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こうこつのひと〜認知症と記憶忘却|臨床心理士への随録 心理学

恍惚の人」は、1972年に出版された有吉佐和子による長編小説。「こうこつのひと」で認知症が浮かんだ人は、私より年配か、福祉関係の人か、かなりの読書家さんだと思う。「恍惚」とは、①物事に心を奪われてうっとりするさま ②意識がはっきりしないさま ③老人の、病的に頭がぼんやりしているさま、である。

恍惚であれば認知症かというと、そうではない。認知症には「脳の器質的変化によって、いったん発達した知的機能が日常生活や社会生活に支障をきたす程度にまで持続的に障害された状態」という定義がある。つまり、1. 何らかの脳の疾患によって、2. 認知機能が障害され、3. 生活機能が障害されるという三条件が揃ってはじめて認知症という診断がつく。恍惚は認知症のいち症状である。

認知症の中核症状に「もの忘れ」がある。このもの忘れ、加齢によるもの忘れと、認知症のもの忘れは、質が違うことが知られている。

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朝食を実際には食べていたとしても、自分の記憶では食べていないのだ。食べてない認識の中で、「さっき食べたでしょ、もう、しっかりしてよ」と言われたらどうだろうか。信頼できる他者からの言葉であっても、認知症もの忘れの自覚をもっていたとしても、モヤモヤが残る。

認知症は自分の中にあったものが徐々に失われていく病。喪失体験であり、自尊心の低下を招く。進行すると何を失なったか自体を思い出せなくなるが、何かを失った物悲しき感情はしっかりと残る。ある患者さんは認知機能の心理検査を終えて「歳を取るのは悲しいことね」と呟いた。

都内の高齢者デイサービスに参加していた90代のおばあさん。疎通性はギリギリの状態であった。彼女には文脈に関係なく口癖のように発する言葉があった。「しあわせだよ」「からだがうごくよ」「しあわせいっぱい」「ごくろうさん」。そう、ポジティブなのだ。表情は常に穏やか。自己暗示、呪文のようだなと。

「恍惚の人」とはこのような状態の人をも含むのかと思う一方で、周りが不快にならない言葉を使えば嫌な対応をされることがなくなり、結果的に楽しい状態で生きていけるのかもとも考えた。忘れるし、よくわからない事象は増えるけど、そればかりに囚われないこと。これが認知症を生きる術なのかもしれない。

独の心理学者エビングハウスは記憶の研究を行い、忘却曲線を導き出した。人間の記憶保持率は、直後100%だったとしても、20分後には58%まで落ちる。20分で4割がた忘れるのだ。人間の脳には容量があり、忘れていかないと効率が悪くなるため、脳は積極的に記憶を忘却させているという。人間はそもそもが忘却の生き物なのだ。今も昔だって、忘れることで生きてきた。忘れることは悪ではない。

認知症は不可逆性の病である。一時的な復調はあるが、基本的には進行する。しかし現在では、70年代から続く研究の成果から、その進行を遅らせることは可能である。また、ケアの仕方も症状ではなくその人の内側に起こっている認知世界を理解しようとする姿勢に変わってきている。考え方次第だ。忘れてしまうのは仕方のないこと、悲観してても始まらないので、受容して今を生きる。

発達心理学者のエリクソンは自身の生涯発達理論において、老年期の課題を「統合が絶望か」と唱えた。あと16年もすれば私も老年期に突入する。失われていく悲しみをも受け止められる自我を、はたして私は確立できるだろうか。

参考:「認知症の心理アセスメント はじめの一歩」黒川由紀子ら編(医学書院)


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