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先に生きる、ということ

少しテンションは抑えめ、しっとり目な文章です。
僕が中学校で出会った先生たちを紹介します。先生という言葉は「先に生きる」と書きますが、先を生きている人たちに学校という場所で出会えたことにとにかく感謝したいと思っています。
紹介するのは各学年で担任だった3人の先生です。(中学時代もう一人いた担任については長くなりそうなのでまた別の機会に書こうと思っています。)

今回のテーマ曲はH2Oの「想い出がいっぱい」です。

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中学校1年生。今からは思い出せないくらい小さかった体をブレザーに包み、緊張しながら教室に足を踏み入れたときの担任が、歴史専門の先生だった。快活な喋りと真面目な表情が印象的な、顔立ちの整った三十路の先生だった。時々行われた研究授業では、よく歴史の授業が採用されていたので優秀な先生だったのだと思う。また、趣味も多彩で、絵が上手く、ギターやピアノも弾けて、バスケ好きなので運動もできるという、周りを惚れ惚れとさせる人だった。(ちょうど担任だった頃に子供が生まれ、彼女の絵を描いて美術展にその絵が飾られたりもしていた。)
彼の授業は毎回同じ形式で、青い枠線で囲った「なぜ」から始まる問いをテーマに、歴史の授業が行われた。予想を立て、史実を学び、問いに対する考察を行う。とても整った形式で毎回の授業が進んでいったのでノートが取りやすく、見直すのが楽だった記憶がある。

この「なぜ」という姿勢は今の人生のベースとなっている。問いを立て、物事を深く考え、理解する。全ての物事に対しての基本的なアプローチ、考え方、決断の方法の基礎となっている。

中学校2年生。世間の例に漏れず中二病にかかり、友達とBUMP OF CHICKENのコピーバンドを始めた頃の担任は英語の先生だった。彼女は日本から一歩も出ることなく英検一級を取り、AET(Assistant English Teacher)よりも綺麗な発音で英語を話す先生だった。真面目ながらおしゃべりで、ジョニーデップへの愛を授業中に事あるごとに語っていたチャーミングな姿が懐かしい。驚いた時にナチュラルにOops!と言ってしまう可愛い姿は、他の先生からも話の種にされていた。

勤勉さとチャーミングな姿、この二つに魅了された1年間だった。本当に教育熱心な先生で、いつも真剣に授業をし、話を聞き、笑わせてくれた。努力をすることによって得られるものは学力だけでなく物事に真剣に向き合う力だと教えてもらった。

中学校3年生。多感な時期を迎え、長い初恋が終わって少し憂いを帯びていた頃の担任が2年生の時とは別の英語の先生だった。僕たちの担任をしている途中で結婚し、産休に入って担任が交代したのであまり長い時間を過ごすことはできなかったが、卒業の際にある言葉をもらったので、強い印象が残っている。英語の先生なので英語と日本語の混じった一枚のカードだった。

"Choose always the way that seems the best, however rough it may be” 大変だとわかっていても、自分と周りにとって一番良い道を選ぶあなたの強さを尊敬します。自分を磨き続けてください。

自分が正しいと思うことを、時間をかけてでも選択することができたのは彼女のこの言葉を常に心に持っていたからだと思う。

まだまだ語り尽くすことのできない思い出がたくさんある。色々と思い悩んでいた自分を「先に生きて」励ましてくれた人たちの人生が、今の僕の血となり肉となり、この体を動かしている。本当に担任運に恵まれた三年間だったと思う。

中学時代の3人の担任に想いを馳せるうちに、自分も誰かの先に生きていることに気づいた。自分が誰かの人生の一部分になっているということに、身が引き締まる思いになった。

素直に書きます。出会った人やものが、自分の人生からどう見えるのかを記録しています。