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平凡から抜け出したというお話。

自分を縛り付けるのはいつも自分。



私はずっと自分を平凡な人だと思ってきた

私は秀でた能力を持っていません。昔から、
・勉強の成績は普通くらい
・運動神経皆無
・習っていたバレエもピアノも下手だった
・絵は全くかけない………
など、私の平凡さをあげていくと、きりがありませんでした。

今も、
・部活に励む訳でもなく
・企業やマーケティングを勉強することもなく
・なにかの組織を立ち上げるとかもなく
・趣味もあまり見当たらず
・恋愛経験も皆無
・ツイッターのフォロワー25人…
平凡な学生生活を送ってきました。

少し前に、「私の特技は?」と友人に聞いたら、その人は黙り込んでしまいました。

就活の自己分析でも、なかなか目立つ長所は見つけられませんでした。

そう、私はなにかずば抜けてすごいところがない、平凡な人間です。

そう、思ってきました。

自分の無能さを恨んだこともありました。
どこかに才能が眠っていないか、新しいものにとっかえひっかえ手を出し、探し回ったりもしました。

でも、私は私。そう簡単に平凡から抜け出すことはできませんでした。


平凡という言葉とは

なぜ私は平凡から抜け出したかった…?平凡って悪いことだろうか。第一、何を基準に平凡と非凡の違いが生まれるのだろうか。
ある日ふと、疑問に思いました。そして、平凡という言葉について考えることにしました。


平凡とは何か、あなたははっきりと定義できますか?
わたしはできません。平凡とは、主観的な言葉だからです。

つまり、平凡の定義は人によって変わってくるということですね。

これが何を示すか。


自分を平凡だと決めたのは、私自身、だということです。

私が自分を「平凡」だと思ったその瞬間から、私は平凡になってしまう。

私の中の平凡の基準を「私自身」にしてしまったということです。

もしかすると、私は人から見たら平凡ではないかもしれない。

思えば、人から平凡だと言われたことはなかった。

そう、私は自分自身を客観的に知ろうともせず、言葉で決めつけていた。
「平凡だ」と。

誰も正確に定義できないものに自分を当てはめる。

「平凡だ、才能がない」と思い込むことで努力することから現実逃避していたとも言えるでしょう。

私は、自分で自分を平凡という言葉で縛っていたんです。
「平凡だから出来なくてもいいや」
「平凡なんだから失敗するに違いない、やめとこう」

違う、やってみないとわからない。


そもそも、平凡って悪いことじゃないですよね。オールマイティと言いかえられるのかもしれない。それに、根本的に考えて、突出した才能がないことが、不幸というわけではないですよね。

そんな当たり前のことに気がつけないほど、私は自分自身を歪んで捉えていたのです。

私は、自分のことを平凡と決めつけただけではなく、平凡という言葉の意味までマイナスに捉えてしまっていた。


もう自分を平凡という言葉で縛りたくはない。

そう、思いました。


「平凡とか平凡じゃないとかは関係ない。私は私」


だから言います。自分を平凡だと定義したかつての自分自身に。


だれとも比較せず、誰にも、自分にも縛られず、私は「私」として何かを書き残したいのです。


今後の投稿について


そんなこんなで、平凡からは抜け出した私ですが、客観的に考えてもずば抜けてなにか才能を持っているわけではありません。

これは事実です。


今まで、なにかの発信は、才能がないとやってはいけないこと、敷居の高いことのように捉えていました。


でも、そんなことはない。なにか突出した才能がある専門分野を持ってないなら、分野を絞らなければいいんだ。

ということで、今後投稿していきたいジャンルをメモ書き程度にまとめてみます。

・自分の気に入っているアプリに関するお話(紹介)
・看護学生にまつわるお話(実習とか課題とか…)
・大学生活にまつわるお話(新たな経験、出会い)
・勉強に関するお話(効率よく勉強する方法?)
・創作に関するお話
・好きなアニメやゲームの話
・恋愛観に関するお話
・日頃考えてることに関するお話
・自分自身の特性に関するお話

など


プロじゃなくても、なにか突出してなくても、私は普通に色々考えるし、紹介したいものもたくさんあります。


とある看護学生も色々考えるんだな、みたいに気楽に目を通していただけると嬉しいです。

また、役立つかもしれない話もしていけたらとは考えてますので、これからよろしくおねがいします!


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