリーラインの1つでした。しかし、学園祭で松野との友情の「断絶」と、高知に帰省してから「和解」を経て、拓と松野の友情は再開されます。以後、「海きこ2」の終わりの時点まで2人の関係は、変わることなく継続していることから、「小説版」全体で見た場合、ストーリーラインに含めることができないのです。「海きこ」「アニメ版」において、重要な「ストーリーライン」であることにかわりがないのですが。)

 1つ目が、先に紹介した里伽子の両親の離婚から始まった「里伽子の家庭問題」です。これは、先に触れた「里伽子のつらい経験」に該当します。
 「海きこ」において、里伽子が東京の父親にどうにかして(拓を騙してお金を借りることで)会いに行ったものの、里伽子はそこで救いようのない「現実」(味方だったはずの父親が不倫相手と同棲している上に、かつて住んでいたマンションの内装を現状変更されてしまい、家族の思い出をズタズタにされてしまった)に直面して傷つきます。
 「海きこ2」において、大学生の里伽子は父親の同棲相手である「前田 美香」さんとの関係を築くようになりますが、自分から父親や家族を奪った美香さんを心の底から許すことができず、ひとり葛藤を続けます。
 「病気」になった美香さんを必死に介抱する中で、里伽子は美香さんを「家族」として受け入れるようになったものの、天敵である「安西さん」(安西おばァ)の登場もあり、「小康状態」となった「里伽子の家庭問題」はいまだ解決を見ていません。

 次に2つ目が、拓の大学の先輩である「津村 知沙」と(大学OBでもある)「大沢氏」との不倫から始まった「知沙の失恋からのリハビリ」です。これは、拓と里伽子の2人と直接の関係がないのですが、「小説版」の大学生編における「裏テーマ」(キーワード)ともいえる出来事です。
 ちょうど、高校生編の拓と里伽子の「恋物語」との対比、そして、「不倫」という出来事に「傷つく側」(知沙)と「傷つけられる側」(里伽子)との対比として、「小説版」を形作っています。
 「海きこ」において、知沙に声を掛けられたことがきっかけとなり、拓は里伽子と偶然の再会を果たします。同時に知沙と大沢氏、知沙の「リハビリ」としてつきあっている拓の大学の先輩である「田坂 浩一」との間の、ゴタゴタに巻き込まれてしまいます。
 「海きこ2」において、知沙は拓を連れて大沢氏の妻である「大沢 みのり」さんの個展会場に行くことで、大沢氏との関係を自らの手で終わらせることを選びます。ただ、大沢氏のことを諦めたとばかり思っていた田坂は、のちに知沙の行動を知り、思い余って知沙を殴ってしまいます。
 「知沙の不倫」自体は(おそらく)終わりを告げたと思うのですが、田坂が知沙を殴ったことで、田坂と知沙の今後の関係が流動的になっています。

 津村知沙は、口もとをかすかに歪(ゆが)めて、
「新しいのがいないから、しばらく今ので我慢しとくわ」
 とやっぱり、ありがちでない言い方できり返した。
「海きこ2」終章 276ページより引用

 知沙のセリフから、2人の関係がかろうじて細い一本の糸でつながっているといえます。
 ただ、作者である氷室 冴子先生は、『海がきこえるCOLLECTION』所収のインタビュー記事において、「田坂と知沙の関係についても、どうなるかわからない。パート3があったら、あの二人は別れていなければおかしい」「田坂と知沙にしても、このまま行くはずがない。あれは田坂のほうから離れていくと思うし」と言及していることから、田坂の「恋物語」が終わりをむかえる可能性が高いようです。
(『海がきこえるCOLLECTION』132ページ、134ページ)

 そして、3つ目が拓の将来につながっていく「拓の大学生活」です。これは、先に触れた「拓の成長」に該当します。
 「海きこ」において、里伽子に付き添って里伽子の父親に会いに行ったことがきっかけとなり、拓は「東京」の大学への進学を決意します。この時点では、拓が大学で何を勉強しているか不明なのですが、「海きこ2」にて拓が入学した学科の正体がおぼろげながらみえてきます。
(拓の入学した大学のモデルは、『海がきこえる』の担当編集者さんの母校で、「江古田」(えこだ)にある「日本大学 芸術学部」であるとされています。『海がきこえるCOLLECTION』145ページ)

 結局、来年から参加するということで、今年の夏はビデオ係にさせてもらった。
(略)
 この経験のおかげで、大学の二年生からのコース分けでも、絶対に技術コースだけはとらんぞと、ひそかに決心を固めたりもしたから、いろいろ有意義な祭りではあった。
「海きこ2」第一章 16ページより引用
 授業にもだんだん弾みがついてきていた。
 その中でも香山(かやま)教授の授業が面白かった。学期はじめのころ、放送番組の企画について、企画書の書き方とか、どういう手順でそれが現実化するかといった概論があって、クラス全員に自分がやってみたい企画書を書かせた。
「海きこ2」第二章 48ページより引用

 「海きこ2」において、拓の入学した大学の学部が「芸術学部」であることが明らかになります。(「海きこ2」第二章 45ページ)
 拓は授業において企画書を書いたものの、「思い出せないようなシロモノしか書かなかった」と述懐しており(「海きこ2」第二章 51ページ)、多くの大学生がそうであるように自分のやりたいことや学びたいことを見つけられずにいました。
 そんな中、同級生の水沼から演劇のチケットを2枚購入させられたことがきっかけで(「海きこ2」第四章 150ページ)、はじめて見た演劇の「シナリオ」に興味を抱きます。

「うーむ。おまえ、ぼうっとしてるわりに、キツいな。シナリオ書いてんのか」
「まさか、芝居みるのも初めてだよ」
「ふうん。おまえ、今度、シナリオ書けよ」
「海きこ2」第四章 173ページより引用

 知らないうちに「シナリオ」「演出」に興味を抱くようになった拓は、水沼が撮りためた祖母のビデオを見ながら、映像の長所と短所を水沼に語り始めるのです。

 みたいな、体感からくる生理的な感想がいくつもあった。
 それを遠慮なしにいうと、水沼はきまって、
「おまえ、フィクションのシナリオかけ。そういう発想なんだよ、おまえのは」
 と面白そうにいう。
 自分ではよくわからないけれど、今のところ、セツ祖母さんのビデオを観ていると、映像そのものから、いろんなイメージが湧いて楽しかった。この画面があるなら、次にこういう画面があるといいな、みたいな、断片的なイメージがいくつも出てくる。
「海きこ2」第六章 222ページより引用

 水沼の家からアパートに帰った拓は、夜遅くにも関わらず「思い出す洋画や決めセリフなど思い浮かぶもの」をメモし始めます。(里伽子からの電話が来たことで、その作業も中断してしまうのですが)
 「海きこ2」の最後の時点で、拓はようやく時間を忘れて打ち込めるものと出会います。ただ、それは具体的に何だったのでしょうか。

 作者である『氷室 冴子』先生の逝去によって、拓の未来はさまざまな可能性を秘めたまま、明かされることなく終わりをむかえてしまったことが残念でなりません。

  今回、「小説版」の「メインストーリー」を構成している3つの「ストーリーライン」について考察しました。

 次回、「海きこ2」における、(唯一の)拓と里伽子の「感情の応酬」シーンである「美香さんとのお食事会」のシーンについて考察していきたいと思います。


ー今回のまとめー

「小説版」の「メインストーリー」と3つの「ストーリーライン」について

 小説『海がきこえる』は、里伽子との関係を軸に、拓の高校生活と大学生活とを、拓の「一人称視点」で描いた青春小説である。
 「アニメ版」は、拓と里伽子の「恋物語」としての側面が強いが、「小説版」における「物語の本流」(メインストーリー)は、拓が自身を「成長」させながら、「つらい経験」に遭遇する里伽子を支え、「相棒」(恋人)として一緒に乗り越えていくことにある。
 「小説版」の「メインストーリー」は、「里伽子の家庭問題」(里伽子のつらい経験)・「知沙の失恋からのリハビリ」(裏テーマ)・「拓の大学生活」(拓の成長)という3つの「ストーリーライン」が「現在進行形」で構成されている。
 3つの「ストーリーライン」は、その後の『海がきこえる』の物語においても重要な位置を占めるはずであったが、作者の逝去によって、拓や里伽子の未来はさまざまな可能性を秘めたまま、明かされることなく終わりをむかえてしまった。

※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。

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