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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その37 「海きこ2」における「美香さんとのお食事会」を考察する 後編

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 前回、「美香さんとのお食事会」シーンの前半について考察しました。

 今回、「美香さんとのお食事会」の後半、「知沙への挨拶」によって起こった里伽子の「心境の変化」と、里伽子が知沙を通して「見たものの正体」を考察していきたいと思います。


里伽子が見たものの正体ー知沙と大沢氏の姿に自分の父親と美香さんの「不倫」の影を見るー


 「知沙との挨拶」によって引き起こされたのは、拓と里伽子の対立だけでありませんでした。レストランで知沙(と食事をする大沢氏)の姿を見たことがきっかけで(正確には、大沢氏が知沙の不倫相手であると感じた時点で)、里伽子の心境にある大きな変化が起こります。

 里伽子に起った心境の変化ー筆者は、里伽子が2人の姿にかつて自分の家族を崩壊させるきっかけとなった「自分の父親(里伽子の父親)」と「美香さん」との「不倫」の影を見てしまったことから起こってしまった変化であると考えます。

 なぜ、大きな心境の変化なのかといえば、知沙たちの姿を見たことで2つの相反する感情が里伽子の心の中に芽生えてきたからなのです。

それは、

○「不倫」や不倫によって他人を傷つける知沙や美香さんに対する激しい「憎しみ」の感情
○「不倫」相手(大沢氏)と嬉しそうに会話をする美しい知沙を見たことによる「不倫をする女性」(美香さん)への(無意識な)「共感」の感情

です。

 まず、1つ目は改めて説明するまでもないでしょう。これまで里伽子が「不倫」や(父親との不倫で家族を崩壊させた)「美香さん」に対して抱いていた「憎しみ」の感情です。

「(略)でも、あたしのカンだけど、あの男の人、もう結婚していると思う。不倫ぽい雰囲気って独特ね。男の人の腰が引けてて」
「海きこ2」第三章 126ページより引用
「ツムラさんと一緒にいた人、結婚してると思うな、あたし」
「海きこ2」第三章 129ページより引用
「ああいうの嫌いなのよ。でも、もちろん関係ないわよね」
「海きこ2」第三章 131ページより引用

 先に触れたように、里伽子は知沙を見かけた当初、知沙が恋人と食事に来ていると思いました。しかし、里伽子は、知沙と食事相手である大沢氏の様子を持ち前の鋭い「観察眼」で見ているうちに、知沙の相手が「不倫」相手であると見抜いてしまいます。

「あたし、ツムラさんのとこ行って、挨拶しちゃった。お久しぶりですって。いま杜崎拓くんと来てるんですよって。ツムラさん、恋人と一緒ですかァって。あのヒト、すごくビックリしてたけど」
 里伽子はなにかを思い出したのか、くすくす笑った。それはどこか意地の悪い、居心地の悪い思い出し笑いだった。
「海きこ2」第三章 128ページ~129ページより引用

 両親の離婚によって田舎の「高知」に転校しなければならなくなった遠因である父親と美香さんとの「不倫」
 (知沙と大沢氏の)「不倫の現場」を目の当たりにした里伽子は、知沙の「不倫の現場」を台無しにすることで、「疑似的」に自分の父親と美香さんに「復讐」を果たそうとしたのではないかと思えるのです。
 里伽子が知沙を対象にして「疑似的な復讐」を果たせたからこそ、「どこか意地の悪い、居心地の悪い思い出し笑い」を拓の前で見せてしまったのではないかと筆者は考えます。

 それは「不倫」で傷つけられた里伽子自身の「心の闇」だったのではないでしょうか。
(里伽子の「心の闇」に引きずられるように、拓も里伽子の感情を逆なでするようなヒドイ「言葉」を口にしてしまいます。「海きこ2」第三章 131ページ)

「ねえ、なに怒ってるの。ツムラさんに挨拶したのが、そんなに悪いの?」
「あの前田美香さんと会ってピリピリしてたのはわかるけど、関係ないひとにヒスをぶつけるなよ」
「海きこ2」第三章 129ページより引用

 拓は、里伽子が知沙に挨拶した理由を「美香さんとの会話で守勢になり、イライラしていたから」だと判断しました。
 ですが、里伽子の視点で見た場合、違った理由が浮かび上がってきます。里伽子が知沙に挨拶した理由は、(里伽子のセリフにもあるように)「知沙が拓との再会のきっかけを作ってくれたから」でした。
 そして、里伽子がイライラした理由が、(挨拶の途中で知沙が「不倫相手」と食事していることに気づいてしまったことで)「知沙と大沢氏の姿に自分の父親と美香さんの影をみたから」だったのです。

 筆者は、美香さんとの会話だけが里伽子のイライラの原因でないと考えます。むしろ美香さんを強く「意識」したことで、増幅された里伽子の「不倫」や美香さんへの「憎しみ」が、知沙と大沢氏の「不倫カップル」に向かってしまったのではないかと思えるのです。


 ただ、里伽子の心にめばえてきたのは「不倫」(美香さん)への「憎しみ」の感情だけではありませんでした。

 それは、2つ目の感情である「不倫」相手(大沢氏)と心から嬉しそうに会話をする美しい知沙を見たことによってめばえてきた「不倫をする女性」(美香さん)への(無意識な)「共感」の感情です。

どういうことか、里伽子のセリフやこのシーンにおける拓の述懐を引用しながら見ていきましょう。

 ちょうど里伽子が降りてくるところだった。里伽子は里伽子で、まるでラリッてでもいそうな興奮した顔つきだった。顔が赤く上気していた。(略)
(略)声がひどく、うわずっていた。
「海きこ2」第三章 125ページより引用

 知沙を見かけて挨拶した里伽子が拓と美香さんの元へと戻ってきたときに、拓から見た里伽子の様子について述懐です。
 「不倫」(知沙や美香さん)への「憎しみ」の感情だけで、「興奮」「顔が赤く上気」はともかく、「ラリッてでもいそうな興奮した顔つき」になるものでしょうか。もう少し見ていきましょう。

 たしかに里伽子は興奮していた。彼女の目は少し潤(うる)んでいるように見えた。それは、とても綺麗(きれい)だった。
 その目を美香さんに向けて、調子っぱずれの明るさで里伽子はいった。
「拓の大学の先輩なの。すごい美人なの。恋人と来ててね。でも、あたしのカンだけど、あの男の人、もう結婚していると思う。不倫ぽい雰囲気って独特ね。男の人の腰が引けてて」
「海きこ2」第三章 126ページより引用

 里伽子の言葉を「当てこすり」(遠まわしな悪口の意味)だと思った美香さんは、里伽子との関係継続が不可能と判断してひとりレストランをあとにします。
 里伽子の感情が美香さんへの「憎しみ」だけなら、拓は里伽子の様子を「潤んだ里伽子の目がとても綺麗だった」と表現するでしょうか。そのような瞳を「憎しみ」の対象である美香さんに向けるでしょうか。

 もし、上で引用した里伽子のセリフに次の句が存在したなら、(おそらく)美香さんにこのような(美香さんにとっては意地の悪い、里伽子にとっては純粋な興味本位の)質問をしていたと筆者は思うのです。

「ねえ、美香さんもパパと不倫していたとき、ツムラさんたちのような食事や会話をしていたんですか?」と。

 もちろん、美香さんが一足先にレストランをあとにしたことで、そのような会話は物語上ありませんでした。

「ヘンな人よね、美香さん。急に怒ったみたいになって」
「海きこ2」第三章 127ページより引用

 里伽子は、そそくさと立ち去った美香さんの心境の変化が「何」によってもたらされたのか気づいていません。
 別の見方をすれば、里伽子は美香さんに対して自分の「憎しみ」の感情をぶつけて怒らせるつもりがなかったということになります。

 では、興奮した里伽子に芽生えた感情は何だったのでしょうか。筆者はそれが、知沙たちの姿を観察したことでめばえた美香さんへの「共感」であるとともに、自分の父親と「不倫」という恋愛をしていたときの美香さんの気持ちを知ってしまったがゆえの「興奮」であると思えるのです。


「おまえ、例の、年上の女(知沙)な、きっとタタるぞ。これはカンだ」ー里伽子の美香さんへの「共感」から考える松野の予言の本当の意味ー


 先に引用した里伽子のセリフにもあるように、里伽子が「不倫」(美香さん)に対する激しい「憎しみ」の感情を持っていることは事実でしょう。
 里伽子が見たのが「知沙」ではない「ただの不倫カップル」なら「共感」の感情を抱くことがなかったと筆者は考えます。

 では、なぜ里伽子が「共感」を抱くようになったかといえば、相手が(里伽子の知り合いである)「すごい美人の知沙」であり、「恋人」(不倫相手の大沢氏)と一緒にいて、嬉しさで幸せそうにしていたからなのです。

 「美香さんとのお食事会」で里伽子とケンカした拓は、友人の水沼から購入(買わされた)した演劇のチケットをネタに里伽子と仲直りしようと電話します。久しぶりの2人の会話の中で、レストランで見かけた知沙と大沢氏を里伽子はこう評しているのです。

「あたし、やっぱり、あのツムラさんて人、嫌いよ。あたし、恋人と一緒にいて、あんなに幸せそうにしてる人、初めてみた。嬉しそうで嬉しそうで、一緒にいた人、申し訳なさそうだった。
「海きこ2」第四章 164ページより引用

 里伽子はまた、こうも言っています。

「ツムラさん、お金めあてで付き合ってるわけじゃないから、きっと本気なのよね。ねえ、本気で好かれるのって、男の人はやっぱり嬉しいんじゃない?(略)あんなスタイル抜群の美人でさ。(略)」
「海きこ2」第四章 165ページより引用

 里伽子は、「不倫」をする知沙への嫌悪感を抱く一方で、「不倫相手」の大沢氏に「お金目当て」でなく「本気」で恋している知沙に「共感」を抱いているのです。

 知沙への「共感」が知沙と大沢氏の姿に「自分の父親と美香さん」「不倫」の影を浮かび上がらせるとともに、憎むべき相手であった「美香さん」への「共感」の感情が里伽子の心にめばえてしまったのですー自分の父親にかつて「不倫」の恋をしていた美香さんの気持ちを。

 里伽子は、「美香さんとのお食事会」「知沙に挨拶」したのち、人知れず自分の父親や美香さんとの関係について悩み、葛藤を続けていきます。(「海きこ2」第四章 166ページ~167ページ、「海きこ2」第六章 257ページ)

 そんな中、「共感」によって美香さんの気持ちに気づいたゆえに里伽子の中で美香さんへの態度が少しずつ「軟化」していきます。そして「病気」になった美香さんを「家族」として支えるまでになっていくのです。「海きこ2」終章 264ページ~268ページ) 

 「海きこ2」エンディングにおいて、美香さんが病気になったことをきっかけにして里伽子と美香さんの関係は「小康状態」になりました。

 一方で、知沙によって引き起こされた里伽子の心境の変化が、今後の拓と里伽子の関係に影を落とすことになると筆者には思えてならないのです。

「おまえ、例の、年上の女な、きっとタタるぞ。これはカンだ」
「海きこ2」第一章 19ページより引用

 前回の考察の冒頭で引用した松野のセリフです。松野は拓から聞いた「知沙」の存在が、拓にとって「タタる」と予言しました。
 知沙との出会いがきっかけで里伽子と再会して以後、紆余曲折、いろいろとありましたが、「海きこ2」の最後で拓と里伽子の絆は確かなものになりました。松野の予言はハズレたのでしょうか?

 筆者は、こう考えます。「美香さんとのお食事会」で知沙と再会したことで起った里伽子の心境の変化が、のちに拓と里伽子が「対立」する「きっかけ」となり、まわりまわって拓に「タタる」ことになるのではないだろうかと。

 そして、(里伽子から見た)拓の性格上の欠点が、2人「対立」の引き金となると筆者には思えてならないのです。

「泣けちゃうセリフだ。だけど、みんなの気持ちがわかるって、だれの気持ちもわからないことよ。ただの八方美人なのよ、拓は」
「海きこ2」第三章 132ページより引用


結論はディナーのあとでー「お食事会」が3人の女性たち(と拓)にもたらしたものー


 結果として、「美香さんとのお食事会」シーンは、3人と拓に何をもたらしたのでしょうか?
 結論から言えば、「お食事会」自体は4人すべてにおいて何ら得るものがない出来事でした。
 しかし、「お食事会」をきっかけに4人はもっとも気になる人物との関係性を大きく変化させていくのです。

 まず、美香さんから見ていきます。美香さんが里伽子とのお食事会を企画したのは、里伽子との関係修復と「大事な話」をするためでした。
 しかし、拓が食事会に参加したことと、里伽子が「自分と里伽子の父親」の不倫の話を持ち出したことで、美香さんの試みは失敗に終わります。
 「お食事会」ののち、「病気」になってしまった美香さんは大切なものを失ってしまいます。
 ただ、里伽子が美香さんの窮地を支えてくれことで、美香さんと里伽子はお互いを「家族」として認めあうようになっていくのです。

 つぎに、知沙はどうだったのでしょうか。知沙がレストランに行ったのは、「不倫相手」であった大沢氏と会い、食事と会話を楽しむためでした。
 しかし、里伽子によってせっかくの機会を台無しにされてしまいます。
 里伽子にデートを邪魔されたことがきっかけとなったのか、知沙は拓を連れて大沢氏の妻である「大沢 みのり」さんの個展に出かけます。
 そして、個展会場にやってきた大沢氏と会い、「本当の別れ」をむかえたのです。

 里伽子が「美香さんとの食事会」に拓を連れてきたのは、美香さんに張り合うためでした。
 里伽子は「自分の父親と美香さんの不倫」を持ち出して美香さんを動揺させます。そして、不倫相手と食事していた「知沙」の話をして、美香さんを敗北に追いやるのです。
 しかし、里伽子は知沙に挨拶をしたことで拓と口論となってしまいます。また、知沙たちに「父親と美香さんの不倫」の影を見た里伽子は、父親と不倫していた美香さんの気持ちに気づき、「共感」してしまうのです。
 自分の父親や美香さんとの関係について悩み、葛藤を続ける里伽子。
 「病気」で倒れた美香さんを支えたことで、里伽子は美香さんを「家族」として受け入れることができるようになりました。そして、美香さんの危機に駆けつけてくれた拓とも仲直りを果たしたのです。

 最後に拓が「食事会」に行ったのは、食事のお礼に里伽子にプレゼントを渡すためでした。
 しかし、里伽子の策略で美香さんとのお食事会に巻き込まれてしまいます。美香さんの過去と里伽子への気持ちを知る拓。また、レストランで知沙の存在がきっかけとなり、拓は里伽子と仲違いしてしまいます。
 里伽子と仲直りしようと演劇に誘うものの失敗に終わった拓でしたが、演劇を見たことで「シナリオ」や「演出」に興味を抱くようになります。
 また、美香さんの危機に動揺する里伽子の元に駆けつけたことで、拓は里伽子と仲直りを果たします。

 そして「雨降って地固まる」という言葉にあるように、拓と里伽子はお互いに相手への「アイ」があることに気づいていくのです。


 今回、前回に引き続き「美香さんとのお食事会」シーン後半について、考察しました。

 次回、「小説版」の登場人物たちの「名前にまつわるアレコレ」について考察していきたいと思います。


ー今回のまとめー

「美香さんとのお食事会」シーンについて(後編)

 「不倫相手」(大沢氏)と食事する知沙に挨拶した里伽子の心に「2つ」の相反する感情がめばえる。
 1つは、「不倫」に対する激しい「憎しみ」の感情である。「父親と美香さんの不倫」で傷ついてた里伽子は、知沙の「不倫の現場」を台無しにすることで、「疑似的」に自分の父親と美香さんに「復讐」を果たそうとした。
里伽子が知沙に挨拶した動機は、「知沙が拓との再会のきっかけを作ってくれたから」であったが、知沙への挨拶がきっかけで拓と仲違いしてしまう。
 もう1つは、「不倫」相手の大沢氏と嬉しそうに会話をする美しい知沙を見たことによる「美香さん」への「共感」の感情である。里伽子は、知沙と大沢氏との食事に「自分の父親と美香さんの不倫」の影を見たことで、自分の父親と「不倫」という恋愛をしていたときの美香さんの気持ちに気づき、(無意識に)「共感」してしまう。
 2つの美香さんへの「感情」が原因で里伽子は、人知れず自分の父親や美香さんとの関係について悩み、葛藤を続けていく。一方、「共感」によって父親と「不倫」していた美香さんの気持ちに気づいた里伽子は、美香さんへの態度を「軟化」させていき、「病気」になった美香さんを「家族」として支えるようになる。
 また、「知沙への挨拶」でおこった里伽子の心境の変化が、のちに拓と里伽子が「対立」する「きっかけ」となり、松野の予言する「知沙」がまわりまわって拓に「タタる」可能性が考えられる。
 「美香さんとのお食事会」シーンは、拓・里伽子・知沙・美香さんのすべてに何ら得るものがない出来事となった。一方で、「お食事会」をきっかけに4人はもっとも気になる人物との関係性を大きく変化させた。

※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。


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