精神力は忍耐だけでは強くならない|ココカリ心理学コラム
まず、精神を定義すると「人間のこころ、またその知的な働き。目的を達成しようとするこころの働き」である。精神力とは精神の強さであり、精神を支えている力を意味する。
精神力を鍛える手法を思い浮かべると、厳しい修行や練習に耐えるイメージがでてくるのは、私がサッカー部出身だからだろうか。夏合宿の坂道ダッシュ、階段上り下り、本数設定のないシャトルラン…走るのばかりだ笑。確かに耐えることでも精神力は養えるが、耐えるだけでは足りない。精神力とは目的を達成する力、忍耐力だけでは成し遂げられない。
想像力が必要だ。サッカーで言えば、守備に力点を置いたチームは負けにくくなるが、勝ちやすい組織にはならない。ひと皮化けるにはクラッキ、想像性のあるプレーヤーや想像性ある攻撃パタンが必要になる。目的を達成するためには何が必要か、この想像力が精神力に結合していく。
認知力(解釈力といってもいい)も重要ではないか。物事をどう捉えられるか、捉え方の幅をどれだけ広げられるか、その中から妥当な解釈を採択できるか、そういう力である。精神力とは違う言い方をすれば、こころの安定感だと思う。ショッキングなことが起きてもショックを受けつつも対応していくその様こそが精神力であると思う。日常生活のささくれのような刺激事象に対して、意識した解釈と行動で反応していく。こころが必要以上に疲弊しないように物事を認知してく訓練こそ、精神力向上のメソッドである。
耐えるばかりに注目すると、想像や認知の創造性をつぶすことになりかねない。古来日本人は耐える精神力に美を感じるきらいがあった。忍耐は一側面でしかないことを認知し、他の側面を想像していくことで、精神力を高めていきたい。