見出し画像

寒い夜の肉まんについて

秋が冬へと徐々に近づいて行く頃、夜11時を過ぎる時間に、毎日のように自転車で夜道を走っていた。肌寒い夜風の中、コンビニの駐輪場に自転車を停めて、冷えた身体で暖かい店内に入る。毎晩、一本のエナジードリンクを手に取り、レジでお店の人にこう頼んでいた。
「肉まんを1つください。」

肉まんを食べるのが好きだ。温かく、柔らかい肉まんは身体だけでなく心も温めてくれる。外が寒いほど、その時何かに夢中になって頑張っている時ほど、美味しく感じる。

その頃自分は学校の授業に追われながら、片道12キロの道のりを、演劇の稽古のために家から往復していた。学校できる演劇とは違う世界を求めて、学外の劇団の公演に向けて練習に励んでいた。稽古場が家から12キロ離れた地点にあり、お金だけでなく乗り換えの関係で時間も自転車より掛かる場所だったので、仕方なく長い距離を自転車で通っていた。

正直身体がキツい日もあった。毎日、授業に行き、自転車を漕いで稽古に行き、再び自転車を漕いで家に帰り、次の日の課題をこなしながら眠り、眠たい目をこすりながらまた授業に向かっていた。実際授業ではよく意識を失っていたし、稽古でも集中力を欠いて台詞を飛ばすことが度々あった。

しかし、帰り道に食べる肉まんは美味しかった。疲れた体にそのぬくもりが染み渡り、明日も頑張ろう、とまた家まで自転車を漕ぐことができた。もちろん、僕が頑張れていたのは肉まんだけのおかげではない。家族や友人などの関わりのある人からの応援やお風呂、息抜きのサッカーも、毎日を頑張る原動力だった。

肉まんとは何だろうか。色々な角度から見ると色々なものに見える。ざっとあげると、食べ物であり、売り物であり、動植物の加工品であり、製造工場の利益の元であり、僕の頑張る源である。まだまだある。物質であり、ビックバン以降に発生した何かがある世界に「ある」ものだし、数字で表現できる形のものであり、もしかしたら実在しない何か、かもしれない。ひとつのものというのは、数え切れないほどの呼び方がある。

大切なのは、その肉まんを食べて僕が明日も頑張ろうと思えたことだ。なぜだかよくわからないけど好きだからと食べて、幸せを感じた。それはたぶん、僕にとっていいことだった。

大切なものはいつでも名前をつけることができない。
ただ、そこにあるのだ。

もし僕が、頑張る誰かの肉まんになれているとしたら、それはとても嬉しい。

素直に書きます。出会った人やものが、自分の人生からどう見えるのかを記録しています。