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短歌 踏むアスファルト

誰か見てきたんだろうか恐竜に水玉描けば修正される

定刻にわたし以外の声が沸く 喝采、喝采、(とされる悲鳴)

ひんやりと踏むアスファルト人が人にしか傷かないこともう知っている


今日は珍しくまるっと予定のない日だったので、本を数冊かばんに詰めて、散歩に出かけました。時々やっているのが、「一駅さんぽ」です。季節が暑くもなく寒くもなく、風も心地よかったので決行しようとしました。

一駅間といっても、都心のメトロのそれとはわけが違います。東京駅を歩いているはずが有楽町線にたどり着くようなこともないし、神保町駅付近を歩いているつもりが神田駅界隈にいた、なんてことも起きないのです。東京は東京でも、西のほうは駅間が素敵なのです(表現は大事だよー)。

で、駅から15分ほど歩いた場所で、「マルシェ」なる催しが開かれていました。多くのキッチンカーが出店しており、おおいに賑わっていました。

穏やかな4月の真昼間から、ベンチでクラフトビールを嗜む大人たち、スーパーボール釣りにはしゃぐ子どもたち、地元の福祉団体はじめNPOなどの展示作品に、足を止めおしゃべりに興じる人などなど。

その雰囲気が味わえただけでも、散歩にくり出してよかったなーと思ったのですが、なかでも最高だったのは、野外ステージで地元のおじさんバンドによって演奏された、「雨上がりの夜空に」でした。

言わずと知れたRCサクセションの名曲ですが、会場にはノリノリで手を叩いたり腕を上に突き上げる人たちでいっぱいで、私も気づけば一緒に歌っていました。

なにが最高だったって、

バッテリーはビンビンだぜ
いつものようにキメて ブッ飛ばそうぜ

RCサクセション「雨あがりの夜空に」歌詞の一部より

とか

こんな夜に おまえに乗れないなんて
こんな夜に 発車できないなんて

同上

など、思いっきりロックな歌詞が街中に響いて、それに人々が共鳴し、「歌詞の意味は深く知らないけどなんか楽しい」とばかりにぴょんぴょん跳ねまわる子どもたちがいて、警備の警察官たちまでもが、手にしていた誘導棒をリズムに合わせて揺らしていたところです。

ああ、なんていい街に住んでるんだろう……。

なんだか、まだ清志郎がこの世にいるような気がしていたのですが、亡くなったのが2009年と知って「もう15年も経つのか」と驚愕しつつ、でもこうして作品がずっと歌い継がれている限り、やっぱり清志郎はこの世に存在しているんだろうな、と思ったりします。もちろん、舌を出して中指を立てながら。

で、となりの駅まで歩く計画だったんですが、気づいたら夫がクラフトビール片手にほのぼのとベンチでひなたぼっこを始めてしまったので、私もキッチンカーでクラフトコーラを買って、マルシェ(というか、ちょっとした「地域のお祭り」みたいなテンション)を大いに堪能しました。

ビールもコーラも、「クラフト」ってつくと俄然おいしそうなイメージがあります。辞書で調べるとクラフトは「手芸品 工芸品 民芸品」とありました。やっぱり人の手の介在したものというのは、手間暇≒愛情がこもっているんだろうなぁ、と、ふくふくした日曜日の午後でした。

ほろ酔い上機嫌になった夫が「ああ、どさん子ラーメンに行きたいなぁ……」と珍しく願望を口にしました。いいねぇ、と相槌を打ちつつ、実は私は、あの「くちばしの下部がどんぶりになっている鳥」がちょっと怖いです。

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