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『海がきこえる』を読み(視聴し)なおす:その20 拓と里伽子の和解の機会を考察するーインタールード3ー

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 前回、拓と里伽子の「平手打ち」事件について考察しました。
 
 今回、「絶交状態」になった拓と里伽子の「和解の機会」を「アニメ版」DVDパッケージイラストから考察してみたいと思います。
 「インタールード」(幕間劇)その3です。
※今回のタイトル画像は、筆者が所有する「ジブリがいっぱい COLLECTION『海がきこえる』」のDVDパッケージを筆者が撮影・加工したものです。

 

パッケージイラストの意味するものとは?ー里伽子と和解の機会を模索する拓の想いー


 まず、「パッケージイラスト」にどのような構成要素が詰まっているのか書き出してみます。

 日没前の夕方の時間帯。
 高知の街の海沿いの港のどこか。背景に漁船や灯台が描かれている。
 半袖の学生服姿で学生鞄持った拓と里伽子が、海沿いのコンクリートブロックの上を画面右手から左手に向かって歩いている。
 拓は画面左手を歩く里伽子のあとを追いかけるように歩いている。
 里伽子は、やや俯きながら、足元を確かめるように一歩ずつブロックの上を歩いている。

 時間帯について日の出前という考えもありますが、拓と里伽子が学生服でカバンを持っていることから、ここでは日没前の夕方の時間帯と考えます。
 2人が半袖の学生服ということは、高知での高校時代、6月初~9月末の夏服を着る時期だと推定できます。
 「拓が里伽子を追いかけている」と書くのは理由があります。それは、「文庫版」目次ページの挿絵が、パッケージイラストとほぼ同じ構図で描かれているからです。
 「文庫版」目次ページの挿絵では、夏服でない上着姿という差異があるのですが、一番重要な点は、ブロックの上を歩く里伽子を追いかけるように、拓がブロックをよじ登ろうとしている点です。

 この点から、2つのイラストは微妙な差異があるのですが、「拓が里伽子を追いかける」連続する前後のシーンを描いたイラストであることがわかります。

 それでは、なぜ拓は里伽子を追いかけようとしているのでしょうか。

 高校時代、拓が里伽子を追いかける「動機」を持つ時期は、「小説版」「アニメ版」において、2つしかありません。

 1つは、ハワイへの修学旅行で拓からお金を借りた里伽子が、一向にお金を返してくれないから拓が追いかけるという「動機」を持つ時期です。ただ、拓が里伽子にお金を貸していたのは、ゴールデンウィークの東京行きまでの期間です。この時期の2人は夏服を着ていないことから、当てはまらないように思えます。

 そして、もう1つは、「夏服」を着た拓が里伽子を追いかける動機を持つに相応しいもう1つの時期ー「お互い平手打ちをして絶交状態なった」時期です。
 前回考察したように、拓は、里伽子に対して(ほとんど反射的に)強い力で平手打ちをしてしまいました。自分で「平手打ちの強さに青ざめる」と述懐するほどに、ショックが大きかったと考えます。まして、拓の強い平手打ちを受けた里伽子であれば猶更です。

 拓が里伽子を追いかけた「動機」ー平手打ち事件のあとで、(物理的に)里伽子を傷つけたこともあって、里伽子にきちんと謝りたいーというものだったのです。
 里伽子を追いかける拓の「和解の機会」を探るための想いがパッケージイラスト(と「文庫版」目次ページの挿絵)に表現されていると筆者は考えます。


2人は和解できたのか?ー生意気だと思う拓と想いを深める里伽子ー


 それでは、コンクリートブロックの上を歩く里伽子を追いかけた拓は、「和解」することができたのでしょうか?

 それ以後、ぼくと里伽子はほとんど口をきかない仲になり、(略)
 ぼくと里伽子の間には、なにもなかった。残念なくらい、なにも。
「海きこ」第四章 189ページより引用
 (略)それが学校にバレて、里伽子はますます孤立するし、ぼくとも険悪になり、ろくに口もきかない仲だった(略)
「海きこ」第五章 216ページより引用
 里伽子とぼくは、六年生の一学期末には、同じクラスにいながら口もきかず、顔があいそうになると背け合うという、いわゆる子どもの世界でいうところの、(絶交状態)にあった。二学期になってからも、それはかわらず、そのまんま学校生活は推移していくかにみえた。
「海きこ」第六章 257ページより引用

 「小説版」の拓の述懐から推定すると、筆者は拓と里伽子の「和解の機会」が失敗に終わったと考えます。むしろ、拓と里伽子の「すれ違い」を加速させたようにすら思えます。ここからは、筆者の想像です。

 拓の場合、学校の帰りに里伽子を追いかけて謝ろうとしたものの、里伽子は一向に拓を振り返ろうとせず、話そうともしない。「平手打ち」事件と同じく、拓の心に「里伽子は生意気だ」という「憎」の感情が刻みつけられたと思われます。
 「里伽子は生意気だ」ーそれゆえに、学園祭で拓は里伽子を助けようとせず、(里伽子の想い)をつかみ取れないまま終局を迎えてしまうのです。

 里伽子の場合、拓とは正反対に、拓が自分を心配して謝りに来てくれて内心うれしかったと思われます。俯きながら大袈裟に足を開いて一歩ずつ歩いていくパッケージイラストの里伽子には、「苛立ち」よりも「気恥ずかしさ」や「うれしさ」が表現されているように感じます。
 ただそれゆえに、里伽子は拓の謝罪に言葉を返すことができなかった。(意地っ張り・プライドが高いという性格も加味されている気もしますが)

 拓への想いを里伽子が深めていくのと反対に、拓は憎しみを深めていく。

 あらためて、パッケージイラストは『海がきこえる』における高校時代の拓と里伽子の関係性を端的に表現していると、筆者はつくづく実感します。


 今回、「平手打ち」事件と学園祭との間にあった(と思われる)「拓と里伽子の和解の機会」について、パッケージイラストを元に考察しました。

 インタールード2・3ふくめて、「小説版」「アニメ版」に存在しないシーンということもあり、筆者の想像(妄想ともいう)が多い記事だったかもしれません。

 それでも、「あえて」記事にしようと思えたのは、シーンとの間をつなぐ「断片的情報」からでも、2人の行動や気持ちを探ることで、作品への理解を深めてみたいと思ったからです。

 「感情のミッシングリンク(失われた環)」(と筆者は勝手にアヤシイ造語をつくって読んでいるのですが、)を創作者の立場で考えてみることは、自分の作品の中で、何を読者に見せて何を見せないかという取捨選択をするうえで、すごくためになることのように思えるのです。

 次回、「アニメ版」において、「第2のターニングポイント」へと続いていく学園祭シーンについて考察したいと思います。

「杜崎 拓は武藤 里伽子をいつ好きになったのか?」と題した考察も次回で(ようやく?)終わりです。


今回のまとめ

DVDパッケージイラストについて

 「平手打ち」に対して里伽子に謝りたい拓の想いが表現されている。
 拓は、里伽子を追いかけて和解しよう試みるが、「小説版」の記述を踏まえて考えると失敗に終わったと推定できる。
 むしろ、拓への想いを里伽子が深めていくのと反対に、拓は憎しみを深めていき、2人のすれ違いを加速させるとともに、学園祭での終局を決定づけたと考えられる。


※記事に使用した場面写真は、スタジオジブリ公式サイトが提供する「スタジオジブリ作品の場面写真」のうち、「海がきこえる」のページのものを使用・加工しております。 


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