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衛星の勝手に映画ファンクラブ

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喫茶店もそうだけど、なくなってほしくない場所のひとつが映画館。 映画館に行く人がひとりでも増えたらいいなという願いで、映画館で観た映画の感想を勝手に書いています。 内容にはあまり…
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#映画

●人生フルーツ●

●人生フルーツ●

もっと早く観るべきだったかもしれない。
観たいとは思っていたのに、きっと到底真似できそうもないスローライフに羨ましく憧れるだけだろうなんて後回しにしていたのを後悔した。

シアターキノでもう何年もコツコツと毎月1回上映されている今作。
雑木林に囲まれた一軒の平家に住む建築家夫婦、津端修一さん、英子さんのドキュメンタリー映画だ。
高度経済成長期、修一さんは自然と共生するニュータウンを計画したが、それ

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●憐れみの3章●

●憐れみの3章●

「哀れなるものたち」の監督、スタッフ、キャストの再集結と聞いて、これは観にいこうと公開前から決めていた。

私が観たい映画というのは、考えたくなるような内容かどうかというのが一つあると思う。
心の機微とか人生の悲喜交々だとか、そういったものが描かれている作品に惹かれ、それを観て自分の心がどう動くか、何を考えるかというのに興味がある。
しかし今回はそれとはちょっとタイプの違う映画だった。

思考では

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●ヒューマン・ポジション●

●ヒューマン・ポジション●

満たされているはずなのに空洞を感じる。
目に映る光景は美しく、足りないものもとりわけなく、悪意さえもそばに感じないはずなのに、どこか空虚を感じてしまう。

ノルウェーで最も美しい街と称されるオーレンス。
新聞社に勤めるアスタは休職から復帰したばかり。クリエイティブなパートナーと子猫とともに穏やかな生活を送る。
しかし心のどこかになんとなく空虚を感じている。

どこを切り取っても絵葉書のような美しさ

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●パターソン●

●パターソン●

日常の美しさが詩的に切り取られている。
スイートな部分もビターな部分も、プレーンなところも、日常というものはかくも美しいのかと気づかされる。

パターソン市に住むパターソンはバスの運転手。妻と愛犬とともに穏やかに暮らし、ひっそりと詩を描くことをライフワークとしている。
起床から一日の終わりまで、やさしくほほえましい日もあれば、ちょっとしたアクシデントに見舞われる日もある。いつも通りのリズムに乗って

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●ナイト・オン・ザ・プラネット●

●ナイト・オン・ザ・プラネット●

観たことがあったかなかったか、思い出せぬままに観た。
5つの国の同じ時間に、タクシーの中で繰り広げられる物語のオムニバス。観たことがなかったようだと、途中までそう思っていたのだけれど、パリのタクシーが記憶の中から浮かび上がってきた。そう思うとローマでのロベルト・ベニーニの一人語りやニューヨークのヨーヨーという名前も、なんとなく同じ記憶の沼に沈んでいたように思う。
思えば20年近く前の記憶の沼、忘れ

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●時々、私は考える●

●時々、私は考える●

人と関わることって、とっても怖い。
だって誰も本当の自分を理解してくれないだろうし、拒絶されたり変な奴だと思われたらもっと嫌だ。

この映画の主人公フランもそんなふうに考えている一人だ。
アメリカはオレゴン州の小さな港町アストリア。緑と海に挟まれた、どこか懐かしい雰囲気の静かな町。
職場とアパートを行き来する淡々とした毎日は、彼女にとって退屈でも幸福でもどちらでもないようだ。
ただ、人付き合いから

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●ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ●

●ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ●

「わかり合う」ということは人間ができる素晴らしい体験のひとつだ。
家族や友人や恋人でなくても、わかり合うことができる。それぞれが全く違う事情や悩みや孤独を抱えていても、わかり合うことができる。
それは心を癒し、目に映る景色を変え、明日の力になる。複雑で厄介で混沌とした思考を持つ人間にとって、とても素晴らしい体験と言わずなんと言うのだろう。

1970年の12月、ホリデーシーズン。誰もが待ち望む休暇

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●風が吹くとき●

●風が吹くとき●

個人である時、戦争を願うものはいないだろう。
しかしそれが集団になり、国になった時、境界線は引かれ外側を排他してしまう場合がある。そしてそれは時に争いとなって憎しみや悲しみを生む。

この原作が書かれたのは1982年。アメリカとソ連の冷戦時代である。
いつ核戦争が始まってもおかしくない状況で、もしそうなってしまったらという想像から書かれた物語。

私たち一人ひとりは平和な生活を願っている。しかし所

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●マグダレーナ・ヴィラガ●

●マグダレーナ・ヴィラガ●

閉ざして閉ざして閉ざして、心は奥深いところへ。
マグダレーナ・ヴィラガこと娼婦のアイダ。
彼女の目は開いたまま何も映そうとしない。
機械のように、物になったように、彼女は生きる。

もうとっくに壊れてしまっているのかもしれない。
壊れて見えなくなってしまった心から言葉が漏れ出る。意味を持たないようにも感じるし、それこそが真理のようにも思える。

現実はいったいどこにあるのか。目の前にあるのがそれな

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●フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン●

●フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン●

アポロ11号からの月面着陸の中継映像はフェイクだったのか、という噂を映画化した今作。
私の記憶では2000年代の半ばくらいにこの噂を知ったように思う。
全世界が感動に包まれた月からのあの映像がまさか偽物かもしれない、という衝撃。
リアルタイムで中継を見た私の父は信じようとしなかった。それほど当時の人たちに夢と希望を与えたのだろう。

それを、疑われた当のアメリカが映画化した、というのが興味深い。当

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●墓泥棒と失われた女神●

●墓泥棒と失われた女神●

原題は「La Chimera」、キメラ=幻想を意味している。
1980年代のイタリア・トスカーナ地方の田舎町で墓泥棒をして生計を立てるアーサーと仲間たち、彼らに関わる人々。
それぞれが持つ幻想が美しい自然や街並みの中に見え隠れする。

新作映画なのに、古きよき映画を観たような、映画のよさがぎゅっと詰まった作品。
久しぶりに「映画を観た!」という感覚になる。
早回しや上下の反転、アクセントのように入

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●WALK UP●

●WALK UP●

夢想するための映画なのかもしれない。

かわいいこぢんまりとしたアパート。
韓国のいわゆる古ビルなのだろう、モールガラスが入ったドアやペンキを塗っただけのような壁、レトロで無駄のない美しい建物。
地下1階、地上4階建のモノクロームのその舞台では、同じ登場人物で4つの少しずつ違う物語が展開される。
繋がっているようでそうでない、もしそうだったらというような、各々の空想のような物語。ドアのロックを外す

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●ピクニック at ハンギング・ロック●

●ピクニック at ハンギング・ロック●

まだ夢を見ている。
1900年2月14日のオーストラリア、白昼夢のような彼女たちのピクニック。
起こったことは夢か現か、空想か実在か。
観ていても観終わっても行き来する。

全くの架空なのかそれとも実話なのか、1975年の公開から未だ考察が続いているという。
ありうるようにもありえないようにも思えるのは、少女たち特有の以心伝心、結託、秘密といった見えない結束が、同じ色のワンピースで幻想的に表されて

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●関心領域●

●関心領域●

美しい生活がそこにある。
心のゆとり、団欒のとき、満たされる美食、整えられた庭に輝く草花。
そしてそれは恐ろしいまでの苦しみや絶望を、足元のカーペットの下に覆い隠して成り立っている。
カーペットを一枚めくるとすぐに見える阿鼻叫喚。
正義とは戦争とは人とは、簡単に表裏を作り上げる。
誰かの理想が誰かの悲しみになる。

劇中に常に漂う不穏。
まるで鳥や虫の声のように、怒声や苦しみ、絶望の声が当たり前に

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