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入院生活ブログ22日目〜愛と死・そして「再生」を読んで〜


おはようございます!
本日は入院記録ではなく、この入院中に出会い読ませて頂いた書籍のご紹介とわたしなりの感想を書きたいと思います。


よろしくお願いします‼️🙇‍♀️


ーーーーー

著書:まつお様 


書籍:愛と死・そして「再生」
~最後の40日 増補改訂版 (みこちゃん出版)

愛と死・そして「再生」~最後の40日 増補改訂版 (みこちゃん出版) https://www.amazon.co.jp/dp/B09KPYL7LR/ref=cm_sw_r_awdo_navT_a_KJ1AG6P1V5NS2DPVJ9KJ


松尾様Twitterアカウント @mostfoolestman


現在行われている企画


はじめに

まず、ありきたりですがこの本のキーワードなっている「再生」について考えてみました。

そもそも再生という言葉を日常で使用した記憶がなく、動画や、YouTubeを見ていて無意識に再生ボタンを押すことはあっても、

再生できるように〇〇しようね、や、
再生するために〇〇しようね、
を人にはおろか自分にさえ言ったことはおそらくなく、
「更生の必要がある」
などはたまに悪いことをしてしまった人に対して聞くことはあっても「再生」というワードはニュースを見てても耳に入ってきたことはあまりなかったと思います。


その上で疑問に感じたのは、
リモコンに使われてる再生や停止ボタンの記号。

再生は▶️
停止は⏹
早送り⏩
巻き戻し⏪
録画⏺

どうして?と思い調べました。
諸説にもよるようですが、

三角形
古来から三角形には数字3を最も神聖視していた形とも言われている。「成長」や「拡大」をもたらす意味。
四角形
四角形はあらゆる形のなかで最も完全な形態を表すとされている。
あらゆる物事を安定させ、すべてを包み込み、固めて形づくろうとするパワーを持っている。
円形
始まりも終わりもないため、完全性・永遠・完璧さの普遍的な象徴。
「円」のモチーフは、決して途切れることのない連続性や永遠を表わしてもいる。

https://www.google.co.jp/amp/s/gtdwmse.com/play_symbol/%3famp=1(参照)


そもそも、
リモコンの記号はISO規格で国際的に統一されていて、そして、人間という動物には無意識に
右方向=前に進むというイメージがあるそうです。


たしかにリモコンの再生ボタンが◀️の表記は見た
ことがなくなんだか落ち着かないです。



前置きが長くなってしまったのですが、
「再生」というのは、古来から神聖とされている3という数字からきており、成長、拡大、人間の本能である右向きに表記され、そして、再び生きる。と現代にて浸透していると理解しました。



本書への素直な感想

結論から言えばこの本の内容はフィクションとも思いたいようなノンフィクションであり、
お二人と1匹のわんちゃんは、
どんな時も前進しか考えず、真っ直ぐと前を見て励まし合い、成長し、辛い時は3人で(1匹)固め合い、お互いの存在を確認し合いながら、幸せを拡大するために生きた軌跡の時間だったのだと思いました。




そして、その一部始終を
⏺円(録画)として、後世に綴り途切れることなく誰かの心に残り続けるためにこの本が作成、出版されたのだと感じます。



テレビのリモコンに例えるのはとても恐れ多いことですが、この本に出会わなければ、わたし自身、再生の意味を真摯に受け止め考えることのない人生を生きていたと思います。




そして、
わたしにとっての再生とは何か、再生とはいつか。
を考えました。



わたしは今、精神科に入院しており、
病棟のベッドでこちらの本をに出会い、読ませていただきました。


不思議なことにこの本を読んだ昨日、
その直後に看護士さんがわたしに声をかけてきました。

看護士さんは

「今から少し時間があるので売店に行きませんか?」

と。

精神病棟から一歩でも出られること、
歩けること、
違う風景を見られること、
嬉しくて、嬉しくて二つ返事で
行きます!と言いました。




土曜日の総合病院は、
シーンと静まり返っていてほとんど誰もいない、
院内の電灯も最低限しか点灯していない、
窓口もカーテンが下がり、
毎日マスクの人でごった返しているロビーも閑散としていました。



何日ぶりの病棟外だろうと思っていたとき、
ふと、前に目をやると

売店の向こう側に、2人の男女がいました。




女性は管のついた点滴を引っ張り
その横に寄り添うように男性が座っている。




わたしはその2人をボーッと見る。

何を話しているかは聞こえない。

深刻そうにも見える。



そう思った矢先

男性が突然立ち上がり


なんと、 



ヒゲダンスのようなお世辞にも上手とは言えない
ぎこちない動きで踊り始めたのです。




その姿を見た、女性は耐えかねたのか
それまではむすっと不機嫌そうだったのに


ワハハと笑い



それを見て男性は嬉しそうに
エヘヘと笑いました。



以下本書抜粋

夜遅くになってから「散歩」しようということが多くなりました。  遅い時間帯になると夜勤のスタッフさんも多くはないので、よろしくないことはわかっているのですがそこまで長時間にならなければ気付かれません。  車椅子を押してナースステーションの横を駆け抜けて、エレベーターに乗り込み一階のロビーへ行きます。  昼間は受付や会計を待っている人たちでごった返しているロビーも無人、ほぼ真っ暗です。ロビーにだけ紙コップ飲料の自動販売機があって、オレンジソーダかメロンソーダが鉄板でした。  ロビーの一角にある長ソファが、やわらかく心地良いということでりえさんのお気に入りでした。  そこで、しばらく休憩します。  各階の「探検」もして、もうひとつりえさんが落ち着いた場所は二階にあった小児科の待ち合いロビーでした。  柱を囲むようにぐるりと背もたれなしのソファがあって、からくり時計があったり絵本の入った本棚があったりしてどこか懐かしいような雰囲気です。  そこでしばし仮眠することも、お約束になりました。  見回りの人が来てびっくりされたこともありましたが、誰もいない不思議な静寂の中でちょっと目を盗んで悪戯をしているようなふたりの時間は悪くなかったです。


本音を言うと、
わたしはまつおさんの本を自分のベッドの上で読んだ直後は現実味が無く感情への訴えなどの何かはありませんでした。



しかし、
この売店の目の前にいる男女のやり取りと、
本書の抜粋させていただいた情景が重なった瞬間に、




わたしは、気づいたらその場で泣いていました。





病気の人、その人を支える人、
回復する人、寿命を迎える人、

もしかしたらどこにでもある話なのかもしれない、だけど、その当人たちにとっては

生きるか死ぬか、今日か明日か、
1分、1秒が、惜しく儚く、
停止して欲しい時間。


そして、
病気の人が笑ってくれる、
瞬間的でも良いから痛みを忘れられるのであればなんでもする、
そんな看病をする人たちの賢明な努力に
その男性のヒゲダンスと、まつお様の文章が蘇り
目を背けられない事実としてわたしの前に立ちはだかり胸を打たれました。



売店の先にいる、男女が
今後もどうか幸せになりますように。
女性が元気になってお家に帰れますように。

としかわたしは思えませんでした。



まつお様は本書の中でこのようにも書いています。

じっとしていることもできないくらい、苦しいんです。  夜も、寝付くことができません。  私は、眠れないなら眠れるまで付き合うと大きなことを言っていました。  ですが毎日全速力で動物病院や自宅と往復し介助、数値の管理をしながら起きてい続けることはどうしても辛くなってきていました。  そしてうつらうつらしてしまうと、「うちが寝るまで寝ないんだよね」と水をかけられました。  私が言ったのですから、正解です。  ですがもう少しするとまた意識が遠のいてきて、水が飛んできます。  申し訳ないながら、一生懸命やってるのにちょっとひどいんじゃないのとも思ってしまいました。  でも、苦しさをぶつける先がなかったんだろうなと思います。

本当に心優しく、寛容であり、
りえ様への愛を感じるシーンでした。



わたしも今、自分自身が治療を行う身であり、
どうしようもない不安恐怖、焦り、苛立ち、
悲しみ、孤独に襲われます。


自分の性格的にそれを誰かにぶつけることも出来ない、泣くという行動でしか、表現が出来ない。


してもらった優しさに、
ありがとうも言えない、
言いたいのにお礼さえも出てこないことの方が多く、むしろふてぶてしく、無言になることもあります。


まつお様に水をかけるりえ様のお気持ちがとてもわかる反面、その行動に対して感情的にならず受け止めるまつお様の愛の深さに言葉にはうまく表現出来ないほどの絆を感じました。



本書内のインタビューにて(抜粋)

●まつおさんにとって、「愛の本質」を言葉にするとどのような表現になりますか。  

難しいですが、自分のことはまったく顧みず相手のために尽くすことでしょうか。  「最後の40日」へ向かうほど特にその感情に突き動かされていっていて、「〇〇してほしい」というような見返りを求める気持ちはまったくなくなっていました。

とありました。


この気持ちを誰もがすぐに持てるというのは難しく、わたしは特にそれができない人間だと思います。



しかし、
わたしも生きている以上、
生かされている以上、今は停止ボタンの状態ですが再生ボタンを押し前に進んで行かなければならないと思いました。

再生するということは、自分を大切にしながらも周りの人の役に立ち、与え、見返りを求めず前に進むこと。そう解釈します。




最後になりますが
ゆめのさんの絵の応援を現在はされているまつお様。わたしもゆめのさんの絵を見て、呼吸が止まるほどの魅力を感じました。

普段、絵、芸術、音楽、展示会、写真展に行っても何も思わない、むしろ入場券を払ってまで見てもわたしは何も感じられないから意味がないとまで思ってる人間でした。


しかし、ゆめのさんの絵にはそんなわたしの乾いた心さえも揺さぶってしまう何かとてつもないパワーがありました。



ゆめのさんの絵を見るだけで私自身、書きたい言葉が自然に出てきたことも事実です。
図々しくも2つも企画に提出させてもらったくらいです。



noteを始めたことで、沢山の知らないことを知り、たくさんの価値観を感じ、そして自分を表現することができました。




まつお様の今後のご活躍、まつお様に携わっている数々のサポーターの皆様、そしてゆめの様のご活動を陰ながら応援しております。



この度はありがとうございました。



ゆめの様


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