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「やりたくないこと」から考えたっていい。25卒の就活へのギモンから始める哲学対話 【前編】

 あなたの強みをおしえてください。
 入社後にやりたいことは何ですか?
 10年後どうなっていたいですか?

そんな質問を受けると、できるだけ他人と被らない、
“自分らしい”回答をしなければと思わされます。

やりたいこと、自分らしさ、個性。
よく見かけるわりに説明しづらい言葉たち。

本記事では、就活を控えていろんなギモンを抱く学生たちが“哲学対話”をし、答えのない問いに向き合った姿を綴っていきます。

COLOR Againの取り組み

筆者はCOLOR Againというプロジェクトのメンバーの一員です。
今回お話する学生同士の哲学対話とは、本プロジェクトが企画したもので、青山学院大学の宇田ゼミを訪問させていただきました。

COLOR Againは、「塗り替えよう。わたしも世界も美しく」をテーマに、使われなくなったコスメをSminkArtという色材に変えるとともに、一人ひとりが固定概念から解放され、自分にとっての豊かさや感性に出会うための活動を行っています。

私たちは本来、自分は何を感じるかという、それぞれの感性を持っています。

しかし、現代社会にある固定概念や同調圧力によって、気づかないうちに自分の感性に鈍感になり、日々感じていることを素直に受け取ることすら難しくなっていると思います。

自分が何者なのかというアイデンティティよりも、自分は何を感じるかという感性を再発見してもらいたい。

だからCOLOR Againは、ただコスメのアップサイクルをするだけではありません。
色材に生まれ変わることで、コスメに出会ったときのときめきを、もう一度取り戻すかのように、自分が大切にしている情景に出会い、自分の感性を信じられる社会を目指しています。

青山学院大学 宇田ゼミへの訪問のきっかけ

哲学対話に感じた可能性

今回は本プロジェクト発起人である、伊藤がお世話になっていた教授、宇田先生が渋渋との取り組みに共感してくださったことで企画がスタート。

宇田ゼミの学生に向けて、感性の問題について話す

宇田先生は青山学院大学でのゼミ生にも、何か刺激を受けてくれたらと考えていらっしゃる中で、COLOR Againと渋渋で行った、哲学対話というアプローチに可能性を感じてくださりました。

これから学生には、間違いたくない・失敗したくない気持ちから取る行動だけでなく、正解を選ぼうとせず、自分の頭で考えて自分で動いてみてほしいという期待を込めて。

宇田ゼミでは学生が今強く意識しているであろう「就活」を切り口に、2回の訪問に分けて哲学対話を企画することにしました。

就活に対するイメージ

学生たちに、哲学対話前の就活に対するイメージを聞いてみました。

・自分のいい面だけを見せる場所
・個性を見つけないといけない義務感
・他の人よりも自分が優れているとアピールする場
・自分を作っていくもの

みなさんの回答からは、ちょっと無理して頑張るもののように聞こえてきます。

参加者はこれから本格的な就活を迎える3年生を中心に、4年生もちらほら。

すでにインターンをしている人もいれば、まだまだこれからの人もいる中でも、就活でどんなことが求められるのかは、みんなだいたい想像ができている。

そしてみんな、ポジティブなイメージを持っていないようです。

そもそも「やりたいこと」って何だろう

趣味がないから「やりたいこと」がわからない?

「“やりたいこと”を仕事にすべきか、という話の前に、自分は“趣味”とか“好きなこと”がそんなにない。あるとしたら“人と話すこと”だけで、今だったら飲み会が好きとか。趣味がない…得意分野や興味分野も。そういう人ってどうすればいいんだろう。趣味がある人は、やりたいことにつながりやすいと思うけど…

自分には“趣味”がないから、そもそも「やりたいこと」ということにも疑問を持っている、そんな学生が立てた問いでした。

「でも、必ずしも趣味を仕事にする必要はないと思う。人と話すのが好きなら営業という考え方もできるし、書類を見るのが好き、人を動かすのが好きなら人事や経理、みたいな柔軟に考えることで見つけられるんじゃないかなって思う」
「でも、営業、経理、事務とかってどこの業界にもある職種だから、それを選ぶのが難しいんだよね」

趣味=仕事につながるという等式でなくとも、広く好きなことを考えれば、仕事は見つけられるのでは、という考え方も出てきました。
一方でそれだけでは「◯◯業界の中の△△会社で、〜〜をする」という絞り込みまでは難しいという声も。

哲学対話中の学生たち

何か強い“好き”を持っていたり、複数の“好き”と“好き”を掛け合わせたりしないと、「やりたいこと」は見えてきづらいような様子がうかがえます。

「やりたいこと」は自分の“好き”と関連しているという大前提が、みんなの共通の価値観としてありそうです。

仕事があると「やりたいこと」ができなくなる?

一方でスノボが“趣味”で、スノボが「やりたいこと」であるという学生も違う悩みがありました。

学生A「めちゃくちゃ悩んでる。やりたいことがやりたすぎて。今は冬休み、春休みがあって、雪がある期間はずっと滑れるけど、就職したら長い休みはもう取れない」
学生B「冬に仕事がない選択、農家をやったら?逆に雪にまつわる仕事はどう?」
学生C「なんでフリーターは嫌なの?」
学生A「お金ない…」
学生B「会社内の部活とかサークルとかで、スノボがあるところを探すのは?」
学生A「それだと2ヶ月は休めないから…」

自分の中で「やりたいこと」を聞かれたらスノボだと答えられるけど、それは仕事ではない。
むしろ仕事を始めることで「やりたいこと」ができる時間が限られるという不安。

とはいえ、「やりたいこと」を好きなだけ楽しむためだけの観点で仕事を選ぶことにも、しっくり来ません。もちろん生活があり、経済的な問題も無視できない。

世間ではそれを「ワークライフバランス」と言って語るようなことかもしれませんが、使える時間で見れば、圧倒的にワーク>ライフになってしまうからこそ、「終業後に」「空いた時間で」「土日に」では足りない。

「やりたいこと」が分かっていたところで、解決するような単純な悩みではありません。

「やりたいこと」をできている人は誰?

「やりたいことと言っても、今まで自分が持っているもので勝負する感じがある。成功者は持っているものを生かしている。それってやりたいこととは別なのかな」
「周りと比較して、自分はこれ得意なんだとかあっても、やりたいこととは限らないし」

“成功している人”を見ていると、元々才能やスキルを持っているように感じられる。
でも、周りより“できる”こと、つまり得意なことはあったとしても、それをやりたいと思えるかは別問題です。

好き、得意、やりたいこと。
似ているようだけど、やっぱりイコールで結ばれはしないという考え方も出てきました。

「今40歳の人にやりたいことできてますかって聞いても、できてるって答える人はほとんどいないと思う…」
やりたいことを仕事にできるのって勇気がある人。仕事になった瞬間、それが好きじゃなくなるかもしれないし。稼げるって分かっていない状態で、仕事にするのも勇気がいるなって」
「趣味だったとしても、“相手”が生まれた瞬間に義務って発生しちゃう。自分は同人誌とか本を作るのが楽しそうと思ってやってみたけど、売るという行為が生まれて、いつまでに仕上げるというタイムリミットができて…。さっきまで楽しい趣味だったのに、全然楽しくない義務になっちゃった。だから、趣味をそういう風にしたくない」

逆に、好き、得意、やりたいことが全て繋がっている人は幸せ者なのでしょうか?

やりたいことを仕事にしても、好きでいられることはすごい。
得意なことをやりたいことだと思って、仕事にできていることはすごい。
どこか羨ましいような気持ちも垣間見えます。

本当にやりたいことをできている人は、一体誰なのでしょう。

素直な感情を打ち明けると、新たな問いが生まれる

「正直、今バイトしているところで正社員にはなりたくないなと思う。バイトでもできることを、正社員になっても働きたくない」
「求められたいよね」

「やりたいこと」が見えてきづらい中で、「やりたくないこと」には強い意志を感じられました。

誰にでもできることはしたくない、自分だから求められるような仕事をしたい。
決して「やりたいこと」を求める理由は「楽をしたいから」というわけではありません。

「例えば今1億円もらえるとしても、勉強もしない仕事もせず、YouTubeを見て娯楽だけで生きるって考えたら、本当に幸せか?そうじゃないと思う。頑張りたいというか。お金がもらえて、何してもいいってなったらどう?」
「1,2年は怠ける」
「でも、どんどん自分のこと嫌になりそう」
「達成感って大事」

例え大金持ちになったとしても、ニートにはなりたくないという学生たち。
「やりたいこと」の先には達成感があり、何かを頑張ることに価値を感じています。

達成感は「やりたいこと」ができたときに、最も得られるものなのでしょうか。最も頑張れるのは「やりたいこと」だからなのでしょうか。

そんな新たな問いも湧いてきます。

本当に「個性」って必要なのか

プラスの個性とマイナスの個性がある?

「もし個性があったとしても、就活のための自分を作るだけじゃないの?グループワークで自分は“考えるタイプ”だから、考えるだけでいいやって思う人はいないわけだし。結局喋ろうとしたら、それ個性じゃないじゃんって」

就活において、個性はその場に合わせて、結局作ってしまうもの。
どんな役割が求められているかを察して、演じることになってしまうと話します。

また、個性とは相対的に少数派であることで、決まるものかもしれないという考えも。

「犬か猫かどっちが好きかは、その人の個性なはずなのに、10人中9人が猫が好きで、1人が犬だったら、犬派の人が個性扱いになる。それは普通なのかな?だとしたら、面接の時でも話すのが得意な人がいっぱい集まったら、逆に話せないけど静かな人が目立って個性になる気もする」

求められる役割を演じること、その場において少数派につくこと。
たしかに、どちらも「個性」を意識しすぎた結果、自分の感性を無視されることになりかねません。

問いに共感し、考え込む

「推薦入学の面接を受けていて、先輩に 『スポーツ推薦はほぼ受かる。面接はやばいやつかどうか確かめるだけだから、緊張しなくていいよ』と言われた。その“やばいやつ”っていうのも個性じゃないか。人から見てプラスな個性とマイナスな個性って何だろう
「マイナスの個性は誰にとってのだろう?」
「組織、集団」
「一般常識があるかどうかが問われている」
「個性の中にも、TPOを弁えている必要があるっていうことか」

そして、全ての個性が受け入れられるわけではなく、常識を踏まえた上で個性を発揮しなければならないことへの疑問も湧いてきました。
そうだとしたら常識とは何でしょう、誰の常識なのでしょうか。

プラスやマイナスなどなく、すべて個性と言っていいはずなのに。

マイナスなものとして扱われてしまう個性があること。
今まで生きてきた経験から、どうしても悟ってしまいます。

必要とされやすい個性がある?

「こういうゼミみたいな場になると、個性の薄い / 濃いはあるにしろ、濃い人がいてくれないと面白くないなって。キャラ持ってる人がいないと話が前に進まないのは絶対にあるから」
「なんだかんだ頭いい人の印象はある」

ここまで色々話してきたにせよ、結局グループで何かに取り組むときは、キャラが濃い人や頭のいい人がいてくれないと困るという、率直な気持ちも見えてきました。

このような場を進めてくれる人というのは、努力すれば誰でもなれるものなのでしょうか。ならなきゃいけないのでしょうか。

答えのない問いだからこそ、言葉選びに迷う場面も

「面白い発想を持って来れるのは経験じゃどうにかならない。それは個性だと思う」
「人と違う経験をしている人は視野が広い」

発想こそ、その人の個性で、今の自分が“経験”を積み重ねようとしても簡単には真似できない。
これまで人と違う“経験”をしてきた人は、視野も違うと、聞こえてきます。

ある意味これは、付け焼き刃の個性ではなく、その人が培ってきた感性が活かされているという捉え方もできそうです。

「考え方を鍛えようとしたら、個性になるのかな?」
「そもそも個性を伸ばすって何だろう」
「自分のために個性を伸ばせている人は羨ましい。他人のために個性を作っている状態は苦しい」

いずれにしても、他人のために自分の個性をつくろうとするのは辛い。
できるだけそれを避けたい、学生たちの想いが伝わってきました。

他人には“ある”のに、自分には“ない”ような感覚

1回目の対話を終えて、筆者が感じたこと。
それは、やりたいことも個性も、持ってる人は持ってるけど、自分には足りない気がするような感覚です。

自分は「これが好きだ」と言うことにも、相当好きなことじゃないと言いづらかったり、“なんかすごいこと”じゃないといけない感覚。

それも一つの固定概念かもしれないし、自分の感性に気づきづらくなっている一つの要因かもしれません。

最近は「誰もがクリエイターになれる」ようなツールだったり、メッセージも多く飛び交っていて、“ガチ勢”や“オタク”がフォーカスされやすい時代です。
「自分はそれほどじゃないけど…」みたいな感覚は、分かる気がします。

やりたいことも個性も、ハードル高く問われがちだったり、偏った見方が蔓延しているせいで、見えづらいし答えづらくなってしまっているのではないでしょうか。

一方で、「こういうことはやりたくない」「こうはなりたくない」という感情には強い想いを感じられました。

「やりたいこと」から考えようとすると難しい。
それなら「やりたくないこと」から考えてみよう。

逆に「嫌」という感情から自分を見つめてみようという着想で、2回目のワークショップを計画することにしました。

「嫌」という感情から、一体どんな気づきを得られるでしょうか。
後編では、第2回の哲学対話について綴っていきます。


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