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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その33 武藤 里伽子は杜崎 拓をいつ好きになったのか? パート9

タグ: #読書の秋2021 ,#海がきこえる,#海がきこえるⅡアイがあるから,#氷室冴子,#スタジオジブリ,#アニメ,#小説,#考察,#ネタバレ

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 前回、「高知」に帰ってきた里伽子が拓と一緒に「桂浜」に行くシーンから、松野を「まわりくどい言い方」で振るシーンまでを考察しました。

 今回、拓との「平手打ちの応酬」から学園祭つるし上げ事件後の「別れ」のシーンまでを考察していきたいと思います。

 なお、該当する考察記事を合わせて読むと、このシーンへの理解がより深まると思います。

○関連記事:『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その19
      『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その20
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「噂」が生み出す相手への「愛憎」ー筆者の体験から里伽子の想いを考察するー


拓「ちょっと話があるき 来いや」

 「アニメ版」、期末テストを終えたある夏の日、拓に呼び出された里伽子は、里伽子が「まわりくどい言い方」で松野を振ったことがきっかけとなり、「平手打ちの応酬」(平手打ち事件)を繰り広げます。
 このシーンの具体的な考察は、拓についての考察で里伽子の気持ちにも振れていることから省略します(詳しくは、18・19の考察記事を見てください)が、一点だけ考察したいことがあります。

 それは、拓に廊下に呼び出された際に、なぜ里伽子が不機嫌な表情をしていたのかということですー拓に好意を抱いているにも関わらず。

里伽子「どうかしたの?」
里伽子「あんまり学校で話しかけないでね 目立つから」

 「アニメ版」、廊下に呼び出された当初、里伽子は不機嫌な顔をして窓の外を見るばかりで、まともに拓の顔を見ようとしませんでした。
 そんな里伽子の仕草に、拓と話すことができて内心うれしいはずなのに、「噂」のせいで迷惑そうに振る舞う里伽子の「嘘」(自分の気持ちを偽っている)が隠されていると、筆者は以前考察しました。

 里伽子が気持ちを偽る理由―結論から言えば、同級生たちの心ない「噂」が影響しているからなのですが、なぜ里伽子は、

○自分の気持ちを偽り
○不機嫌な顔して
○好きなはずの拓から顔を背ける

のでしょうか?
 筆者には、かつて里伽子と似たような「噂」で嫌な思いをした経験がありました。それゆえ、このシーンにおける(架空の人物でありますが)里伽子の気持ちが痛いほどわかるのです。筆者の(面白くもない)個人的な昔話ですが、考察するうえでどうかご付き合いください。

 筆者が小学校低学年の頃、学校帰りにバスから降りた際、近所に住む同級生の女の子が落としたハンカチを拾ったことがありました。すぐにその子に声を掛けてハンカチを手渡してあげたのですが、折悪く同級生の男子たちにハンカチを返してあげたところを見られてしまったのです。
 筆者は、まだ女の子を好きになるとか、意識するとかその当時考えたこともなく(当然、その子のことも好きでもなんでもなく)、何の下心もなくその子のハンカチを拾って返してあげただけなのですが、瞬く間に「筆者がその子のことを好きだ」という「噂」が広められてしまったのです。
 以後、中学校を卒業するまでの数年間、筆者は「噂」に悩まされました。無論「噂」自体は時間の経過とともに周囲の同級生の間から立ち消えになりました。ただ、何かその子と接点(同じクラスになったり、地域の集まりでその子と会話するときなど)ができたりすると、「噂」と「その子」のことを妙に「意識」してしまうのです。これ以上「噂」で傷つきたくない思いから、筆者は意図的にその子を避けたり、まともに顔を見ることもしたくありませんでした。
 「噂」であるがゆえに、誰がいつどこで話していたかすらわからず、特定の誰かを責めるもできません。筆者の行き場のない「怒り」や「苛立ち」は、無意識のうちに「噂」のもう一人の当事者であるその子に向けられていました。
 「噂」のことで、その子に辛く当たるとか、傷つけるような振る舞いを筆者はしませんでしたが(なぜなら「噂」になりたくないからです、知らず知らず相手を傷つけていたことがあったかもしれませんが)、現在に至るまで、「近所の同級生の女の子」と「噂」はセットになって、苦い思い出として筆者の長期記憶に刻みつけられているのです。
 なお、その子の名誉のためにつけくわえるなら、その子は人の気持ちがわかる裏表のないとても優しい子でした。(けっして、里伽子のようなスポーツ万能・成績優秀のスーパーウーマンではありませんでしたが)

 多少、違う部分はあると思いますが、筆者を里伽子、同級生の女の子を拓に置き換えてみるならば、里伽子が不機嫌な顔をして窓の外を見るばかりで、まともに拓の顔を見ようとしない理由が見えてくると思います。

 筆者と違い、里伽子は拓に好意を抱いているぶん、相手への「愛憎」がはっきりと「アニメ版」の里伽子の表情に現れていると筆者は考えます。

 里伽子は、「噂」「拓」「意識」し、「噂」でこれ以上傷つきたくないがために、拓を避けるとともに拓を見ようとしないのです。そして、「噂」で生じたやり場のない「怒り」「苛立ち」を一方の当事者である拓にぶつけるしかないために、里伽子は不機嫌な顔になり、「拓が好きだ」という気持ちを偽り、刺々しい態度を見せてしまっていたのです。


里伽子がつるし上げから逃げない理由ー大嫌いな「高知」と同級生たちを「全否定」するためー


「平手打ちの応酬」のあと、里伽子と拓は「絶交状態」になりました。拓は、里伽子に強烈な平手打ちをしたことから、里伽子に謝罪しようと「和解の機会」を模索します。
 しかし、拓の想いも空しく、和解の試みは失敗に終わります。
 里伽子は、謝りに来てくれた拓への想いを深めていくのと反対に、拓は憎しみを深めていきます。2人のすれ違いは加速してしまったのです。
(里伽子と拓の「和解の機会」については、以前考察したとおりです。)

 里伽子も拓もお互いのことを好きなはずなのにわかりあえないまま、11月の学園祭を2人は迎えます。

女子生徒A「行事にも参加せんと 勉強してええ成績とろうなんて 根性悪すぎん?」
女子生徒C「うん みんなで意見せないかんね」
女子生徒B「明日 呼び出しかけろうか?」

 「アニメ版」で、校舎裏に呼び出された里伽子は、孤立無援の中で清水を含めたクラスの女子たち7人と対峙するのですが、なぜ、里伽子はあの場から逃げ出そうとしなかったのでしょうか?もっと言えば、なぜ、里伽子はクラスの女子たちの呼び出しに応じて、校舎裏に出向くような振る舞いをしたのでしょうか?
 物語上の必然だと言われればそれまでです。ただ、里伽子には、つるし上げから逃げ出すことも、呼び出しを無視することもできたはずです。

 里伽子が逃げ出さなかったその理由ー筆者は、両親の離婚がきっかけで否応なしに「高知」にやってきて以来、振り回され続けた「高知」を象徴する存在である「クラスの女子たち」に立ち向かいたいという思いが里伽子にあったからだと考えます。

 里伽子は皮肉たっぷりに呟(つぶや)いて、ワイングラスに残っていた赤ワインをぐっと一息にのんだ。
「杜崎くんには、あそこは育った街だものね。いろんなネットワークがあって、すぐに伝わっちゃうのよね。でもあたしはあの街、大嫌いだった」
「海きこ」第五章 211ページより引用
「(略)で、うまく新しい生活がスタートできそうな感じだったんだけどな。うまくいかないわね。あたし、ほんとに高知にいくまでは世間とうまくやってる、いい子だったのよ。なのに、あれからずっと、どこか世間とずれっぱなしの感じがする」
(略)
「あたしには、高知ってそういう街。なにもかもずれちゃった、いやな街よ」
「海きこ」第六章 250ページより引用

 「小説版」において、のちに大学生となった里伽子は「東京」で再会した拓に、「高知」に対する憎しみを打ち明けています。(のちに、夏休みに「高知」に帰省したことで、必ずしもイヤな街ではなくなるのですが)

 これまで考察してきたように、里伽子は、「高知」という新しい「世間」に馴染むことができず、自分の性格すら「変質」させてしまいました。また、GW後に広まった心無い「噂」によって、里伽子の心はずっと傷つけられてきました。
 高校時代の拓が、里伽子に振り回されっぱなしだったように、里伽子自身もまた、「高知」(とそれを取り巻く、世間・学校や・同級生たち)に振り回され続けていたのです。

 里伽子は、学校やクラスという「世間」を振りかざし、「噂」で自分自身を振り回してさんざん傷つけておきながら、それでも「高知」という「世間」を押し付けてこようとするクラスの女子たちの考えを完膚なきまでに叩き潰すことで、大嫌いな「高知」という呪縛から自由になれると考えたのではないでしょうか。

 ぼくは今なら、わかる。里伽子の誠実が。
 里伽子は、突っ張っていたし、クラスのことにもクラスメートにも無関心だったし、東京の大学に進学するひそかな目的をはたすべく勉強していてー
 ほんとに自分勝手なやつだった。けれど、里伽子は誠実だった。ちゃんと、女子有志に誠意をつくして、辛辣に反論していた。なかなか、できることじゃない。
「海きこ」第六章 263ページより引用

 拓はのちにこのつるし上げ事件を振り返り、里伽子の「誠実さ」を述懐しています。里伽子の「誠実さ」「辛らつな反論」の裏には、「高知」を「全否定」したい里伽子の憎しみが隠されているように筆者には思えてならないのです。


ここまで記事をご覧くださった読者の方へ


 大変申し訳ありません。今回の考察記事があまりにも長くなりそうなので、考察記事を分割して投稿します。
 残りの項目や今回のまとめについて、次回の記事をご覧ください。


※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。


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