見出し画像

短歌 コンポタ

猫は猫スマホを捨てることがもう半身を棄てるような覚悟だ

底面にへばりついてるコンポタを掻き出すような初恋でした

台風のせいにするから今日だけは終点よりも先に進もう


ずーーーーーっと考えていて、でも向き合う勇気がなくて、逸らし続けてきたことがあります。

それは、自分が最も恐れていることなのですが、端的に書くと「私は結局、抑圧者サイドへの憧れを捨てきれていないのではないか?」ということ。

生活の中ではさまざまな場面で、「自分の能力」「強み」「特技」などを自覚してうまくアピールすることが礼賛されます。

わかりやすいのは、就活。履歴書にはそういうことを書く欄があって、それを「いい感じ」に埋めて、面接官などにプレゼンするスキルが、(冗談ではなく)学問より重視されます。

でも、なにかが違う。でも、なにが違うのかがわからなくて、ずっとモヤモヤしています。

「こんな資格を持ってます」「外国語が話せます」「こんな賞を受賞しました」。

……。

そしてそれらは、(今の)社会で、より有利な立場をゲットするためのチケットとして非常に効果的で、だから多くの人が目指したり憧れたりしています。

それと表裏一体な事象として、例えば偏差値が低いとか、不登校であるとか、心身に困難があるとか、そういったことは「努力不足」「怠惰」「劣悪」な「自己責任」なので、生きづらさは仕方ない。と、(概ね)されている。

だから、そういう人は「より有利な立場」を目指さなければ、あらゆる場面で尊厳を削られても仕方ない……?

ほんとにそうなんだろうか。。

心ではひどく拒絶反応があって、「そんなわけあるか!!」と思うものの、だったらなんなんだ、という対案(?)が明文化できず、モヤモヤは日々膨らんで、だいぶ息苦しさを覚えていました。

で、じゃあ、私自身はどうなんだろう、と。

なんのために頑張ってるのかなー。「学生時代に払った努力を免罪符にして抑圧者になりたがる人たち」とずっと対峙してきたはずが、結局は、私も同じ穴の狢だったかもしれないと気づきかけてしまってて、どうにも怖くなって、悲しくなって、どうしたらいいかわからなくなって、あーとかうーとか悶えたりして。

つら。

↑のような内容をうだうだ夫に話したところ、文庫本から目を離すことなく(=私と一切目を合わせずに)、一言。

「できないこととか弱みとか苦手なことを、素直に人に伝えられたらいいね」

ほんそれ。

つら。

こんな気分も、台風のせいです。明日になったらまた少し変わる気がする。なので、今日は(も)たっぷり眠ります。おやすみ!

よくぞここまで辿りついてくれた。嬉しいです。