短歌 演じ続けろ
「ありのままのあなたでいい」と許可が出た頼んでいないピザが届いた
ありのままの自分でいいかどうかについて、なぜ他人から許可されなきゃいけないんだろう……。センモンカだから? うわ。
でも、こういうこと言いたがる方、いまだにたくさんいらっしゃいますね。優しいこと言ってるご自分に酔ってるんでしょうけど、ダシにされるほうの身にもなってみてほしいです。(ㆀ˘・з・˘)
あちこちに劇場がある風が吹く思考停止を演じ続けろ
違和感や怒りを誠実に表明すると、いともたやすくつけ込まれたりするので、残念ながらそういうことを伝えられる相手というのは、極めて限られています。
多くの人が当たり前すぎて意識の俎上にものらない事象に対して、否が応でも違和感や怒りを感受し表明せずにはいられない層の人たちって、例外なく息苦しさや生きづらさを携えています。
でも、それ自体は悪いとか劣っているとかではなく、ただ「自然体で暮らす」ためのハードルがやたら高くて多い、そんな印象です。
当然、その当人たちに何か責めがあることではないので、これまで散々あちこち怪我しまくってきた私個人的には、高くて多いハードルならいっそ、全部なぎ倒してもいいんじゃない? でも別に道は前にしかないわけでもないじゃんねー、とか思ってます。
ほんとうを載せてくれない教科書を疑える奴だけ持つ翼
「疑う」という言葉がネガティブな意味でしか使えないなんてことないですよね。クリティカルであることって、既存の抑圧機構(?)を変えていく、できることならぶち壊すために必須の能力だと思うんだけど、そういうのを今の社会では学ぶチャンスが圧倒的に少ない(存在しててもマイノリティだったり揶揄嘲笑の的だったりする)。
先生(教師? 医師? 弁護士?「先生」と呼ばれる存在はほんとたくさんだね)が間違ったことを教える・するわけない→ここがもう、前提として大間違いなんで。
だから、自分に差し出される情報に対して「それ、本当?」とか「なんかおかしくないか?」と、ある程度冷静にというか、「へー、そうなんですねー」と受け流すこと、やり過ごしていくことって、かなり重要なスキルなんだろうなと思っています。
「迷わなくて間違わない」状態に固執しても、全然楽しくないでしょ。
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