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2000年前から…

1年で最も寒いとされる2月。
最近は、寒さが厳しい日々の中にも春を感じられる日が増えてきたように感じます。

2月には、五穀豊穣を祈る春祭り「予祝祭」のひとつである祈年祭が宮中及び各地の神社で行われます。
日本人は2000年以上、春には祈年祭で豊作を祈り、秋には新嘗祭で収穫に感謝する稲作を中心とした営みを繰り返してきました。
日本は本来、稲作を中心として成立してきた国です。春に五穀豊穣を祈願し、秋には豊作を感謝する基本的な祭りが国家の祭祀として取り上げられてきました。

《春のお祭りと秋のお祭り》

「祈年祭(きねんさい)」は、これからの1年が豊かな良い年であるように と祈るとともに、国家の安泰を祈願しました。
このお祭りは、漢字では「歳」を当て穀物の実りをさして「とし」、祈りや願いを指す「こい」を用いて、「としごいのまつり」とも呼ばれ、春の耕作はじめの時期に行われる五穀の豊かな稔(みのり)を祈願するお祭りでもありました。

7世紀頃から宮中を中心に連綿と行われてきたこの「祈年祭」ですが、旧暦では毎年2月4日の「立春」の日に行われていました。
「としごいのまつり」で「年」のはじめに万物の萌え出づる「春」を寿(ことほぎ)、一年の成果である「とし(稲)」の豊かな稔を祈りあげるというわけです。

各地で行われる、1年の平穏や豊作を祈る祭は農耕において要となる「春」と「秋」に集中しています。
毎年、秋にはこの祈年祭とは対にあたるお祭りが行われているのをご存知でしょうか?

それは。11月23日の「勤労感謝の日」に行なわれる収穫祭であり、皇室とも深い関わりを持つ年間でも最も大切なお祭りである「新嘗祭(にいなめさい)」です。

古くから日本人は、田植えを控えた春先に1年の無事や豊穣を祈願する祭り「祈年祭」を行い、その結果としての秋の祭り「新嘗祭」で収穫への感謝を捧げ、暮らしてきました。
農耕が生活のすべてだった時代、豊作を祈ることは国家の安泰や国民の繁栄への祈りそのものでした。

多様な産業が発展した現在でも「祈年祭」「新嘗祭」は変わらぬ重儀であり、この一年の豊かな実りと共に国家の安泰と諸産業の発展を祈ります。
この「祈年祭」とは対にあたる「新嘗祭(にいなめさい)」ですが、以前は“旧暦の”11月23日、新暦に直すと12月中旬の「冬至」の時期に行われていました。

「冬至」は1年間で日中が最も短く、太陽の出る高度も低くなることから「太陽の力が弱くなる日」とされています。
しかし「一陽来復(いちようらいふく)」という言葉にもあるように“陰極まる冬至を境に太陽が生まれ変わり、陽の気が増えはじめる”ととらえることもできます。

9月23日の「秋分の日」からは夜の時間が長くなっていましたが、この太陽の再生を象徴する「冬至」を経て「立春」と、徐々に昼の時間の方が長くなっていきます。

《天皇誕生日と天長祭(てんちょうさい)》

「節分祭」「祈年祭」と進み2月も下旬、2月23日の「天長祭(てんちょうさい)」が行われる「天皇誕生日」の頃には、体感でも春を感じられるような暖かい日も増えてきます。

「天長祭」は天皇陛下のお誕生日を祝うお祭りで、戦前は「天長節(てんちょうせつ)」といわれていました。

奈良時代の光仁天皇(こうにんてんのう)の御代(775年)に初めて行われた行事で「天長」とは、老子の記した『道徳経(どうとくきょう)』を出典としています。

梅のつぼみもほころび、春の足音がコトコトと聴こえはじめました🌸
寒さが苦手な私は、春が待ち遠しいです。これから訪れる春を楽しみましょうね!

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