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ピンク色の髪をした番頭(12月18日)

銭湯の仕事の合間を見て、髪を切りに出かけた。去年の春、桜の花が咲き始める頃人生で初めて髪を染めた。真っピンク色に。生まれて25年茶髪にすらしたことがなかったし、する意味も特に感じなかった。でもふとした時にそんな自分がつまらなく感じた。染める意味がないのと同じくらい黒である意味もないと思った。だから誰にも何も言わずにいつも通り美容院に行き、その時に「桜色みたいなピンクにしてください。」と言った。他人を否定するつもりはないのだが、茶髪は嫌だった。「あー、言われてみれば色違うね。」みたいなのが一番恥ずかしい。カッコつけようとしているのに若干守りに入っているのが透けて見える。女の子でよくある「日が当たるとオレンジなの。」みたいなのも結局何色なの?とハッキリしない感じが焦ったい。何色にしようか考えれば考えるほど捻くれている自分に自己嫌悪してしまいそうなので思いっきりいってやった。鏡の前の自分がヤンキーみたいな金髪になった時、初めてみる自分にワクワクしたと同時に、もうさっきまでの自分には後戻りできないその不安と恐怖が同時に押し寄せ、自分の心臓を誰かに素手で握られているような感覚に陥った。

初めて髪を染めた自分をみた周りの人たちの反応は、漫画やアニメの中なら目ん玉が飛び出ているんだろうなというくらい驚いていた。一瞬誰かわからなかったらしい。面白すぎて今でも鮮明に覚えている。気づかないとは言わせないその頭に対する反応は様々で、意外と肯定的な意見が多い中で、銭湯の常連で仲良くしてるおばちゃんが「なんだその色、人間じゃねーよ妖怪だよ」と言っていたのが一番面白かった。「一緒にどうすか?」と聞いたら「恥ずかしくて外歩けねーよ」と一刀両断された。ここまで潔いと一周して傷つきもしない。

そこからというもの髪の色を変えただけのに驚くほど毎日が楽しくなった。ピンク色の髪のやつが暗かったら変なので、自然と性格も明るく社交的になっている気がする。一方で面倒なことも増えた。持っていた服がことごとく髪色に合わない。散髪代は4倍に跳ね上がって毎度ひぃひぃ言っているし、お風呂の時間も髪のメンテナンスが必要で、もう5分や10分では上がれない。一時期手を抜いていたら髪がちぎれて前髪がジャイアンみたいにギザギザになったりもした。でもそういうところも含めて人とは違った生活の変化をすごく楽しめている。

弟に初めの頃「派手髪どうせすぐ飽きるよ。」と言われた。大学デビューのお前と一緒にするなと心の中で思った。気づけばもう2年弱髪を染め続けている。「なんでピンクなの?」とよく聞かれるのだが、自分でもよくわからないし当時はそんなこだわりはなかった。でもなんとなく似合う気がしたのでそうした。今年の夏に一度、ピンクに飽きたのでオレンジ色にしてみたが、どうもしっくりこないし周りの反応もピンクの時とは打って変わって微妙だったので最近またピンクに戻した。今は黒に戻そうとは全く思わないしこれが自分のアイデンティティになりつつある。

世の中良かれと思って「〇〇がよく似合うよ」とか「〇〇の方が良かった」という言い回しを用いることがある。そこに悪気はないし率直な感想を述べているに過ぎないのだが、僕も含めて現代人は他人の目に囚われすぎているように感じる。「〇〇が似合うから」よりも「〇〇が好きだから」という感情を大切にしてほしいし、僕はそういう人の話をもっと聞きたい。その人が本当に好きでし続けていれば自然と似合ってくるはずだと本気で信じている。しかしこれはもう体に染みついたクセみたいなものでなかなかすぐに払拭するのは難しい。でも決して忘れたくはない、ピンク髪はそういう意志の表れでもある。

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