父からもらった言葉
ベッドで横になっている父の掛け布団の足元のほうが、少し左にズレている。
なおしてあげようかな。
「自分で布団をなおすことさえも、お父さんはできなくなってしまったんやわ。」と母が言っていたから。
でも、ほんとに父は自分の布団を整えることもできないんだろうか。
母に甘えているのかもしれないし。
母に甘えているだけならいいんだけど。
そこまで動けない身体になってしまったのだろうか。
大晦日の日の午後。
父の介護で疲れ切っている母に昼寝をしてもらって、私は父のベッドの横に椅子を持っていき、父と話をしていた。
故郷である瀬戸内の島の話をする時の父は、いつも以上に機嫌が良い。
ボソリボソリとではあるが、父が幼い頃に牛を飼っていた話や、タバコ栽培を手伝っていた話など、遠い目をしながら懐かしそうに話してくれた。
私はかすれて聞き取りにくい父の声に耳を傾け、「へえー」「すごいなぁ」と相槌を打ちながら、途中から頭の半分は違うことを考えていた。
布団のズレをなおしてあげようかな。
父の太ももの辺りが、少し布団から出そうになっているのが気になる。
寒がりの父だから、父もそれに気がついているはずだ、と思った。
私の2倍くらいだった父の体重は、私よりも少なくなってしまった。
布団の中なのに、寒いからってダウンのベストを着ている父が、乾いた咳をし始めた。
やっぱり、布団をなおしてあげたほうがいいな。
でもなぜか、私はすぐに動けなかった。
今の私は70点だな、と思った。
今日は70点でもいい、とも思った。
内心、私は父に、自分で布団をなおしてほしい、と思っていた。
だって、ほんの2ヶ月くらい前は、自分で布団を整えていたんだから。
昨年の春から、数回の入院を繰り返しながらも、父は頑張ってきてくれた。
父に意地悪をしているようで、気持ちが落ち着かない。
でも、もう少しだけ待ってみよう、そう思ってしまった。
自分でできないのなら、きっと私に頼んでくれるだろうし。
そんなとき、遠い昔の父の言葉がふっと浮かんできて、父の顔がなんだか真っ直ぐに見られなくなった。
*****
長女の気質だろうか。
幼い頃の私は、自分でも呆れるくらいに気が利かない子だった。
言われないと気付かない。
まわりが見えてない。
すこぶるどんくさい。
二つ下の妹は、私とは真逆で、幼い頃からよく気がつくしっかり者だった。
集団生活に適さなかった私は、保育園でも小学校の低学年時代も、友達を作ることに苦労した。
本人としては、苦労していることにすら気がつかなかった。
私は精神的に、少し成長が遅れていた。幼児期の私は身体がとても弱く、それも遅れの原因だろうと、親からも聞いたことがある。
同級生が簡単にできることが、私には難しくてできなかった。
だから、自分にも惨めな自覚はあった。
小学校高学年になり、少しずつみんなに心の成長が追いつき始めた頃、自分のダメさにやっと自分が困り始めた。
そんな時に、父から言われた言葉がある。
この言葉が、その頃の私には深く刺さった。
私は0点だ、と思った。
だから友達ともうまくいかないんだ。
だから母からも、「妹みたいに気がつかなくて、あんたは役に立たない子だ」って言われてばかりなんだ。
こんな自分のままではいけないなぁと、思うようになった。
それからは、意識してまわりを見ようとした。
相手のことを考えようとした。
いくら頑張っても天性の「まわりが見えない」ところはどうにもならないが。
それでも少しずつ、友達との関係が楽ちんになり始めて。
母からも助かるわ、と言われ始めて。
就職し、結婚し、母親になり、自然とまわりを見る力も年相応に、それなりに、ついてきた、と思う。
そして、椅子から出た釘も、表面のひび割れや色落ちさえも気になり、すぐになんとかしないと落ち着かないくらいに、アンテナを張り巡らせる癖のようなものが、今の私には身についてしまった。
気がつくというより、気になる感じの、少し面倒くさい私になった。
*****
父の掛け布団のズレがやっぱり我慢できなくて、なおしながら父に話しかけた。
「父さん、布団がズレていて寒かったやろ?」
「おぉ、悪いな。」
「自分では、布団をなおすのが、もう、しんどいの?」
「おぉ、上のほうなら手がまだ動くけど、下のほうをなおすのは、息が苦しくなるから自分でできやんのやわ。こんな身体になって、情けないのぉ。なんでこんな病気を拾ったんかのぉ。」
悔しそうに父が言った。
父の状態の悪化が著しく進んでいる。
本人が気にしていることを聞いてしまったかもしれないな、とすぐに反省した。
「寒くなったから呼吸がしんどくなってるだけで、あたたかくなったらまたきっと、楽になるよ。」
私がそう言ったら、父は黙って頷いてくれた。
できなくなったことを父が絶望しないように、黙ってすーっと布団をなおせばよかった。
100点のことをしても、そこに思いやりがなくては、なんの意味もない。
そうか、また父は私に、大切なことを教えてくれたんだな、と思った。
40年前に父からもらった言葉に、心の中で一文を書き足した。
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