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ショートショート SF 『コロナゴノセカイ』

 世界は完全にオフラインに支配されていた。
 もう私たち、いや私はどこともつながることはできない。世界は悲しいまでに沈黙を強いられるようになってしまったのである。

 私は、いつものように湖面に面した小さな山小屋風の建物で、朝日をまぶたに感じることで目を覚ました。
 「アレクサ」
 私はかすれる声で言った。可動式のアマゾンエコー第48世代、アレクサは、静かに私の方にやってきた。太陽電池で動くアレクサは今のところ異常なく作動している。
 「アレクサ、今日は何日だ?」
 私はアレクサに問いかける。アレクサは、
 「今日は2042年10月12日。7時32分です」
と、柔らかい女性の声で答えてくれた。アレクサ自体、どこともつながっていないはずなのに、どういうわけか彼女はその日の日付を毎朝きちんと伝えてくれるのだ。それは彼女が計算を常に繰り返しているからかもしれないし、もしくはあたかも自然の渡り鳥のように、何らかの方法で地球の動きを察知しているのかもしれない。
 私は、キッチンでお湯を沸かし、薄いコーヒーを淹れた。太陽光発電の技術の進歩はありがたいものだった。こんな山奥でも、常に電気が使えることは非常に心強いものだ。
 
 北海道では、10月になると徐々に空気が冷たくなり始める。本来なら、この時期にはもう北米やユーラシア大陸からの渡り鳥、コハクチョウやマガンの群れがやってきてもおかしくない時期だが、”あれ”のあとはついぞ彼らのやってくるとはなくなっている。
 私は、パソコンの電源を入れ、データを引っ張りだす。当然のこと、ネット環境などは完全に破壊されているため、オフライン、ローカルでの作業となる。
 そこには、膨大なるCOVI‐19、いわゆる新型コロナウイルスに関する資料が保存されていた。
 これらのデータはすべて、アレクサにも保存してある。そして、私は今日もアレクサに語りかけるのだ。
 この世の終わりについて。人類の最後の記憶を記録するために。

 ”あれ”が起こったのは、2年前の2月のころだった。私は環境省の人間としてこの北海道の地に赴任し、渡り鳥のフンから鳥インフルエンザを調査する仕事についていた。鳥インフルエンザは、半世紀以上も前から恐れられ、私はそのH5N1型の変異を常に監視するというのが役目であったのだが、2019年の冬に中国で発見されたウイルス、COVID-19により状況は大きく変化することになったのだ。
 COVID-19の流行は、当初は単なる風邪のようなもので、まれに重症の肺炎を起こすことがある、と軽くとらえられたが、実際のその蔓延のスピードや重症化の確率は、人々の楽観的な予想をまったく裏切るものになったのだ。世界中が大混乱に陥った。
 当時、私はもう環境省の研究者として、北海道のこの地で鳥インフルエンザの調査を行っていたのだが、もしあの頃に鳥インフルエンザの変異が見られたとしたらどうなっていただろう、と恐ろしく思うのだが、現在の状況を見ると、どちらにしても人類のたどる道は同じだったのだろうな、と妙に達観してしまうのだ。

 人類は、ウイルスやもしくはその他の脅威に対して、結局のところ何一つ満足な準備ができていなかったのだ。
 世界は混乱を極め、政府は稚拙にもその脅威を他の国のせいとして罪を擦り付けることによってしか、自国の正当性を語れないほどに落ちぶれてしまった。
 これは、あの当時、成熟した社会が成り立っていると考えられていた国家においても同じであった。世界は実にもろいものだったのだ。
 すべては、人々の幻想が作り上げた物語であり、神話でしかなかったのだ。

 私は、ここまでアレクサに話し終えると、窓の外の景色を眺めた。美しかった湖はほとんど干上がっている。わずかな水が、まるで雨上がりの水たまりのようにところどころに点在しているだけだった。針葉樹もそのほとんどが枯れ、山の色合いはモノクロの水墨画を見ているかのようだった。
 私の喉も、最近では灼けるように痛み、皮膚はぽろぽろとウロコのように剥がれ落ちてくる。何度も何度も接種したワクチンのせいで、左腕は力こぶのように腫れ上がり、ほとんど動かすことさえできなくなくなっていた。
 「アレクサ。音楽かけて」
 そういうと、アレクサは私の好きはジャズ音楽を流してくれる。私は煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出しながら、しばらくの間その音楽に聴きいっていた。

 「脈拍が上がっています。大丈夫ですか?」
 アマゾンエコーのスピーカーからアレクサの声がした。
 「ああ、大丈夫だ。心配ない」
 私は何が大丈夫なのかもわからないまま、そう答えた。
 「病院に連絡しましょうか?」
 進化したアレクサは言う。私は笑った。笑いがこみあげてきて仕方がなかった。一体この世界のどこに病院が残っているのだ?
 私の苦しそうな笑い声を聞きながら、アレクサのスクリーンには困ったよう表情が映っていた。

 COVID-19は、変異を繰り返した。しかし、人類の技術の進歩も素晴らしかった。世の中の技術は、COVID-19拡大時にも関わらず発展を止めなかったし、それはワクチンの開発技術においても同じであった。
 人類は、ワクチンを次々に開発していった。そして、混迷の収束を夢に見た。しかし、自然の力は人類の技術をはるかにしのぐしたたかさを持っていたのだ。新しいワクチンができるたびに、ウイルスは変異した。
 大きな変異が初めて確認されたのは、イギリスであった。そしてその後間を開けずに、南アフリカでも別の変異ウイルスが発見された。
 それからというもの、世界はワクチン開発と変異種との戦いの時代に入るのだ。しかも、ウイルスは複数の型に、複数の場所で変異を起こすため、人類はその戦いに疲弊していくしかなかった。すべての人が、疲れ切っていたのだ。

 ウイルスが初めて確認できてから20年程の歳月がたった。人々は家にこもり、配給での生活を強いられていた。IT関連の技術は、いわゆるエッセンシャルワーカーのひとつとされ、人々の癒しのためにコミュニケーション型のAIロボットの開発が行われ、多くの家庭に普及していくことになった。GAFAと呼ばれる巨大企業群は、いつしか政府の役割を担うまでになっていった。
 2040年の11月。アメリカで新しい大統領が選出された。その男は異常なまでのナショナリストであり、過激思想そのもののような人物であったが、閉塞した社会が生んだ超自然的な創造物のようなものだったのかもしれなかった。
 その男は、中国を執拗に攻め立てた。このような世の中にしたのはすべて中国のせいである。そもそもの歴史を紐解けば、すべての根源は中国にあるのだと主張したのだ。
 アメリカの国民は、彼の稚拙な弁舌に陶酔し、彼を自分たちの代弁者としてあがめ立てた。アメリカ国内において、中国系の人々が迫害され、差別され、暴力を振るわれ、そして殺されるようになる。そして、アメリカ全土で、暴動が繰り返されるようになるのだ。

 そんな時だった。それまで黙り込んでいた中国が、突然アメリカに向けて攻撃を始めたのだ。アメリカに向け、数十発の弾道ミサイルを発射したのだ。もちろん、核を搭載したミサイルだ。半死に至ったアメリカは、中国に反撃をくらわし、それは日本にあるアメリカ基地からも当然のように攻撃がなされた。ワクチン行政により、アメリカは今やかつてないほど日本にとって重要な国になっていたからだ。
 そこからはもう、まるですべてがなだれのようだった。どんな力も押さえることができないくらい、世界全体が争いに巻き込まれていったのだ。

 戦いは、一瞬だった。たった数か月で何もかもが変わり、そして終わった。たった1種のウイルスにより、結果的に人類は滅んでしまったのだ。
 人類は、愚かであった。しかし、これが人間というものなのかもしれなかった。
 地球全土が核の残骸と変わり果てた。地上は焼けただれ、建物は崩壊し、それだけでなく山や海などの自然も原形をとどめないほどに変形した。そして、多くの動植物は死に絶え、人類も死に絶えることになったのだ。


 そうして、世界は完全なオフラインの静寂に包まれることになった。
 奇跡的に生き残ったのは、私だけなのか、それもわからない。
 
 私は、寝る前に濃い目のコーヒーにウイスキーを少しだけ加えて飲む。そして、翌朝、また目が覚めた時に、アレクサに話しかけるだろう。
 「アレクサ、今日は何日だい?」
 と。

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 こんな未来には絶対したくないですね。

読んでいただいて、とてもうれしいです!