見出し画像

コーヒーを淹れる手間を省かない理由(センスの哲学の読書感想文)

店頭では、お客様に「気軽なドリップバックもいいですよね」と会話する。しかし、僕はコーヒーを抽出する手間や過程を省略したくない。そんなフワフワと形を変える雲のような言語化できない違和感を抱いていた。

「センスの哲学」(千葉雅也、2024)には、なぜコーヒーを丁寧に抽出することに没頭できるのか、ひとつの仮説が提示されていた。僕の場合、没頭できるというよりは、没頭してしまう。そういうどうしようもなさがある。

スイッチを押してコーヒーメーカーから抽出して待つのではなく、自分で丁寧にお湯を注いで、じっくりドリップする。あえて時間をかけるから「丁寧」なわけである。「それは目的達成を遅延し、その『途中』を楽しんでいるわけで、まさにサスペンス構造です」と、千葉さんは述べている。

サスペンス構造とは、ないからあるへの移行。0→1に、伏せられたものが明らかにされていくこと。コーヒー豆という0の状態から、液体のコーヒーが抽出される1の状態になる過程が抽出だ。その途中で、乾いた状態から湿っていく変化、渦巻きができ、泡が生じ、膨らみ、湯気と香りが立つ。形や色、温度、香りなどの複数の0→1の複雑なうねりが展開される。そのうねりのリズムが楽しい。そう感じることが「没頭してしまうな」の正体だ。

時間をかけて、途中で展開されるリズムを味わう。ぞれ自体を自分が楽しむ。自己目的的なものが僕にとっては、コーヒーの抽出だ。

ドリップコーヒーの練習をしていたら、2時間も経っていた。そんな日は、抽出の度に変わるリズムを楽しんでいるからかもしれない。





この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

#うちの積読を紹介する

1,052件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?