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『女帝 小池百合子』(石井妙子)から感じる人間の側面

東京都知事選前に出版された小池百合子の評伝を今更ながら読みました。
出版された当初、「これは本当に読んだ方が良いですよ~!」と激しく友人がプッシュしてきたので、気分だけでも読んだ感じでいたのです😅

で、実際読んでみると、まずは膨大な資料と取材量に圧倒されますね。
巻末に参考文献が掲載されていますが、読み捨てられるような雑誌記事からも細かく情報を拾われています。

小池百合子の真偽は、正直この本を読んでも判りませんでしたが、「真」の姿に迫っているのは間違いないところです。

また、日本の政治が想像以上に狭い世界で繰り広げられているのには驚きました。

小池百合子の父・勇二郎は「自分もかつては石原慎太郎の選挙に携わり、衆議院選にも出たことがあると、過去の自慢話を持ち出すこともあった」とのことですが、ホラの割合が大きいと明らかにされています。

勇二郎が石原慎太郎の「日本の新しい世代の会」の参謀総長だったという事実はない。また、細川を「ちび」といい自分は幹部だったように発言しているのも事実に反する。自分が選挙に負けたのは岸信介に警戒されたからで、自分を落とすために自民党はわざわざ自分と同じ「小池」という名字の男を探してきて同じ選挙区から出させた、とまで語っている。岸信介が「小池勇二郎」を知っているはずもないだろう。勇二郎には、こうした癖があった。

このように自分を大きく見せる「癖」は、娘である小池百合子にも受け継がれているかもしれません。

また、舛添要一もこの本には小池百合子をフッた男として登場してきます。

テレビでこの失恋話を語った時、彼女は国会議員だった。そこに、おそらくは意味があるのだろう。政治家になること、それ自体が彼女にとっては自分を見下してきた人々に対する復讐だったのではないか。見返してやりたいという思い。その中には、この助教授も含まれていたはずである。そもそも政治家になるというのは、この助教授の夢だった。

石原慎太郎、舛添要一、小池百合子……と東京都の政治は小池父娘に因果関係ある人たちで回っていたのです。
東京都の政治は「コップの中の嵐」であったような気さえもしました。
政治がこういう小さなダイナミズムで良いのでしょうか……。
少し引っかかりを覚えました。

またこの本では小池百合子に対してかなり厳しく書かれており、阪神淡路大震災の被災者が陳情にやってきたときは、以下のような対応だったようです。

窮状を必死に訴える彼女たちに対して、小池は指にマニュキュアを塗りながら応じた。一度して顔を上げることはなかった。女性たちは、小池のこの態度に驚きながらも、何とか味方になってもらおうと言葉を重ねた。ところが、小池はすべての指にマニュキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。
「もうマニュキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」

一事が万事。
こうしたエピソードの枚挙にいとまがありません。
中には間違った記述もあるでしょうけど、全体的に真実味もあります。

とはいえ、僕自身は小池百合子に対しては、100%の嫌悪感を抱くことはありません。
スケールの違いはあれど、僕の周りでもこういった人はたまに居たな~と感じたからです。
矛盾に満ち、人を人とも思わない人であっても、一人の人間であることは間違いないですし、それこそが人間の持つ「ある側面」なのであるとも思いました。

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