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こころのなかの「止まれ」の声をみつける。

「どうせ何をやらせても、私はダメなんだよなあ...。
私には、何一つとりえがないから.....。」

ー これは、長いことわたしのこころの奥底で流れていた声でした。まるでうっすらとした耳鳴りのように。

■その目/その声はどこにある?

さて、前回ご紹介したワーク、最後にでてきたのは、あなたが踏み出そうとするときに、無意識に自分をひきとめる声/まなざしです。トンネルの中に止まらせている「自分をひきとめている思い」「ダメダシの思い」「止まれ」ですね。


さて、ここで1つ質問しますよ....

その声、その眼差しは、どこにあったんだっけ?

...そうです、そうですよ。他でもありません、あなたのこころの中です。
このnoteを書いている私のこころの中じゃないですよ、
あなたのこころの中です。

■あなたが見ているのはあなたのこころの世界

自分を引き止める思いとしてよくでてくる例として

才能がない...
お金を無駄にしてしまう...
常識はずれ...
時代遅れ....
迷惑をかける..

などがあります。

こうした声があるのは、「自分のこころのなか」です。自分の中で鳴り響いている声といってもいいでしょう。

言っている誰かがいて、それをきいている自分がいる。
そんな「こころの世界」にあなたはいる。
この鳴り響いている声をきいているから、行動できない。

一歩が踏み出せないとき、あなたが住んでいるのは、この「みえないこころの世界」のほうです。正確に言えば「外からは見えないけれど、こころのなかで見えてる世界」ですね。いずれにしろ実際の世界を忘れてしまっているのですね。

■こころの世界にどんな自分がいる?

「自分を引き止める思い」はたくさんあります。
そのお家での「家訓」(あはは、古臭いいいかただな:w)、地域社会の常識、社会規範などなど。「女子は...」「男子は...」といったジェンダーにまつわる思いもいろいろあるでしょう。

自分を引き止める思いは「声」「まなざし」というような「かたち」でこころのなかにあります。そして、この「声」や「まなざし」をうけとる「自分」もこころのなかにいます。これが「こころの中の世界」ですね。

なかでもこの「声やまなざしをうけとる自分」の姿、つまり「自己像(セルフイメージ)」がみつかると「明るい方へ進めない」自分への理解がより深まります。

冒頭に戻りますが、私の場合、いつも自分を引き止めるようにつきまとっていた思いの1つが「どうせ私は何をやらせてもダメ(できない)」「(それはわたしに)何一つとりえがないから」でした(他にもいろいろ引き止める思いはいっぱいありますが)。

なんの取り柄もない私は、世界の片隅で、誰からも見向きもされずにひとりポツンと座っている....これがわたしの「こころの世界」でした。

これに気づいた時、私は自分の生きづらさのわけがようやく腑に落ちました。どうせ、なんの取り柄もなくて何をやらせてもダメなのだから、せめて他人(ひと)様から喜んでもらえることをしよう、そうすれば生き延びられるーというのが長いこと私の「サバイバル戦略」になっていたのです。
「なんの取り柄もない自分」には全く気付かず、ただ生き延びることだけに力を注いで、生きづらさを感じていたのでした。

■どんなネガティブな自分像も「勘違い」

わたしは、このセルフイメージが「私の思い込み」だとわかるまでセラピストのセッションを受けたり、自己ワークを繰り返していきました。長い話を短くしますと、「取り柄はなくても、なんとかなるさ!」ぐらいにはなってます(笑)。補足しておきますが、大事なのは「取り柄」をみつけることではなく、「じぶんがそのままでいていい」という感覚を増やすことです♪

どんなネガティブな自分像も「勘違い」です。どれだけ信憑性が高くても、それは真実ではありません。そして、かならずただの「勘違い」だったんだなと気がつくことはできるようになります。勘違いだと気づいていくと、自分のなかに穏やかさと自由を取り戻っていくことでしょう。

どんなことをしてきたのか、については、時々聞かれることがあるので、またの機会にご紹介したいと思います。

というわけで今日の一言。

一歩が踏み出せない時、
あなたがみているのは、「こころのなかの世界」。
こころのなかの世界にいる自分と、まず手を取り合おう。


今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。


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