差別・貧困と世界のプログラミング教育、日本の事情

こんにちはK研究員です。

これまでも世界のプログラミング教育についてはいろいろ書いてきました。

世界のプログラミング教育を語る上では差別・貧困という事情は重要なキーワードになってくるように思います。

例えば以前紹介したHour of Codeに関する記事ですが、

1) 幅広い性別と人種、社会階層の人々が参加していること 2) 中長期的に、コンピュータサイエンスをもっと学んでみよう と思った人が多い事が大事です

という話が出てきます。アメリカには多様な人種がいて、スラム街などもあり貧富の格差が大きい社会です。そんな社会だからこそ、誰でも簡単に参加できるということが重要視されるのでしょう。

こちらの記事には世界各国のプログラミング教育について書かれています。

プログラミング教育を実施している国の中には日本と異なりブロードバンド環境が整っていない国も多いです。例えばインドは巨大都市もある一方、通信環境はまだまだ安定していません。インドにはカースト制がありますが、エンジニアは新しい職業なのでカーストに当てはまらずローカーストでもエンジニアになることができると聞きます。差別を覆して生き抜くためにはコンピューターの教育は不可欠でしょう。

プログラミング教育の話になるとよく出てくるエストニアですが、エストニアは面積の小さい都市国家で、人口は横浜の1/3ぐらいです。日本のような内需は望めないので、グローバル市場に打って出るしかないわけですが、その際、資源も乏しいためソフトウェア産業は重要です。単純な労働力の輸出ではどこの国も自国の労働者を優先しますから、ソフトウェアで革新的なサービスを作り市場で主導権を握ったり、高い技術力で海外に出稼ぎに行くしかないわけです。ソフトウェアで食べていくしかないというといいすぎですが、そのような覚悟があればプログラミング教育も日本より真剣になるでしょう。

ソフトウェアの世界はある程度実力勝負で新しい業種であることもありあまり差別がなく、給料も高い傾向があります。差別や貧困と戦う際にプログラミング教育というのは強い武器になりえます。

翻って日本はどうでしょうか。我々は、日本には差別や貧困はないと無意識に思っています。確かに、日本にはアメリカのようなスラムもないかもしれないし、インドのようなカースト制もないかもしれないし、エストニアと違い多量の海洋資源、観光資源などを有しています。

しかし、日本でも格差が広がりつつあるという指摘もあります。例えば、格差を示すジニ係数が年々拡大しているということが言われています。

ジニ係数は持っている資本に差があることを示しているだけで、それが悪いことかどうかはただちには言えません。

しかし、実際どうでしょうか。読者の皆様の小学校時代、差別されていた人、貧困家庭の人はいなかったでしょうか。日本の差別は人種などの目に見えるものだけではなく、空気が読めない、コミュ力が低いなどのごく普通の人も対象になります。母子家庭、ワーキンブプア、地方格差などの様々な貧困の形があります。私も、コンピュータサイエンスと出会えなければ一生差別されたままだったかもしれません。

もちろん、小学校でプログラミング教育が必修化したからといってすぐに全ての人がコンピューターサイエンスと出会えるわけではありません。本当にプログラミング教育を必要としている人ほど、PCやブロードバンド環境が手に入りにくい構造があると思います。

とはいえ、プログラミング必修化のこのチャンスに草の根的にプログラミング教育を普及させることができれば、一人でも多くの人に人生の選択肢を提供することができるかもしれません。うちの子には必要ない、うちの小学校には必要ないという方は、本当に自分の子は差別されないか、貧困に陥る可能性はないのか、もう一度考えてみてもよいのではないでしょうか。

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