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心理検査では見えないもの、高齢者デイケアで見えてくるもの|ココカリ心理学コラム

認知症疾患医療センターの指名を受けている心療内科で、私は心理士として働いている。業務内容は心理検査に留まらず、高齢者デイケアの企画運営や、利用者さんの車の送迎運転手も担っている。

今日言いたいことは2つで、1つは、高齢者の認知機能や生活模様は、検査だけではわからないことがたくさんある、ということ。2つ目は、専門職は専門以外もやったほうがいい、ということだ。

高齢者の認知機能と生活

当院のデイケアは3時間のショートケアということもあり、利用者は認知症であれば軽度の方、また認知症ではなく不安症とかうつ病の方が多い。利用者さん同士の会話は成り立つし、車いす利用の方はいない。

前回、外来診察の時間に、A利用者さんの認知機能検査を行い、その結果に驚かされた。点数だけみれば、認知症 高程度の水準だったのだ。

思い返せばデイケアの場面で、Aさんが積極的に会話を切り出すことはないし、何か尋ねても「うん」とか「そうねえ」とかの返答しかない。コミュニケーションに問題がなく、笑顔で朗らかに過ごしているので、この認知機能の水準に恥ずかしながら全く気が付かなかった。

心理検査の点数と、実際の生活での認知機能水準は別物である。当然のことながら関連はするのだが、全部が比例するとは限らない。近時記憶がかなり低下しても家事全般ができたり高度な計算ができるし、日時や場所の見当識がかなり低下しても一人で電車に乗って移動できる。個人差はあるが。

検査はその検査項目でしか評価できないため、生活場面においては参考値とするべきである。生活の中でどうかは、生活を覗いてみないとわからない。デイケアで同じ時間を過ごすことや、車の送迎時に家の中・家族同士のやり取り見ることで、その人や取り巻く環境を包括的かつ複眼的にアセスメントすることができる。

点数だけみるのはレッテル貼りに繋がる。自戒を込めてここに書いておく。

専門家は専門だけに専念すべきか

専門家は自分の専門性を磨くことが本分だ。プロフェッショナルな専門家は更に、近接領域分野の知見を増やし、自分のやれることはやって、やれないことはその分野の専門家にリファーする。目指す頂はここにある。

大学院で学んでいる際に、教授が言ってた。心理だけやってる心理職って他の職員さんに嫌がられるんだよねとか、挨拶できない心理職が多すぎるとか。心理の専門家である前に、その組織の一員である自覚が必要だ。挨拶なんかは人としての姿勢だよね。心理士である前に「私の在り方」を考える必要があるのだろう。

私の例で言うと、デイケアの車の運転それ自体は心理の専門仕事ではない。それは運転のプロにお願いしていい仕事である。けど、私は引き受けた。組織コンディションの兼ね合いもあったし、何よりも検査ともデイケアとも違う利用者さんの顔を見る機会が生まれ、私の臨床に大きく還元してくれる可能性を感じたからだ。地元でない慣れない地域の運転にストレスを感じることは少なくないが、それ以上に得られる情報が勝っている。

「心理の仕事じゃないんで」と一蹴するのは簡単だ。一方で安請け合いするほど卑屈にもならない。その仕事を行う意味、そう、自分にとっての意味/依頼者にとっての意味/対象者に対しての意味を多角的に検討し、意味を見出せるのならば、飛び込んでみたらいいと思う。

やってみないと見えないことは、ごまんとある。