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貪り続け今に至る

どうしてこの本を手にしたのか、まったく記憶にない。

小学生時分、月一回早退し、街の大病院に通っていた。いまのような機械化された予約システムなど到底あるはずもなく、受付順に名前が呼ばれる。自宅から約1時間の道のり。受付開始時間に間に合うようどんなに急いで行っても、5,6時間待たされるのはざらだった。診察後、嫌がらず通院したご褒美と、次の待ち時間用に、毎回、母親は好きなだけ本を買ってくれた。

6年生のとき、この本を選んだんだ。あれから35年、いまも手元にある。

『兎の眼』灰谷健次郎

この作品を自ら読書感想文コンクールの課題とし、金賞をとって校内放送で読み上げたことは憶えている。

でもどんな感想を書いたのか。

ただ、この作家の存在は、この本と出会ってからというもの私から消えることはなかった。この本を手放さず、その後、灰谷文学を読み漁り、やがて、息子には当然のように灰谷童話を読み聞かせていた。

先日、『6年生の時にこの本読んだんだ』と、同じく6年生である息子に渡してみた。彼は私と違って読書が好きでない。それでも読み終え、合点がいったところ、なんとなく心に感じたことを教えてくれた。

「あのとき私もそう思ったんだ。」そんな思いはひとつも溢れてこない。何も思い出せないので再び読むことにした。

読み始めればその先のストーリーが浮かび、登場する子どもたちの心理を先読みできる。一方、それを取り囲む大人の心理は当時の自分にはわからなかったはずだ。わかったつもりでいたかもしれないけど、子どもの視点からの想像に過ぎない。

あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それは祈りをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。

人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません。

これらのくだりに到達したとき、何度も読み返したのを思い出した。文意を理解していたのかどうか、そんなことは今さら皆目見当もつかない。理解できず繰り返し読んだのかもしれないし、心に刺さるものがあって繰り返したのかもしれない。いずれにしても、この部分に何かこだわっていた。

いつも全力。どんな母親かと聞かれたら、息子はそう答えるんだと教えてくれた。

内なる精神を表に出すべきではない、それは自分だけが理解しておけばいいと子ども心に思っていた。でも、この本に出会ってから、自分に全力で生きよう、そう思うようになったんだ。それゆえ他人がどうであろうと、性別とか年齢とか身分とか、それこそそんなことはどうでもよくなった。

ありのままのボーダーレスを求める人生がここから始まったんだ。

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