noteとの向き合い方がやはり難しい
noteとの向き合い方は
いつまでたっても難しい。
本音は毎日自分の中での最高のクオリティで
最高の文章を届け続けたいとおもっている。
もちろん、自分が面白いと思えるものを読んでもらいたいのは大前提なのだが、この言葉の裏には、もし少しでも手を抜いたその瞬間しか見てない人がいたとして、面白くないと思われたらどうしよう。そんな心配が心のどこかには存在する。
だからかなかなか手を抜けない。
常に100%ないし限りなく100%に近い状態でいる。
もちろん毎日書いて読み手に言葉を届けたい。
でも100%を出し切ったその日に、2つ目の執筆に取りかかり明日のストックをつくるほどの余力はもう残されていない。
人は常に100%の力で走り続けることはできない。
必ずどこかで体力が底をついてしまう。
みやぞんもTwitterでこんなことを言っていた。
本当にその通りだと思う。
毎日書き続けられる人は、そうとう時間に余裕のある人か、自分の力加減をある程度熟知している人の2通りあると思っている。
みやぞんがいうのは後者のこと。
でも僕程度が5.6割の力で、
本当に人に面白いと思ってもらえるのか不安になる。
5.6割で、もしそう思ってもらえなかったら悔しい。
10割まだ出し切ってないのにと思ってしまうと思う。
もし諦めきれず10割で書きつづけたいのであれば、
おのずと投稿頻度を落とすしかない。
だから不定期で休むというかたちをとってみた。
でも毎日書けないというのもまた同じくらい悔しい。
今の僕に全部を手に入れることは現実的に厳しい。
不器用が故に時間を効率的に使うこともできない。
そんな自分もまた情けない。
毎日5.6割で良いんだと割り切れたら、
きっと心にももっと余裕が生まれて、
人としても余裕のある文章を書くことができるだろう。
そしたら今よりもっとハッピーな文章で
記事一覧を埋め尽くすことができるのだろうか。
これを書いていて、やはり人に見られるということを少し意識しすぎている気もする。
もっと人にどう見られるかを気にせずに、
いい意味でテキトーになれれば、
少しは気も楽になっていくのに。
それが一番難しいのよ。😅
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
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