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【ライブ】was there 「BUMP OF CHICKEN」アリーナツアーファイナル「be there」さいたまスーパーアリーナ2023.5.28

ライブハウスから続いた今回は「be there」のツアーファイナルに参戦。

これまた強気でS席(アリーナ席)1本で申し込み、運良くC5ブロックと若干上手の島(サブステージ前)のブロックの席。仙台のAブロックに続き神席続き、ありがたく堪能させてもらう。

ライブレポート

以前行ったのも2日目だったため、セットリストはほぼ変わらず。

光のシャワーが幕になって開けたような「アカシア」に始まり、たまアリに黄色いタンポポの絨毯が敷かれると「ダンデライオン」、今回はライブの制限撤廃ということで「天体観測」では数年ぶりに金・銀テープが舞った。

アリーナからふとスタンドを見上げると、2A〜Bメロで青色の光の海に箒星のような白い光がサーっと流れていったのが見えて、まるで賑やかなプラネタリウムにいるような気分になった。

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藤くんが「声出せるからいっぱい求めるぜ!」と問いかけたり、ヒロは「おじさんが歩いてきた花道」のことをパリコレのようなノリで「おじコレ」と迷言を発するし、声出し先生のチャマは相変わらず盛り上げ上手、秀ちゃんはマイクを使わないのがアイデンディディだそうなのでいつも通りオフマイクで叫んだりと、自分を救ってくれた人生の恩人であるにも関わらず、あまりの自然体さに脱力して安心してしまう。

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藤くんが「新世界」でコールアンドレスポンスを求めた時「男子!」は「だんし!」だったのに女子は「おんなのこ!」だったのが不覚にもキュンときてしまった。

もともと「SPY×FAMILY」の大ファンなので「SOUVENIR」はもれなく大好きなのだが、こんなにも軽快で、明るくて、無邪気で、多幸感があっていいのかと思うぐらいにあたたかな幸せがあった。

どれだけ歳を重ねても、天真爛漫で好奇心旺盛なアーニャのような少女の心は社会のしがらみや生活の鬱陶しさに苛まれているだけでどこかにあるはずだと思っているのだが、そんな私の中の少女の心がグッと引っ張り出してくれるような感覚だった。

幾つになっても虹を見れば嬉しくなるし、月が出てたら綺麗だと思うし、道端にタンポポの綿毛があったら吹き飛ばしたいと思う、そんなもんだ。

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アンコールではヒロと藤くんのアルペジオから「embrace」「ガラスのブルース」を演奏し、藤くんの挨拶タイム。

藤くん「よくインタビューで『BUMP OF CHICKENにとってライブとは?』と聞かれることが多いんだけど、でも上手く答えられたことがなくて『ちょっと分からないです』と言ったこともある。

でも最近になって分かったような気がする。

曲を作るのは俺1人から始まって、それからチャマのベース、ヒロのギター、秀ちゃんのドラムが合わさって曲が出来る。でも聞いてくれる人がいなければ完成しない。だから僕らにとってライブは”曲を聴いてくれる人に届けるための場所”だと思ってる。」


「勝手なことを言うけど、僕らは君たちを日常的に感じているんだ。スタジオで1人で曲作ってて煮詰まった時、君たちの顔を浮かべる。マイク越しに君たちの顔を思い浮かべて、歌うんだ。それでやっと曲ができる。」


「僕たちは君たちの日常には入りたくても入れない。でも、君たちが望んでくれれば、僕たちの音楽がそばにいる。君たちが望んでくれれば。」

「何の曲をやろうか」と迷っている藤くんに対して「あれやって欲しい!」なんて図々しいことを言う人はいなかった。

やる曲は本当に決まってなかったようで、藤くんに続きヒロも、チャマも、秀ちゃんも、照明も、探り探り演奏されたのが「宇宙飛行士への手紙」

アンコールでやる曲といえば今までは「ダイヤモンド」や「花の名」が多かったため拍子抜けした。

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個人的な話、BUMPのライブ前に時間があったので映画「岸辺露伴 ルーブルへ行く」を見に行った。

※ここから映画のネタバレがあります

あらすじは高橋一生演じる漫画家・岸辺露伴が”黒い絵”の真相を突き止めるためにパリ・ルーブル美術館に出向くと言った内容。

岸辺露伴には他人の過去を知れる「ヘブンズドア」という超能力が備わっており、「ヘブンズドア」と声をかけるとその対象の忘れていたこと過去すら全て記録された文章となって現れ、岸辺露伴だけが読めると言ったものだ。

”黒い絵”はいわゆる”呪いの絵”のようなものなのだが、その正体は「見た人の後悔の念や自分だけではなく先祖の罪や過ちまで映し出し、幻覚を見させる」といったものであった。

藤くんの伸びた声で歌われた「どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知ることは」で、真っ先に直前に見た岸辺露伴の映画を思い浮かべたのだ。

歴史であれど、他人の生き様であれど、言葉など何かしら書物が残っていない限り”知らない記憶”なので知ることは不可能に近い。だから先祖が犯した罪が子孫に向けられたとしても、子孫は知るなんて知る由なぞないのだ。

私たちで例えればバンドとバンドのファンだが、「言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ」なので、藤くんを始めインタビューなどで公に話していないことは一切知り得ないことである。

雨と晴れ、明日と昨日の間の今日、”たまたま”今日自分が観た映画と”たまたま”今日行ったライブで藤くんが最後に選んだ歌がリンクしただけの話だが、アートの壁を越えて”たまたま”その日見たからこそ、聴けたからこそ、グッと心に残った。

だからBUMPと全く関係の無い作品でも記録したかった。

藤くんの言う通り、私は藤くんの生活には入り込めるわけもないし逆も然りだが、確実にBUMP OF CHICKENの音楽は私たちの日常にいる。

私が常にBUMP OF CHICKENの音楽を望んでいるからだ。

知らない記憶はどうしたって知ることはできないが、”音楽”は人を繋ぐことが出来る。お互いの”記憶”を知らなくても。

「go there」

ツアーファイナルということもあり寂しい感情もあったし、藤くんらも客席からも「寂しい」という声が聞こえた。

でも私は曲を重ねて終演に向かっても、何故だか寂しいとは思わなかった。

きっと今日のライブが一度止まってしまった音楽シーンが3年かけて従来のライブを取り戻した暗闇を駆け抜けた”夜明け後のライブ”だったからだと思う。

「be there」そこにいる、
「was there」そこにいた、
「go there」そこに行く。

BUMPが新たに曲を届ける準備が出来たら、迷わずそこに行こう。

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