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エコロジーについてかんがえる

僕の実家は木の箱(折箱と呼ばれる)を作るお仕事を生業にしている家系である。今年の夏、両親に「会社の広告パンフレットを作ってほしい」と頼まれて制作したという出来事があった。

そこで、まず第一に「環境に配慮して箱を作っている」という内容を組み込んでほしいというリクエストを受けた。木を取り扱っている以上、環境問題とは切っても切り離せないわけなのだが、最近はとくにSDGsの高まりもあって環境問題関連のツッコミを受けることも多いらしい。ともあれ、SDGsとはなんじゃろな、と思っていろいろと勉強したのもその頃である。

僕はさほどエコロジー問題に関心があったわけではなかったが、いろいろと調べていくうちに、もう少し深く問題を掘り下げてみたいと思うようになった。また、少し前に『三つのエコロジー』という本を読んだことを思いだして、読み返したりした。というわけで、今回はその本について語りつつ、エコロジー問題とはなにかということについて、少し書かせてほしい。

さて、本題に入ろう。SDGsをイチから説明するなんて野暮なことはここではしないが、かなり端折って言えば「環境を守るためにこれに気をつけましょうね」ということを様々な側面から取り決めたものだと言っていいと思う。その内容について個人的にはいろいろとツッコミたい部分もあるが、それはそれとして、ひとつ考えてみたいことがある。そもそも、「エコロジー」とはなにか?ということだ。SDGsの流行りを受けて多くの人がいろんなことを言っているが、エコロジーとはなにかということをイチから考えなくては元も子もないと僕は思う。さらに言えば、これを機にエコロジー問題に関心を持ち、根本からそれを考える人が増えたらいいと思うのだ。

ここまで来てハードルをかなり上げてしまっているのだが、この文章でなにか新しく突飛なことを言うつもりはない。むしろ、よくよく考えたらそうだよね、ということを言うのがこの文章の目的なので、期待せず、のほほんとした気持ちで読んでもらえたらと思う。

ふつう、エコロジーという言葉は「自然環境」の意味で使われる。しかし、語源を辿っていくと、エコロジーは古代のギリシアで「家」を意味した「オイコス」に由来するそうだ。「オイコス」はさらに言えば社会関係などの意味も含んでいるので、エコロジーという言葉はその語の始まりからすれば、今用いられているような「自然環境」という意味よりもかなり広い意味で「環境」を示していると言えるかもしれない。

まさにそういうことを主張したのがフランスの精神分析家であったフェリックス・ガタリという人で、この人が書いたのが『三つのエコロジー』という本だ。少し詳しい人なら、ジル・ドゥルーズと共著を書いているということで知っているかもしれない。それはともかく、ガタリが言うのは、エコロジーという語はいまや自然環境にしか使われていないけれども、そうではなくて、もっと広い意味で「環境」を考えるべきじゃないか、ということだ。

表題の三つのエコロジーというのは、ざっくりと言えば、精神的な環境、社会的な環境、自然環境の三つのことで、これらが全部つながっていることをガタリは指摘する。自然環境は社会の環境にも関わっているし、個々の人間にも、もちろん関わっている。例えば、誰かが缶をポイ捨てしたとして、それは自然環境にとって悪だと同時に、社会にとっても悪いことだ。そうやって、いろいろな形で言われる環境は、すべてつながっている。だから、人間の問題も社会の問題も自然の問題も全部をひっくるめて、環境問題を考えなおすべきなのではないかと、ガタリは言うわけだ。

もうひとつ、ガタリは明示してはいないけれど、なにを「自然」として考えるのかという問題もある。例えば、竜巻や津波などの自然災害を考えるとき、どうしても僕らは自然を敵のようなものとして見てしまう。でも、その災害の原因に、全く人間が関わっていないなんてことはありえないはずだ。そうだとすると、人間も実は、敵とみなしている自然の一部なのではないかと思えてくる。じゃあ、僕らが普段、自然と呼んでいるものはなんなのだろう?自然を守ろうと人は口にするけれど、その自然っていったいなんなのか?そういった問題も見えてくる。

ガタリは残念ながら、具体的な話はあまりしていない。ただ、環境問題を考えるうえではやはり、エコロジーという語を「自然」にだけ押しとどめてしまうことはいけないとは僕も思う。SGDsだなんだと叫んでいても、それはそれで大事かもしれないけれど、本質的なところにはまず「自然とはなんなのか」という問いがなければいけない。そしてそこには、人間も含まれているべきだと思う。

また、環境という語に人間も含まれているということは、簡単に言えば人間といわゆる自然は不可分に関係しているということである。したがって、一人ひとりの人間のひとつひとつの行為が、そのまま自然の問題に直結していると考えていい。環境問題と聞くとまるで遠い世界の話のようだが、まったくそんなことはなく、それは個々の人間にも関わるものなのだ。反対に言えば、個々の人間が気をつけることで多少なりとも改善の可能性は高まる(例えば水を節約するとか、ポイ捨てしないとか)。またそれは、人間の生活をよくする手段にもなりうる(ポイ捨てしなければ、街は綺麗に保たれる)。

だから、結論はあまりにもありきたりだが、一人ひとりが自分がなにをすべきかを考えて行動することが大事なのである。SDGsは、ただそれを知っていることが重要なのではなくて、それを見て、「自分が守るべき自然とはなんだろう?」「なにが自分にはできるのだろう?」と考え行動することが大切なのだと僕は思う。

先にも述べたが、SDGsの高まりとその考えが広がることによって、多くの人がエコロジー問題に興味を持つことが大切だし、それによって自分の行動を反省することが大事なのだ。『三つのエコロジー』は専門用語もたくさん出てきて難しいところもあるが、そのエッセンスを汲み取ることは難しくないので、ぜひみなさんにも読んでほしい。

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー) https://www.amazon.co.jp/dp/458276651X/ref=cm_sw_r_apan_glt_i_NQABAR45MBPERNAHCVYV?_encoding=UTF8&psc=1

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