最近読んだ本たち(2024年1月)
1月は怒涛の月。なぜか毎年そうなる。いろいろな人が、新年の抱負とともにスタートダッシュを決める時期だからだろうか。とくに抱負を立てない意識低い系としては、ちょっと気おくれしてしまって、まごつく。そして、雑務がたまっていくのだ。
2024年1月の4冊
『これが生活なのかしらん』 小原晩
これめっちゃおもしろいよ、と友人に貸し出していたのが、戻ってきたばかり。いや、おもしろいという表現は不適切かもしれない。派手なことは起こらないし、主張が強烈なわけでもない。
なのに、すごく豊かな世界が広がっている。心にあたたかな重しが乗せられるような読後感。「若さゆえの輝き」と言ってしまえばとても通俗的でつまらなくなってしまうけれど、誰の心にもしまってある宝物みたいな思い出を撫でていくエッセイだ。
ささやかなことに一喜一憂していたあの頃、夢と挫折に満ちていたあの頃に戻りたいような、戻りたくないような。
『聞く技術 聞いてもらう技術』 東畑開人
2022年4月、『心はどこへ行った?』を読んで、東畑開人さんにハマった。するりと心に入りこむ、気さくな文体が心地よい。巧みなたとえを随所にはさみ、東畑流のカウンセリング論が繰りだされるさまに引きこまれる。読んだあとはまるで魔法にかかったような気分。
この読後感、どこかで味わったことがあるなあ、と思ったら、鷲田清一先生の本だ(私は大阪大学の学生だった頃、鷲田先生の倫理学講義をいくつか受けたので、いまだに「先生」をつけてしまう)。
平易な、かつ洗練された文体で自身の専門知をわかりやすく展開するという意味で、お二方の作品はちょっと似ていると思う。
こちらの本は「聞く」「聞いてもらう」ために必要なことについて書かれている。コロナ禍を経て、話す・聞くという本来なら自然な営みが機能不全に陥っている気がする人は、一度お読みになるといいと思う。
『乳と卵』 川上未映子
東京行きの新幹線で読もうと買い込んだもの。まず帯がいい(文庫)。そこには「一夜にして、現代日本文学の風景を変えた」との記載があるのだけれど、まさにそんな感じの作品。これを読む前と読んだあとでは、女として前を向くときの心持ちがちょっと違うのだ。
べちゃっとした関西弁がまた絶妙に不気味でリアルで、とても好きだ。「芥川賞受賞作」と聞けば尻込みする、というかあまのじゃくが発動して読むのが遅れてしまう。もっと早く読んでおけばよかった。
『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹
これは東京からの帰りの新幹線で読むべく、買った。ちょうど旅エッセイストの中村洋太さんが「大阪〜博多 600km徒歩の旅」にチャレンジされている。中村さんが歩きながらこの作品を聴いておられたと記事で読み、さっそく真似をして購入した。
品川を出る頃に読みはじめ、のっけからずばんと意識の中心を捉えるような表現にあたって衝撃を受けた。こういうのなんだなあ、と思う。難解なワードがたくさん飛び出すわけではないのに、読む人の気持ちをぐさぐさと刺していく文章に圧倒される。
しかし、ものぐさな私はこれを読んでも走りたくならなかった。このあたりがいかんのだろうなあ、と反省している。
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年が明け、心の痛む出来事をたくさん見聞きして、元気を失いかけた日もあった。
でも、私の取り柄は、地道に、淡々と物事を進められるところだと思っている。今、自分にできることを淡々とやらなくてどうする。そう自分を奮い立たせてひと月過ごした。
今月は無理をせず、自分が読みたいと思う本を読んだ。心をゆるめて楽しめる本がそばにある。そのささやかな幸福感に支えられた月だった。
2月はなにを読もうかな。
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