一緒に考えていこう、できるようになるから。
僕がカラオケとか自分の曲をSNSにアップすると、
高確率で茶化しながらバカにされて笑われる。
慣れてはいるし、それで自分がそういった発信を止めるつもりもない。
こだわりを強く持たない一般リスナーであれば、
笑うひとが多いのも当然だと感じる。
何せ、自分でもまったく納得していないのだから。
ただ、音楽でごはんを食べているひとが、
ひとの作品を笑うということについて。
その立場が逆だったら?
僕は30代の社会人としてある程度の結果を出し始めている。
それと比べて、30代にもなって、
売れない歌い手が、愛だの夢だの言ってるのを僕が笑ったら?
僕はすごく悪いひとだとみんな批難するだろう。
歌い手として自分はプロだと言うなら、笑えるか?
分析して伝えるとかが正しいんじゃないだろうか?
少なくとも、数年お世話になった北千住の音楽スクールでは、
笑われるということはなかった。
ドキドキしながら、聴いてもらった体験レッスン。
笑うことはなく、首を傾げた先生。
それで教わろうと始めた。
全体的にダメな歌唱力、自作曲に、
ちゃんと向き合い、良くしていくにはどうしたらいいのか、
一緒に考えてくれた。
それはいろんなものに通じるような気がして。
ふと思い出した。昔話だけども。
今のままでは正直、全部ダメだ。
でも、一緒に考えていこう、できるようになるから。
そういう言葉をくれるひとは仕事でもプライベートでもなんでも、
少なかったけど、いつもいてくれたように記憶している。
僕のこれまでの人生を振り返っても、
援軍や仲間にはあまり恵まれなかった。
地味に基本的にはひとりでなんでも考えた。
じさつ危機も3回くらいあったかな。
目張りして混ぜた、洗剤w(ガチ
この話の導入は音楽だったが、
何かの「プロ」だと、自分を位置づけるなら、
同じ道を歩むひと、歩もうと一歩踏み出したひとを笑えるだろうか。
「一緒に考えていこう、できるようになるから」
この言葉で、自分はこれをやってもいいんだな。
そう、救われた気がしたのを今でも覚えている。
ひとはひとりでは生きていけない。
投げられた言葉ひとつだけで、
誰かの何かを壊すことがある。
もしくは、誰かの何かを救うことがある。
だったら、後者のような言葉を僕はたくさん言おう。
綺麗ごとだと、誰かが笑ったとしても。
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