2015年の冬の始まりの11月。
実の妹が突然の病に倒れ、生死をさまよいました。
甥っ子は当時2歳。
心臓が止まることもあり。
もう二度と意識が戻らないかもしれない。
目を覚ましても、もう何も認識できなくなっているかもしれない。
医師はそんなことを言っていました。
家族、親戚はもうすでにお葬式のよう。
僕にだって何もできません。
ただ、返ってこない言葉を掛けて、顔を見るだけ。
悲観しかできない状況で、
僕自身だって、嘘だらけなのに、
ひたすら前向きなことを、前向きな言葉を選んでいました。
こんなことで終わるわけがないと。
そんな1か月。
結局なんだったのかと疑うほどに劇的に回復し、
現在も元気に生活しています。
そのあと、すぐ、姪っ子を授かるなど。
2015年、2016年前半と自分の人生の中でも特につらい時期でした。
この出来事だけでなく、
ああ、もうダメかな、と絶望することが度重なって起こっていました。
振り返ってみると、
自分は短気を起こすことも多く、
人間不信だったり。
厳しい言葉を投げてしまったり。
表向きばかりいい顔をしていたり。
ネガティブの代名詞と呼ばれたり。
だいぶ自分の数少ないよかったところを置き去りにしていたのでは、
ふと、そんな想いがよぎったものです。
相変わらず、心を揺さぶられることは生きていればありますが、
意外と、一晩寝ればだいたい咀嚼できていたり。
良い意味で他人に期待しない、依存しない。
何かトラブルが起きた時にでも、
まあ、どうにかなるでしょ、などと、
少し他人事すぎか、冷たすぎかくらいに、だいぶ醒めていたりします。
長い付き合いの友人も、
なんだか、僕の雰囲気や言葉が変わったと感じるそう。
悲しい思いも少ないほうがいいでしょうし、
苦労を買ってまですることはないでしょう。
信じるものしか、お金のあるものしか救わない神様などには、
まったく興味はないのですが、
生きかたを見つめ直すきっかけは誰にでも大小訪れるのかもしれません。
そのときはやはり痛みを伴うかもしれない。
歩ける。
食べられる。
気の合うひと、好きなひとがとなりにいる。
ただそれだけがすごいことで。
そんなことだけど。
あたえられた1/365をていねいに生きる。
そんなことを大切にしていきたいのです。
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